誰かが救われたような気持ちになるものを作りたい
昨年の年末に、ひょんなことからある大物ロックアーティストに
直接お会いする機会がありました。
お会いする機会といっても、そのロック歌手と仕事をしているアメリカ人の
カメラマンがいて、そのカメラマンが日本に旅行に来たときに、ちょうど
そのロック歌手のコンサートが横浜で開かれる日があって、行かないか?とお誘いを受けただけなんですけどね。
そのコンサートの終わりに、そのアメリカ人が楽屋に呼ばれたのでついていった
だけなんですけどね。
僕は、完全に心酔している他のロック歌手がいるので、その人のことはそんなにファンでもありませんでした。高校の頃の親友が、その歌手のファンで、レコードを借りて聴いたり、
浪人しているときに同じ寮に住んでいた仲の良かった友人もその歌手の大ファンで
毎日CDを聴いていた覚えがありました。周りにファンがたくさんいたのは事実。
大ヒットが何曲かあるその人の僕の印象は、僕の好きな歌手に比べると、「ゆるいな」
ロック歌手なのになんとなく真面目な感じ。サングラスは外さないけど、頭にバンダナ巻いて、ジャケット着て、不良の匂いがしなかったので物足りなかった感じ。
ただ、何曲か、ハッとさせられる歌があって、カラオケで歌ってみたりした程度でした。
嫌いではない、どっちかというと好きで、悪い印象はない。その程度でした。
CMの仕事を長くやっていると、そういう大物にはどこかであったことがある、って
ことになるのですが、その大物歌手は広告には出ない、CMやドラマに楽曲提供はしたことはあるけどそんなにやりたくはない。テレビにも映画にも出たくない、とにかく音楽の活動以外はやらない。という人なので、全く接点がありませんでした。
楽屋の外でアメリカ人のカメラマンが、そのロック歌手に「コレ、サクラギ。マイフレンド」
と紹介してくれて、少しの間お話しすることができました。
コンサートは迫力があり、いい声で声量があり、70歳を超えた人のパフォーマンス
と思えないパワーだったのですが、直接あってみたら、意外に小さく、でもすごいオーラを発していて、そして気さくなおじさんでした。
調子に乗っていろんなことを質問して、裏話なども含めて面白おかしく答えてもらいました。
うわー、俺、この人と会話してるよ。親友に自慢しよう!と、なんかCMプロデューサー
らしからぬ感じになってしまい、カメラマンからは
「レイカーズの試合見てる時の顔になってたな、サクラギ。子供みたい」と笑われてしまいました。有り難くていい夜でした。
その2週間後、地方で行われた映画祭に、去年の秋に作ったCMがらみのショートムービーを上映してもらえるということになって飛行機に乗っていきました。
映画祭の初日の夜に、その映画祭の主催者の一人のこれまた大物有名映画監督とスタッフ達とバーで飲んでいました。
その時、会話の中で
「あ、そういえば監督、先々週、僕、大物ロック歌手Hさんにあって話をしましたよ」
と切り出したら、その監督がとてもびっくりして「マジですか?」と。
ゲーっいいなあ。僕、大ファンなんですよ、で、で、どんな話したんですか?
って感じで話が盛り上がりました。
それを聴いていた周りにいた気鋭の映画監督もその話に加わり、いかにその歌手が素晴らしいか?という話になりました。みんな仕事したことも会ったこともないのです。
すげえなあ、あの人の人気はそんな感じなのか。
話を切り出した僕の方が面食らっちゃうくらい盛り上がったんです。驚きました。
あまりの盛り上がりにちょっとわからなかったので監督に聞いてみました。
「あの人のどこにそんなに感じるところがあるんですか?」
「うーん、一言でいうとあの人の歌には何度も救われた気持ちになった。ということですかね。そう。辛くてどうしようもない夜に、あの人の歌を聴いて救われて、ムクっと起きて行き詰まってた脚本を描き直した。そういうことが何度かありましたね。」
そうか。
腑に落ちた。そしてフラッシュバックした。
2年間、大学受験で浪人していた頃、自暴自棄になっていた頃、同じ予備校の寮の友人が貸してくれたその人のカセットテープの中に予備校に通ってる男の歌があった。西海岸の洋楽のような矢沢を聞いてテンションを上げることしか知らなかった僕には普段だと気にも留めないような優しい歌だったが、その時は、どうにも抗えない絶望感と共に生きていたから心に沁みた。何度も聞き直して泣いちゃったかもしれない。中原中也の詩を読んだ時のような気分になったのを思い出した。こんなしみったれた自分は嫌だと思い込んで落ち込んでいる時。行け行けどんどんが人生だと思っていた頃につまづいて、つまづいてもいいんだよ。懐かしい思い出になるんだから。という歌のように聞こえて、それに泣かされてそれが悔しくて、あの頃自体を忘れようとしていたのかもしれない。
つまり、僕もその人の歌に救われていたことになる。対面した時になぜ思い出さなかったのだろう?と悔しい気持ちになった。
あの時はお世話になりました、とお礼を言えばよかった。
そんなことがあって、残り少ないCMプロデューサーとしての自分のこれからの方針も決まったような気がしました。
若い頃に、親とうまく行かなかったり、付き合ってる彼女と喧嘩したり、バスケの調子が悪くなったりして、どうしようもなくむしゃくしゃするような時があった。些細なことだった。不貞腐れて寝っ転がってラジオを聞いている時に流れてきた音楽に、気分が良くなって気が晴れたような時があった。
まあいいか。もうちょっと頑張るか。
寒い冬が終わりかけの頃、キラキラした車の走行シーンに松田聖子のキラキラした音楽がかかっているだけの自動車のCMを見た時、憂鬱な冬の寒い夜に、晴れ晴れとした気分になったことがある。やった、春が来るんだな。
どんなに些末なことでもいいんだけど、そういう気分になれるようなCMを作りたい。ということです。そういうことをついつい忘れてCMを作ってないか俺?と思ったのです。
クライアントの要求は要求でちゃんとこなして、それを魅力的に見せる何か、
音楽でもいい、映像でもいい、出演者の選択でもいい、コピーでもいい。何かそういう要素の中に、たまたま見たら、暗い気持ちが救われたような気持ちになれるような表現を盛り込む。
そういう視点で残りの機会を過ごしていきたいなあと思ったのです。
