“闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう”

Vol.182
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

小学6年生の時

活動していた学校のミニバスケチームがたまたま強くて

佐賀県で優勝した事がありました。

 

普通、野球をやるような運動神経のいい子たちが

何故かその年はバスケ部に集まっていたことや

僕ともうひとり、小学生で170センチを超えたでかいメンバー

がいた事で、指導者の先生も本気になり、毎日きつい練習を

していました。

 

朝練があり、夕方から夜遅くまで、中学生を相手に試合をしたりして

小学生のするような日常ではありませんでした。

嫌だなあ、こんな毎日、辞めたいなあ。と

学校の帰り道に駄菓子屋でゲームする話をしている同級生の輪に入れなくて

そう思っていました。

 

それでも優勝したら嬉しくなっちゃって、なんか報われたんだなあと

思えるようになりました。多分。

褒められたり新聞に載ったりしたからでしょう。

 

県で優勝した後に、九州大会に出ることになり

移動や宿泊にお金がかかるので、当然、佐賀市からお金が出ます。

そのため、そういう大会に出るいろんな部活は市役所に挨拶に行くことに

なっていました。

行く前と、帰って来てからの報告が礼儀。

 

九州大会では準優勝になって、その報告に市役所の教育長の部屋に

行くんですが、帰りに執務室のおっさん(市役所職員)から「今度は勝ってからこいよ」

とヤジが飛びました。そのおっさんは執務中に大人2人で囲碁をしていました。

 

ん?と思いました。

 

その後、全国大会にも出場することになり、また市役所にメンバー全員で

出場の挨拶に行ったのですが、同じおっさんから「また来た」というヤジ。

 

そして、全国大会でも準優勝で帰ってきて、また挨拶に。

そしたら、また同じおっさんが

「また負けたか、勝ってから来いって言ったろうが」

とやじりました。

 

ものすごく頭にきて、なんだか「うるせえジジイ」みたいな事を僕は言ってしまって

それがすごい問題になって、小学校の校長先生から学校に親まで呼び出されて

酷く叱られた。という事がありました。幸いなことにその全国大会直後に小学校も卒業

だったので、その後に大きなことにはなりませんでしたが。

 

なんでヤジったおっさんはお咎めなしなのかが分からなかったのです。

あのガキ生意気だよな。で終わったんでしょう。

チームのメンバーが黙っているのも分からなかった。

 

なんでこんな話を思い出したかというと、オリンピックのせいです。

 

オリンピックに出た選手が、期待に添えず敗退したりすると、この国では

大変申し訳ありませんでした。と謝らなければいけない。という風潮があります。

この問題もずいぶん昔から言われていますが全然無くならない。

ネットで叩く奴らの論理も、税金使って派遣されてんだから負けてくんじゃねえよ。

という言い分。

スキージャンプでユニフォーム規定違反だと後から言われて失格になり

飛んだ後泣き崩れる人がいましたが、あの選手の叩かれ方や、出した謝罪文みたいなのも

全く納得いきません。そんなことしなくていい。と思う。

 

僕は子供だったのであの時、言葉が思いつかず、ヤジって来た市役所職員にちゃんと抗議の

意見を言えなかったことが。その場でものすごく悔しかったのを覚えています。

 

今、当時の気持ちを考えたとして思ってただろうことは

まず、スポーツチームは市役所に挨拶なんかいきたくて行ってるわけではないのです。

めんどくさい。偉い人たちでやってくれ。と。

市役所の玄関でポケットからメダルをわざわざ出して

みんなで制服の上からわざとらしくぶら下げたりして。

 

軽く言ったのかもしれないが、それをそこにいる市役所の職員にやじられる覚えもない。

 

お前、なんかで優勝したことあるんか?どんな生活したらそこにいけるか知ってるか?

九州大会や全国大会で、小学生が試合前にどんな気持ちになるか知ってるか?

決勝戦の相手がどんなに強そうに見えるか、コートで足が浮いたままのような感覚知ってるか?

ミスして負けたり、ファールで退場したり、怪我したり、仲間割れしたり、試合を重ねるごとに、

レベルが上がるごとにいろんな具合の悪い事が起きるんだぞ。その都度落ち込み自分を責める。

それを無理やり奮い立たせて次の試合に向かうんだぞ。

不安で眠れない初戦の前の日や、勝った時の達成感や高揚や、負けそうな時の絶望や、

負けた時の屈辱や、そういうのを観客のいっぱいいる体育館で味わった事ねえだろう。

 

中島みゆきの歌みたいな事が襲いかかって来て、ちっちゃい僕の心は傷ついた。

“闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう” (※)

 

そういう事を経験したことのある人間はそんな人をやじったりしない。

お前程度の、仕事中に囲碁やってて首にならないようなくそ平和な人間が

努力をして結果を求めている小学生を軽くヤジってんじゃねえぞ。

 

と思っていたんでしょう。

 

オリンピックに出る人たちとは次元の違う話なんだけど、なんだかそういう風潮は

もっとあるんだなあ。まだあるんだな。ネットでの攻撃が増えて悪化しているのかもしれない。

ジャンプの選手に、メイクしてる暇があったら練習しろ。的な事を書き込んでる奴もいると聞きました。馬鹿なのか?分かれと言っても無理な

のか?

 

大体、オリンピックの選手が勝とうが負けようがお前の給料はそんなに変わらないはずだ。

勝手に応援してるんだから、人生かけて勝負して失敗してる人間に

ガタガタ言ってんじゃねえ。といまだに思うのです。簡単な話じゃない。

 

私はそういう機会に恵まれた事がありません。と言っているようなもんで、

大半の人間はそうなんだろうけど、失敗した人を叩くのに快感を覚えるのは、勝負をしたことのない人間がする事で恥ずかしい事だ。恥ずか

しいという風潮にしなきゃダメだ。

他人への尊敬と想像力ってのがなさすぎる。

 

叩かれる側のダメージはものすごく大きい。

 

仕事でも生活でも、身震いするような勝負の場に自分の身を進んで置いてみればいいだけだ。

そんな根性のない奴が、気持ちを込めて真剣にやってる奴を軽く批評する。

うんざりするんだ。

実は、この問題は仕事の中でも、生活の中でも、学校でもどこでも起きている。

 

選手は晒されるのが運命。

それも覚悟してオリンピックに出るんだから試合以外にも相当なメンタルの強さが

必要なんだよなあと尊敬の念しか持てないのです。

 

彼らを見ていて得るものは、大きい仕事のプレゼンを任された朝に

彼らのことを思い、平気でいられるように自分をなだめるようなことに

フィードバックしたり、強くいられる自分のネタにすればいい。

何も起きない人生が、ひがんで叩く対象ではない。

 

※中島みゆき『ファイト!』(1994年)

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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