嫉妬

Vol.148
CMプロデューサー
番長プロデューサーの世直しコラム
櫻木 光

 

自分の持っている感情の中で一番気にくわない感情は嫉妬です。

いきなりですが、するのもされるのも嫉妬が嫌いなんです。

本当に自分の中から消し去りたい。でも絶対消し去れない醜い感情です。

嫉妬について調べていくと、本当に色々書いてある。

色んな名作のテーマにもなってるものですから、本当にコントロールし難い人間の感情なんでしょうけどね。

平たく言うと「自分よりも優れて見える者や、自分の持っていないもの、自分から見て良く思えるものを持つ者に対して、それを不快に思う感情・心理である。僻(ひが)み、ねたみ、嫉(そね)みとも言われる。」

と言うことらしいけどそれだけでは平たすぎて言い切れないものがある。

英語で言うとenvy(エンヴィー) とjealousy(ジェラシー)に分けられるみたいですね。

envyが「“自分が持っていないものを持つ者に対する”羨み、嫉み」つまり日本語で言うと羨望。という意味合いを持つのに対し、jealousyは「“自分のものを誰かに奪われるかもしれない”恐怖から来る不快感、強い警戒心」という意味合いを持つんだそうです。ヤキモチ。

僕の嫌いな嫉妬の中身はどっちかっていうと「羨望」の方です。両方嫌いだけど。

キリスト教における七つの大罪のひとつとしても有名なのはenvy(エンヴィー) の方です。人間を罪悪に導く要因たりえる感情や特性、欲望の一つに数えられた、と言うことですね。

イスラム教では、羨望 は心の不純物であり、善行を無に帰すものであると言われているそうです。

ヒンドゥー教において、羨望は破滅的な感情。ヒンドゥー教は精神のバランスを崩すものは何にしろ不幸につながると考えているらしいです。

仏教では「愚痴(ぐち)」といわれ、全部で108ある煩悩の中でも最も恐ろしい、三毒(さんどく)の一つです。「愚痴」とは、愚かでバカな心という意味です。因果の道理が分かってない奴の心。因果の道理とは、すべての結果には必ず原因がある。自分よりもすぐれた人には、他人の知らないたねまきがあり、因果の道理に従って、たねまきに応じた結果を受けているという考え方です。

その当たり前の因果の道理が分からず、自分を反省することもなく、自分よりすぐれた人をねたみ、恨み呪い、そして、自分の向上を忘れて、他人の足を引っ張ろうとするので、愚かだと言われるでしょう。

世界4大宗教からもボロクソに言われている感情。それだけ普遍的な人間の持つクソ感情だからでしょう。

嫉妬の中にある羨望という感情はまた二つに分けられて、心理学的には良い羨望と悪い羨望があるらしいのです。いい羨望は文化や芸術や偉大なスポーツ選手を生み出す原動力となっている場合が多いそうですが、4大宗教からもダメだと言われているのは悪い羨望の方ですね。本当になんの役にも立たない。

僕は比較的、人を羨む事が少ない方だと思います。家も裕福で、背も高く、頭が良くて運動もできました。顔も可愛かったので女の人にもよくモテました。バレンタインデーには高校の校門に列ができてコタツの上に乗らないほどチョコレートをもらいました。ナイキのスニーカーもいっぱい持ってるし、羨ましいだろう?ザマアミロ。

というのは嘘です。

人を羨む、という感情を自分の中から排除撲滅しようと毎日思っています。毎日思っているということは自分の中にその感情がいつもあるという自覚があるからです。小さく押し込めていますが決して無くなりません。

それでも人を羨んだり妬んだりしている姿を決して人には悟られたくないのです。お尻の穴を見られるより恥ずかしいです。

高校を卒業して、訳あって現役での大学進学をパーにして、2年間浪人している頃がありました。その頃が人生の中で一番ダメだった頃で、愚痴ばかり言って、やらなければいけないことを放り出して遊んでばかりいました。やる気ってのがありませんでした。無駄な時間とお金を使いました。

ちょうど昭和が平成になった頃です。平成が終わるって話でいつも思い出して困ります。

自暴自棄になって、それまでに築いてきた色んな大事なものを壊して回るかのようになくしてしまいました。本当に大事なものまで棄ててしまって地元から逃げるように東京に出てきました。

その頃の自分が自分の中で吐くほど嫌いなのです。どんな自分だったかというと、うまくいってる人を羨んでばかりだったのです。

自分は自分、他人は他人となぜ思えなかったのか?若くて無知だったのでしょう。通り一遍の価値観に囚われていました。仏教で言う「愚痴」にちかい。

他人でも、たまに嫉妬の感情をむき出しにして攻撃してきたり足を引っ張ろうとする人がいますが、何よりも耐え難い気持ちになります。やめてくれーと叫びたくなります。恥ずかしくねえのか?この雑魚が、と。その矛先が自分に向いているときはそいつを原子のレベルまで粉々にしてやりたい衝動にかられる時があります。過去の自分の雑魚な亡霊に襲われているような気がするからです。

持ってないものを嘆くだけのやつは一生幸せにはなれないんだろうなと思った平成元年の春。

人と自分を比較して、あっちが上だ、とか俺の方が上だ、とか優劣で考えれば人生は「必ずどこかで誰かに」負けてしまうでしょ?切羽詰まった苦しい場面にこそ自分のできることだけすればいい。自分の持っているものを100パーセント発揮できればうまくいかなくてもそれでいいんじゃないか?その100パーを大きくする事ば考えればよかっちゃないと?そう決めちゃおうぜ。と、またがんばるか、と思い直した東京で暮らして最初に決めたことですね。懐かしい。

30年以上経ってからもまだ苦しめられているのかもしれません。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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