「黒門町に間に合いたかった」

第99話
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター
Akira Kadota
門田 陽

住めば都という言葉はずいぶん古く江戸時代よりも前から使われているそうですが、言い得て妙だと思います。言い得て妙という言葉は、と言い始めると冒頭から収拾がつかないのでやめておきますが。僕はこの春、上野に引っ越してきて、半年経ちました(※引っ越しの模様はとりとめないわ91話92話)。まさに住めば都、もうすっかり慣れて古株のような顔をして暮らしていますがここの旧町名が黒門町だったことは住む前は知りませんでした。町内会からのお知らせがポストに入っていて、その名前が上野ではなく黒門町内会だったので気が付きました。そういえばすぐそばの公園は黒門児童遊園ですし小学校は黒門小学校。はい、まぎれもなく僕はいま元黒門町に住んでいます!これはうれしい。

なぜうれしいのか。それは僕が落語ファンだからです。と言っても余計にわかりにくいでしょうが、落語好きにとって黒門町は特別な地名。「黒門町」とは昭和の名人と呼ばれた八代目桂文楽のことで、本人が高座にあがると客席から「待ってました」と共に「黒門町!」の掛け声が飛び交ったそうです。落語界では大師匠になるとその住んでいる町名で呼ばれるのが粋という考え。他にも五代目柳家小さんは「目白」、六代目三遊亭圓生は「柏木」。三代目古今亭志ん朝は「矢来町」。ファン歴のまだ浅い僕はいずれにも間に合っていませんが、最近は地名で呼ばれる落語家さんはあまりいないと思います。笑点でもおなじみになった桂宮治が高座にあがるときに「待ってました、戸越銀座!」という声を聞いたことが何度かありますが、これは粋というよりもシャレなのかもしれません。

落語の世界は業界用語というか符牒が多くその一部は客側も使ったりします。さきほど数行前に書いた「間に合った」「間に合わなかった」というのもおそらくその内のひとつ。あまり他では使わない気がします。たとえば僕は野球も好きで少年時代に生でON(王・長嶋)のプレイを見たことがありますがこれを「間に合った」とは言いませんよね。さらに本業のコピーライターでこれを当て嵌めると僕は土屋耕一さんにも眞木準さんにも岩崎俊一さんにも梅本洋一さんにも間に合いました。

うん?何かへんな感じがします。やっぱり落語以外で使うのはムリがありそうです。あ~、でももし僕が子どもの頃東京に住んでいて寄席に行っていれば黒門町の師匠に間に合っていたのかもしれません。

そんな田舎生まれの僕が令和の今にできることは聖地巡礼くらいかなと、図書館で古い住宅地図を調べて「黒門町」の本名(並河益義)で探すとその住まいはすぐに確定。おっと、ずいぶん近いな。僕の所から徒歩1分もかかりません。スープが冷めないどころか真夏のソフトクリームも溶けない距離でした。行ってみるとそこはもう何の建物もなく車が3台ほどとまれる駐車場でした(※写真①)。

※写真①

その駐車場の斜め前に落語協会の事務所があって、そのせいなのか黒門町の師匠の残り香が感じられ散歩コースにしようと思いました。

と、ここまでこの話をつらつらと書いているうちに遠い記憶がよみがえり居ても立っても居られなくなり気付くと福岡行きの飛行機に飛び乗っていました。僕の地元は福岡市ですが子供時代を過ごした家の隣町の名前が黒門でした。そして通学路に黒門飴と大きく墨文字で書かれた看板のお店があって麦芽水飴から作られた白いキャラメルのような飴が売られていました。飴同士がくっつかないように米ぬかがまぶされていてグラム売り。それをビニールに入れてくれるのですがいつもお店のおじちゃんが少しだけおまけをしてくれてうれしかったことを思い出したのです。数年前にどこからか風の噂で閉店したようなことを聞いた気がしますが、自分の目で確かめたくなりネットでは調べずに現地に向かいます。近くのバス停は昔のままにありました(※写真②)。

※写真②

このバス停のほど近いところにお店はあったはず。しかし当時とまるで違う高いビルだらけの景色で場所がよくわかりません。ここだったよな?と思う位置にコンビニ(ファミリーマート)ができていました(写真③)。

※写真③

あ~、黒門飴にも間に合わなかったとファミマを見つめていたら入り口の横の壁に蛇口があってその隣に小さな石碑が目に留まりました(写真④)。

※写真④

近付いて、そして見て驚きました。そこには黒門飴跡と彫ってあります(写真⑤)。

※写真⑤

なんかわからないけど涙が出ました。石碑には他の文字は何ひとつありません。誰がいつ作ったのでしょう。ファミマの店員さんに尋ねたけれどわかりませんでした。

でも、わからなくていいとも思いました。調べてわかることよりも色々想像することの方がいいことだってあるよなぁ、としみじみしたある秋の一日でした。

ところで最近ときどき通う大阪黒門市場(※写真⑥)の旨いビフテキ屋さんの話はまたの機会に。

※写真⑥

(※文中敬称略をお許しください。)

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プロフィール
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター
門田 陽
クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州、(株)電通を経て2023年4月より独立。 TCC新人賞、TCC審査委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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