『せかいのおきく』は前例のない挑戦。ダブルスタンダードで本業の枠からはみ出すと何かが生まれる

Vol.210
美術監督・映画『せかいのおきく』企画・プロデューサー
Mitsuo Harada
原田 満生
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持続可能な社会を目指す「SDGs」への関心が強まるなか、気鋭の日本映画製作チームと世界の自然科学研究者が連携して、さまざまな「良い日」に生きる人びとの物語を映画で伝えるプロジェクト「YOIHI PROJECT」をスタートさせた原田満生さんは、映画『舟を編む』や『テルマエ・ロマエ』など、数々の大ヒット作品で美術監督を務めてきました。
プロジェクトの第1弾作品は、世界最先端の「循環型社会」を実現していた江戸時代を舞台に、武家育ちでありながら貧乏長屋で暮らす主人公・おきくを取り巻く人間模様を描いた『せかいのおきく』。海外でも称賛の声が上がったという本作について、キャリア30年以上の映画人、原田さんのキャリアや若手クリエイターへのメッセージとともにお聞きしました。

絵描きになる夢をあきらめた先で映画の世界へ没頭

原田さんが、映画づくりに関わるようになったきっかけを教えてください。

20代前半は、絵描きを目指して自分の絵を路上で売っていました。ただ、それだけでは食べていけないので、映画会社・東宝の撮影所で美術のアルバイトをはじめたのが映画づくりに関わるきっかけでした。
背負ったバッグに大きなキャンバスを入れて撮影所に出入りしていたとき、東宝のデザイン部で「君、キャンバスを持っているなら絵が描けるんでしょ? じゃあ、うちのバイトを」とすすめられたんです。当時は、お金を貯めて片道切符でニューヨークへ留学し、絵描きになろうと思っていたので、映画の世界で食べていこうとは思っていなかったです。

その後なぜ、映画の世界へ骨をうずめようと思ったのでしょうか?

撮影現場を経験したのが、転機でした。それまでは自分一人で絵を描いていたんですけど、映画は一人ではなく大勢で作る「総合芸術」です。大勢の俳優やスタッフと協力しながらモノを作るという魔力の虜になったんです。はじめて自分が関わった作品の完成版を見た感動は、いまだに忘れられません。

自身の転機となった作品は覚えていらっしゃいますか?

当時の撮影所は映画を大量に作っていましたし「これが終わったら、次はこれ」と途切れなかったので、何を作っていたのかさえ覚えていないんですよ。はじめて関わって以降、フリーランスとして他の撮影所にも足を運ぶようになり、いろいろな仲間たちと仕事をするようになりました。年齢を考えても、いつまでも「絵描きになる」という夢を追いかけているわけにはいかず、「映画なら一生の仕事にできるかもしれない」と、いい意味で絵描きをあきらめて映画の世界へ飛び込んだことはやはり、大きな出来事でしたね。

頭のイメージを具現化していくのが美術監督の役割

1998年公開の映画『愚か者 傷だらけの天使』以降は、美術監督として制作へ関わっています。作品づくりでは、どのような役割を担うのでしょうか?

総合的に言えば、映画の世界観を作る仕事です。企画段階ではシナリオハンティング(脚本などを作るための取材)といって、いろいろな場所を見に行きます。作品ごとの空気感に沿って「この街がいい」「この路地がいい」とロケ地を決めますが、文章でしかない企画書の内容を具現化し、世界観の全体像を決めるイメージです。
その上で、脚本の進捗に合わせて架空の要素を具体化していきます。セットの装飾や登場人物の衣装の色、照明の当たり具合いなどのプランを実際の絵として描き、作品におけるビジュアル面の骨組みを作るんです。いわゆる「コンセプトデザイン」の作業を元に、監督や各スタッフへ提案するのが一番の役割です。

原田さんが担当した過去作で、ドラマ『深夜食堂』シリーズの登場人物たちが集う食堂は、身近にありそうでリアルです。何をイメージされたのでしょうか?

劇中の食堂はセットですが、僕自身がお酒を飲むのが好きで、過去に行ったことのあるさまざまな居酒屋の要素を盛り込んだんです。記憶にあるいろいろな街の居酒屋、お店の前にある路地を思い出したら自然とアイデアが広がって、独特な内観や外観になりました。周囲の街並みと合わせて、僕と同じようにお酒を飲むのが好きな人なら「いつか行ったことがある」と感じられる作りになっていると思います。

美術監督としてのやりがいは?

企画段階や制作中、実際の絵が浮かんでいない状況でスタッフや出演者に映画の方向性を示す役割は、大きな責任をともないますが、やりがいだと思っています。企画書や脚本の文章だけではイメージのわかない場面を形にして、納得してもらえるように伝えるのは楽しいです。出演者やスタッフと話し合いながら、自分の思ったイメージを具現化できるのも美術監督ならではの楽しさです。

大病を患った経験から「映画とどう向き合うか」を考えた

なぜ、環境問題などをテーマにした「100年後の未来の子孫に映画を楽しむ『良い日』が訪れること」を願うプロジェクト「YOIHI PROJECT」を新たに立ち上げようと思われたのですか?

プライベートなことですが、大病を患った時期に、この先「どう生きるか」「映画とどう向き合うか」とじっくり考えたのがきっかけでした。そのタイミングでコロナ禍も重なり、いずれポストコロナとなったときに「この先、社会が異なる方向へ向かうだろう」と感じたのも、理由にあります。

分野の異なる自然科学研究者の方々とは、どのように出会ったのでしょうか?

元々、地元に研究者の知人がいたんです。ある日、映画『せかいのおきく』にも通じるサーキュラーエコノミー(廃棄された製品などを活用する循環型経済)やバイオエコノミー(再生可能な生物資源を活用する循環型経済)の話を知人から聞きました。ただ、当時は知人の発言がよく分からず「専門知識を持たない一般の方々にも伝わる伝え方をしないと伝わらない。僕の関わっている映画づくりでその手助けができればと思うけど、どう?」と提案したら興味を持ってくれて、現在も協力してもらっています。

現段階で「YOIHI PROJECT」のゴールをどう見ていますか?

ゴールはありません。このプロジェクトは将来的に「持続(サスティナブル)」していくのが理想です。僕にとっての持続とは、様々な社会問題を映画や映像作品として後世まで「伝えていくこと」だと考えています。60代を控える今となっては、生きていられる時間も徐々に減っているのを実感していますし、誰かがプロジェクトを継承して、コンセプトである「良い日」が50年後、100年後にも継がれればと思っています。

クリエイターは本業の枠をはみ出して「ダブルスタンダード」で生きるべき

「YOIHI PROJECT」第1弾となる黒木華さん主演の映画『せかいのおきく』が、2023年4月28日より全国公開します。試写を見られた方からの公開前の反応はいかがでしょうか?

制作者の一人として「いい映画ができた」と自負しています。劇中、おきくはある事件で声を失うという悲しいできごとに遭遇するのですが、それでもあきらめずに生きる彼女を見て「頑張って生きよう」と励まされる方もいらっしゃると思います。実際、海外の映画祭で上映した時は他国の観客からも「頑張ろうと勇気づけられた」という感想をいただきました。江戸時代を舞台にした時代劇で、日本の歴史を知らない人が見て「映画の内容がわかるかな?」という不安はありました。海外で無事に伝わったので、日本ではどういった反応をいただけるのかが楽しみです。

主人公・おきく(黒木)を中心とした人間ドラマの背景には、人の「ウンコ」をリサイクルしていた「江戸の循環型社会」があります。ユニークなテーマを選んだきっかけは?

先述の研究者から出たネタで、一番おもしろいと思ったからです。彼らの話を聞くまでは、江戸の街が世界最先端のサーキュラーエコノミーを実現していたことも知りませんでした。循環の中心にあったのは人の「ウンコ」で、田畑の肥料などに活用されていたことを今の人たちに伝えたい。サーキュラーエコノミーだけでは説教臭い映画になってしまう懸念もあったので、人間ドラマと両立することで、作品に厚みも出ました。

「YOIHI PROJECT」における、今後の作品構想はいかがでしょう?

自然との共生、地域の文化や歴史の継承をテーマに、時代を越えて循環していくような作品を手がけていきたいです。社会問題を考える場合、世代間で問題の向き合い方も違うでしょうから、いろいろな視点から企画を考えていきます。ある特定の方向に絞ることはせず、さまざまな作品を形にしていきたいです。

ロマンあるプロジェクトの未来に期待しています。最後に、挑戦を続ける原田さんから、若手クリエイターに向けたメッセージをいただければと思います。

クリエイターは、アーティストではなく商業ベースで生きていると思うんです。仕事として続ける以上、どこかで特定のルーティンにはまっていくのは仕方ないことですが、別の活動にも挑戦してほしいです。本業へのリスペクトは持ちつつ、別の活動は絶対にやった方がいい。本業の枠から飛び出して、別の何かにも挑戦するという「ダブルスタンダード」でクリエイティブを続けていくのが理想です。
今回、私たちの手がけた『せかいのおきく』では、テーマをはじめ前例のない試みに挑戦しましたが、枠からはみ出すと新たな何かが必ず生まれるとあらためて実感しました。わたしたちと同じように、みなさんにもはみ出す覚悟と勇気を持って、日々のクリエイティブと向き合ってほしいです。

取材日:2023年4月5日 ライター:カネコ シュウヘイ スチール:幸田 森 ムービー 撮影:指田 泰地 編集:遠藤 究

『せかいのおきく』

 ©2023 FANTASIA

2023 年 4 月 28 日(金)GW 全国公開

脚本・監督:阪本順治
出演:黒木華 寛一郎 池松壮亮 眞木蔵人 佐藤浩市 石橋蓮司
製作:近藤純代 企画・プロデューサー:原田満生
音楽:安川午朗 音楽プロデューサー:津島玄一
撮影:笠松則通 照明:杉本崇 録音 :志満順一
美術:原田満生 美術プロデューサー:堀明元紀 
装飾:極並浩史 小道具:井上充
編集:早野亮 VFX:西尾健太郎
衣装:大塚満 床山・メイク:山下みどり 結髪:松浦真理
マリン統括ディレクター:中村勝
助監督:小野寺昭洋 ラインプロデューサー:松田憲一良
バイオエコノミー監修:藤島義之 五十嵐圭日子
製作:FANTASIA Inc./YOIHI PROJECT
制作プロダクション:ACCA
配給:東京テアトル/U-NEXT/リトルモア
公式HP http://sekainookiku.jp/

YOIHI PROJECT https://yoihi-project.com/
Twitter:@yoihi_project
Instagram https://www.instagram.com/yoihi_project/

 

ストーリー

江戸時代末期・江戸。 ある寺の厠の裏で、矢亮(池松壮亮)はたまった糞尿を柄杓ですくい、肥桶に注いでいる。江戸で糞尿を買い、肥料として農村に持ちかえる下肥買いの矢亮は、相方が病に臥せっており、今日はひとりだ。
その厠のひさしの下に、突然の雨を避けようと、大きな籠を抱えた男が駆け込んでくる。不要になった古紙を買い、問屋に売って暮らすその男は、紙屑買いの中次(寛一郎)。そしてその窮屈なひさしの下に、もうひとり走って入ってきたのが、寺子屋で子供たちに読み書きを教えているおきく(黒木華)だ。「ここをどいてくださいまし!」とおきくに追い立てられ、慌ててひさしの下から出ていく中次と矢亮。 3 人の若者たちはこうして雨の日の厠の前で出会った。
中次は矢亮に誘われ、下肥買いの相方になり、ふたりで糞尿を買い歩いては、それを舟で矢亮の地元である葛西へ運ぶ。最下層の仕事に就く彼らは、ときに蔑みの目で見られるが、それでも明るさを忘れない。一方、武家育ちのおきくが暮らす長屋も、孫七(石橋蓮司)ら住人はみな貧しいが、その暮らしは人情味にあふれている。
長屋を担当することになった中次は、ある日、おきくの父・源兵衛(佐藤浩市)と厠で鉢合わせになる。「なあ、“せかい”って言葉、知ってるか。惚れた女ができたら言ってやんな、俺は“せかい”でいちばんお前が好きだって。これ以上の言い回しはねえんだよ」
そう言い残すと、源兵衛は侍たちと共に路地の向こうへ消えていく。そのあとを追い、長屋を駆け出ていくおきく。中次はふたりの背中を眺めるしかない。やがて侍に斬りつけられたおきくは、父と、自分の声を失 ってしまう――。

プロフィール
美術監督・映画『せかいのおきく』企画・プロデューサー
原田 満生
1965年、福岡県出身。美術スタッフとして阪本順治監督などの作品に多数参加したのち、セットデザイナーを経て、1998年公開の映画『愚か者 傷だらけの天使』以降は美術監督として多くの大ヒット作品に関わる。『顔』『ざわざわ下北沢』で、第55回毎日映画コンクール美術賞、第20回藤本賞特別賞を受賞。さらに、『亡国のイージス』で第29回日本アカデミー賞優秀美術賞、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で第31回日本アカデミー賞優秀美術賞を獲得。2023年公開の映画『せかいのおきく』では美術のほか、企画・プロデューサーも務める。

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