「映画は分かりませんけど、ガラの悪いリアルな大阪弁思いっきり喋りたいですわ」と言われた。

Vol.72
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸氏

『ガキ帝国』で、素人ながら鮮烈な印象をスクリーンに残した若い役者たちは数知れない。大阪心斎橋の裏通りの乱闘場では顔中に血糊を塗りまくって呻いてみせてくれたし、国鉄環状線の電車の中でも、梅田地下街の公衆便所でも、数々の乱闘場で夢中で奮闘してくれた。だが、その無名戦士のほとんどはその体験を“青春の思い出”にして、ロケが終わるとそれぞれの現実世界に戻っていった。夢の世界に残り、役者稼業を続ける気になったのはほんの僅か何人だ。ある者は京都の俳優養成所を辞めて東京に行ったと聞いたし、別の者は大手芸能プロの演芸部に入ったと知らされた。 そして、主人公3人組の一人で一番、活躍してくれた趙方豪(チョウバンホウ)も、この世界で生きようと決めた一人だ。京都の立命館大の学生の時から小劇団で芝居を始めた根っからの役者人間らしく、「芝居は全身から湧いて上がるもんです」と、初対面の時、ピンク映画しか撮ったことのないボクに真面目に教えてくれる少し年下の青年だった。

「映画のこと分かりませんけど、ガラの悪いリアルな大阪弁思いっきり喋りたいですわ。テレビとかでちゃんと喋ってる人いませんよ」などと言われたのが、彼を主人公のケン役に決めた理由だ。
彼は、典型的な済州島出身の在日韓国人二世で、生まれ育ったのは戦前から“猪飼野”と呼ばれていた大阪生野区の在日人たちが住む町だった。その精悍な顔だけでなく、通名“金田健一”という高校3年生の役柄も何もかもがイメージどおりで、こんなベストキャストは彼以外にいなかった。昔から、映画は1にホン(脚本)、2にヌケ(画像)、3ドウサ(演技)と言われていたが、ボクは、彼を主役に選んだ時、この映画は半分決まったなと思った。

映画作りを生業にする者は、主役俳優を選ぶ時は役柄にピタっとハマるように心掛けるべきだ。どれだけCG視覚効果が優れていようと、どれだけ脇役がオモロい演技をしようと、原作本が直木賞だろうと、主役がハマらなければ、映画は台無しになる。今流行りのダブル主演なら尚更だ。二人とも役にハマっていないと映画は自壊する。映画はそういうものだ。 趙が扮した、誰とも徒党を組まない不良のケンは、その時代背景の1968、9年の若者の孤独の象徴として描いた。「ここでホープ会の副会長が北神同盟に襲われる場面は、“連帯を求めて、孤立を恐れず”というやつや」と現場で言い出す2年上の親友の制作担当者の声に、ボクは励まされ、ケンの姿に、当時の全共闘のセクトの内ゲバ闘争に疲れた学生闘士を思ったり、演出コンテに悩みながら気力だけで撮り続けた。でも、趙だけは元気一杯で、「毎日、ほんまに愉しいですわ」と、ボクを慰めてくれた。彼だけはどんな乱闘場面も手加減なしで挑んでいき、周りの不良役の素人役者らを恐れさせた。「ケンさんのパチキ(頭突き)、さっきのテストも本気やもん。おれも本番でやり返したいです」と上気する若者もいて、仲間に「アホか!これは映画なんやぞ、芝居しろ!」と宥められた。ボクは、ブロンクスを舞台に不良集団の抗争を描いた『ワンダラーズ』(79年)は見ていたが、そんな見世物的なアクション映画を見倣う気もなかった。

ケンが道頓堀川の橋の上を不良仲間20人ほどを連れて歩くリュウ(紳助)たちと出食わし、弟分のチャボ(竜介)に「オレらこの街、パトロールしとんや」と息巻かれると、「こんなイカの大群やゴンボの束‥‥、お前ら、目覚ませよ」と二人に言い放つ。新喜劇出身の竜介もちょっとした言い回しや仕草で画面を愉しくしてくれた。趙はカット!の声がかかるや、「こんなミナミの真ん中で、ヤンキーの行列なんか誰も見たことないです」とバカ笑いしていた。

ケンはミナミの入り組んだ飲み屋街の路地を走り抜ける。機動隊員になっていた元不良を殴ってから居酒屋に逃げこむラストショットは、その場で見つけた店に飛びこみ交渉して撮らせて貰った。逃げ切ったケンは最後にカウンター席で一息ついて、「ビール、一本!」と言う。ボクが「お疲れ」と声かけると、趙は「もう終わりですか」ともの足りなさそうだった。

撮影中に人の映画なんて見る余裕はなかった。撮影が終わると気が抜けてしまい、毎日のようにミナミの屋台寿司で酒を飲んで、上手く撮れなかった場面の反省ばかりしていた。呑んだ挙句に、S・キューブリック監督の『シャイニング』(80年)の最終回に紛れ込んだが、冒頭の30分ほどで眠ってしまい、気がつくと終わっていた。恐怖映画を見に行ったのは現実世界に戻りたくなかったからだろうが。スティーブ・マックイーン主演の『ハンター』も封切られていた。シカゴを舞台に保釈犯を追う賞金稼ぎにマックが扮した。これはちゃんと観た。撮影中にマックの訃報を聞いていたので、最後の彼を見送るためだった。中学の時に観た『ネバダ・スミス』(66年)もそうだが、マックも孤高の一匹狼の役が多かった。中国の動乱に巻き込まれる米海軍の機関長を演じた『砲艦サンパブロ』(67年)『大脱走』(63年)も家で見直して、マックに乾杯して弔ったのを憶えている。趙との現場の思い出はまた次回で。

(続く)

 ≪登場した作品詳細≫

『ワンダラーズ』(79年)
監督:フィリップ・カウフマン、ローズ・カウフマン
脚本:フィリップ・カウフマン、ローズ・カウフマン
原案:リチャード・プライス
出演:ケン・ウォール

『シャイニング』(80)
監督:スタンリー・キューブリック
脚本:スタンリー・キューブリック、ダイアン・ジョンソン
原作:スティーブン・キング
出演:ジャック・ニコルソン

スティーブ・マックイーン主演
『ハンター』
監督:バズ・キューリック
脚本:テッド・レイトン、ピーター・ハイアムズ
原案:クリストファー・キーン
出演:スティーブ・マックィーン

『砲艦サンパブロ』(67年)
監督:ロバート・ワイズ
脚本:ロバート・アンダーソン
原作:リチャード・マッケナ
出演:スティーブ・マックィーン

『大脱走』(63年)
監督:ジョン・スタージェス
脚本:ジェームズ・クラベル、W・R・バーネット
原作:ポール・ブリックヒル
出演:スティーブ・マックィーン

出典:映画.com より引用

※()内は日本での映画公開年。
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■欲望の昭和を生きたヤクザたちを描く『無頼』はNetflixAmazon配信中。

プロフィール
映画監督
井筒 和幸氏
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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