武士道

番長プロデューサーの世直しコラムVol.32
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光
「葉隠(はがくれ)」という本がある。 江戸時代の中期に出されたもので、鍋島藩藩士が武士としての心得についての見解を「武士道」として展開している。藩士の語った言葉を、他者が筆録したものだと言われています。「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という文言で有名な書物です。 肥前鍋島藩といえば、僕の故郷でもあります。僕も、子供のころから何かにつけて「葉隠の精神」だの「葉隠を読め」だの言われて育ったんですが、実家の本棚にあった「葉隠」は古すぎて、古本臭く、ぼろぼろで気持ちが悪く、読んでも言い回しが難しすぎてまったく理解できませんでした。また、「何が武士だ。古臭え」という反発もあり、ほとんど無視してました。「それって佐賀の話だろう?」と、ちょっとばかにもしてました。故郷に住んでいる間は、故郷の名著にありがたみなんかも感じないもんです。 で、最近、ふとしたことから、三島由紀夫が書いた「葉隠入門」という本が気になって読んでみました。これまた、言い回しが難しく、読むのに気合いと根性が必要で、理解するのにも時間がかかるので苦労しました。でも、びっくりするような内容がいくつも記された本だということが、わかりました。本当? この時代にこんなこと書いたの? もっと簡単に解説した本はないんだろうかと探してみたら、ありました。「黒鉄ヒロシ著/葉隠マンガ日本の古典」。すごい。マンガで書いてある。だから、よくわかります。それで、やはり、驚くような内容の本と再確認。 「葉隠」の書かれた経緯も詳しく解説してあるんですが、これが凄い。 戦乱の世が終わり、太平の時代になりつつある江戸中期に、武士たちは戦(いくさ)も仕事もなく、風紀は乱れ、儲け話や損得勘定ばかり。藩主の取り巻きの連中は、太鼓持ちばかり。そんな状況に異を唱えた、藩の文官であった田代陣基という人が、うるさがられて職を失う。田代陣基は失意の中で、すでに隠居していた元藩士の山本常朝の元に教えを請いに行く。そこで話される山本常朝の武士としての人生観や知識、ものの考え方に、田代は深く共鳴し、禅問答のような座談を繰り返した。結局、6年もの間に語り尽くされた言葉が、「葉隠」につづられたらしいのです。 で、いよいよ、そのびっくりする内容です。 武士の心得の書物なのに、「嫌な上司の酒の誘いをうまく断る方法」とか「部下の失敗をうまくフォローする方法」、「部下のしかり方」、「あくびを我慢する方法」、「恋愛の心の持ち方」、「人の心の移り変わり。負けん気が奢りに代わっていく様」等が書かれています。それが主ではありませんが、さながらサラリーマンマニュアルのようです。 「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という言葉が、一人歩きしてたんですね。僕の中でも死を美化した、かなりストイックな内容と決めつけてました。実際、この言葉だけをとり上げたのが、太平洋戦争時でした。特攻、玉砕や自決時には、武士道精神として曲げた解釈をされたこの言葉が使われた事実があるそうです。 実際に読むと、侍は「死に狂い」を貫く心得の中にすべての徳が存在するとある。真の武士道とは己の我欲一切を捨て去ること、すなわち死に身になれること。侍は自分以外の者のために尽くす生粋の人間となって働き、すべてを投げ捨ててただ一念になる瞬間に大きな生命が己に立ち返ってくるもの。人間は正気のままでは大きいことはなにもできないのだから、死にものぐるい(死に狂い)になりなさいという意味で「武士道と云うは死ぬことと見つけたり」という言葉があるのです。 全然違うじゃねえか。勝手に違うことを考えていた自分が、恥ずかしいですね。 40歳になってやっと読んだ郷土の書物、人生哲学の本でした。 同著にはまた、「世の中を変えたかったら、まず、自分が変わりなさい」とありました。文句ばっかり言ってて、俺は大丈夫か? 自分は死にものぐるいで変われているだろうか? 変われてないなあと、反省至極であります。 同時に、会社の営業職って武士だなあと、つくづく。 「営業というは死ぬこととみつけたり」です。はい。 興味がわいたので、山本常朝のことを調べてみたら、生まれた場所が僕の祖母の家があった住所で驚きました。何かの縁ですね。 なんと、その隣は「がばいばあちゃんの家」だったらしいです。 今回は、蛇足で終わります。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)
~株式会社リフト 第一制作部 チーフプロデューサー~

  • 1968年 佐賀県生まれ、44歳。
  • 1991年 ニッテンアルティ入社(旧 日本天然色映画株式会社)
  • 2000年にプロデューサーに昇格。
  • 2009年 社名がリフトに変更。

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが(日本にはCMプロデューサーと名乗る人が2000人もいるそうです)、自分のケツを自分で拭こうとしているプロデューサーは何人いるでしょうか?矢面に立つのは当たり前だとつっぱって仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。根性論を書いているかと思ったら、意外に現実論者でもあります。

<主なプロデュース作品>

  • AGF ブレンディボトルコーヒー(原田知世さんと子供)
  • 日清食品 焼きそばU.F.O
  • マルコメ 料亭の味
  • リーブ21 企業CM
  • コーセーサロンスタイル 『髪からはじまる物語」行定勲監督Webムービー
  • クレイジーケンバンドPV
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