映画ソムリエ/東 紗友美の“もう試写った!” 第50回『スノードロップ』
『スノードロップ』
▶社会問題や生活のリアルに関心がある人におすすめ
心に残る静かな余韻度100
つらい題材を扱いながらも、そこに関わった監督や俳優陣、スタッフ全員の覚悟がひしひしと伝わってくる作品だった。静謐な時間の中に、確かな緊張感と手応えが刻まれていた映画でした。
(※下記テキストには、本編の内容に触れる箇所がございます。)
あらすじ
認知症の母・キヨと暮らす直子のもとへ、長年家を出ていた父・栄治が突然帰ってくる。困惑する直子だが、母の願いで同居を始めた栄治は新聞配達で家計を支えるようになる。
10年後、病により仕事を続けられなくなった栄治をきっかけに、直子は生活保護の申請に動き出す。
親切なケースワーカー・宗村の支援で手続きは順調に進み、受給がほぼ決まった矢先、栄治が直子に思いもよらぬ言葉を告げる──。

主人公・直子が初めて“会話”ではなく“対話”を交わす場面。社会福祉士とのやり取りのなかで、彼女の心が少しずつほどけていく瞬間には、胸を深く突かれました。
家族と本当の意味で心を通わせてきたのかどうかも曖昧なまま、どこかで諦めを抱えて生きてきた直子。恨みや憎しみではなく、ただ「お互いを信じきれない関係性」の中で時間を費やすことの苦しさが、静かに積み重なっていきます。
それでも、人は他者と救い合える。たとえ血のつながりがなくとも、見えない場所で差し伸べられた手が、誰かを生かすことがある。この作品は、その両面を描きながら、最後に「人生は決して捨てたものではない」とそっと語りかけてくれます。

監督自身、病床で生活保護を受けた経験を持ち、その「恩恵」を痛感した一方で、実際の事件で「受給が決まったにもかかわらず拒否した一家」の存在が強く心に残り、映画化を決意したと語ります。
「ケースワーカーの対応は丁寧で善意に満ちていた。しかし、その善意が逆に人を追い詰めることもあるのではないか」。そんな疑念が本作の根底にあります。
直子は善意に失望し、悲劇的な選択を迫られるが、最後には弱者の視点を持つケースワーカーと出会い、「生きていいのだ」と感じる瞬間に辿りつく。
劇中、印象深く登場するスノードロップの花は、その象徴として置かれ、止まっていた時間が動き出したような希望に満ちたワンシーンが心に残ります。

これまでにも、生活保護や制度の限界を描いた作品はありました。たとえば、日本映画では『万引き家族』(2018)が福祉の網の目をすり抜けてしまう家族の姿を捉え、『ケアニン〜あなたでよかった〜』(2017)では高齢者の生活保護が背景として描かれています。『子宮に沈める』(2014)では、育児放棄の陰で機能しきれていない制度の実態が明らかになります。
また、ケン・ローチ監督をはじめとする海外作品では、制度の複雑さや限界に直面する人々の苦悩が描かれることが多いですが、この『スノードロップ』からは、私はそうした作品群とはまた異なる印象を受けました。

この映画は、制度の申請過程の困難や、仕組みに翻弄されていく様子を描くのではなく、生活保護を受けなければ暮らしていけない一人の女性の「内側」に、丁寧に、深く分け入っていきます。誰かの分析や視点を通してではなく、主人公・直子の言葉そのものから、その心の声が真っ直ぐに届いてくる。一人の女性の「内側」の深い部分から、その心の声を真っ直ぐにすくい上げたことで、制度批判を超えた人間の物語として成立しています。
住まい、仕事、健康、人とのつながり。
そのどれか一つでも失えば、誰しも容易に立場を揺るがされる。
福祉の問題は、遠い誰かのものではなく、常に私たち自身の足元に潜んでいる現実なんです。
『スノードロップ』には、そうした不安定な社会の中で押し殺されてきた「声なき声」が、確かに響いていました。

主演の西原亜希さんの演技もまた、その声を具現化していました。
諦めと祈りが同居する眼差しに胸を締めつけられる。直子が花を見つめる姿には、止まっていた時間がわずかに動き出すかのような気配が宿り、観る者に「この先も生きてほしい」と自然に願わせる力がありました。
福祉は、本来すべての人のためにあるものです。困ったときに、誰もが自然に頼れるはずの仕組み。それなのに、手を伸ばすことさえ「裁かれる」ように感じてしまうのは、制度のあり方だけでなく、それを取り巻く社会のまなざしにも問題があるのではないでしょうか。
助けを求めるという選択には、決して「弱さ」などではなく、「人としての尊厳を守ろうとする強さ」がある。
『スノードロップ』は、福祉制度をめぐる是非を超えて、人間が生きることの意味を静かに問いを投げかける、力強い作品でした。
『スノードロップ』
10月10日(金)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

出演: 西原亜希 イトウハルヒ 小野塚老 みやなおこ 芦原健介 丸山奈緒 橋野純平 芹澤興人 はな
監督・脚本:吉田浩太
プロデューサー:後藤剛
撮影監督:関将史、撮影:関口洋平、録音:森山一輝、美術:岩崎未来、衣裳:高橋栄治、メイク:前田美沙子、スチール:須藤未悠、助監督:工藤渉、制作:古谷蓮
主題歌:浜田真理子「かなしみ」
製作:クラッパー、宣伝・配給:シャイカー
配給協力:ミカタエンタテインメント
2024/98分/ステレオ/DCP

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