会社を変わりました

番長プロデューサーの世直しコラムVol.79
番長プロデューサーの世直しコラム 櫻木光

五月から新しい会社に入りました。

幸いな事に、小・中・高と転校というものを経験した事が無く、当然のように、前の会社にも新卒で入社してから22年間居座り続けてきたので、実は、所属する組織を途中で変わるという事がはじめてだったのです。 いつも所属している場所で、何となく名物男みたいな感じになって威張っていたから、「番長」と呼ばれるようになっていたんでしょう。

転校生になってみてはじめて、転校する側の気持ちが解りました。 ものすごい緊張感。 怖いと思える事がまだあるんだなあと思いました。

今回、あえて誰も知り合いの居ない組織を選んで入って行きました。 45歳になる年に、いままで築いてきた地位も立場も通用しない場所に行って、一からやってみたかった。 老朽化し始めた自分のCM制作のシステムも一回リセットして、新しい集団の中で、新しい立ち位置を見いだしていかなきゃいけない。 そんな、辞める時の気持ちとはまた別の感情がにょきにょき出てきました。 不安だったのです。

マイケルジョーダンは、NBAで3連覇した次の年に、いきなりバスケを辞めて野球、メジャーリーグへの挑戦を始めた事がありました。 その姿が、僕の中で最高の人生を楽しむ人。として焼き付いています。

ジョーダンはほとんど野球をやった事が無かったそうです。 子供の頃にやっていたと言われていますが、その時はピッチャー。 メジャーに挑戦した時は、バッターで外野手です。

「ジョーダンは野球では失敗した。」という事になっていますが、 本格的に野球をやった事の無い30歳を過ぎた人が、 しかも中学時代からずっと注目されてバスケしかしてこなかった人が、 プロに入って「バスケットボールの最高の基準」と言われた人が、 いきなり野球に転向して最初の年に(2Aのバーミンガム・バロンズといえども) 127試合に出場して 打率.202 出塁率.289 長打率.266 5HR 51打点 30盗塁 という成績を残しています。 これ、失敗でしょうか? 3年やっていたらどうなっていたのでしょう? 大リーグのストライキのせいでバスケに戻っちゃうんですけどね。

血のにじむ様な努力だったと思うのです。きっと、並大抵の努力じゃありません。実際、当時のバロンズのフランコーナ監督(松坂が入った時のボストンレッドソックスの監督だった)は、「いまだにジョーダンより練習する野球選手を見た事が無い。」と言っています。

そんな事を思い出して、まあ、ジョーダンのやった事に比べれば、俺の転職なんて部屋の隅に落ちている髪の毛みたいなもんだな。と。

それなら、できる事をいつまでも続けて得意になってないで、やった事の無い事をしよう。というテーマにシフトするべきだ。 とはいえ、同じCM制作を生業にするのは変わりがなく、バスケから野球に転向するのではなく、バスケの他のチームにトレードされて行く様な物です。 それで、俺がやってこなかった事は何だ?

さんざん思い悩んで、新しい会社での自分のテーマを決めました。

「これからは敵を一切作らない」です。

誰かに言ったら吹き出して笑われちゃいましたが、僕にとってはそれほど突飛に見えるテーマでもあるのでしょう。 性格を変えるに等しい。

前の会社では、新入社員で入り、若くて、何をどうしていいか解らず、はやく自分の居場所を確保するためにバンバンつっぱって、いろんな人を敵に回してきました。一人前になってからも、「金を稼げ」というシンプルな命題のもと、会社の中では議論した末に理解を得られない場合は「脅す」という技を使って自分の意見を押し通す事ばっかりだったと思うのです。恨まれていたでしょう。 また、自分の中での仕事へのこだわりが頑すぎて、「こうじゃなきゃいけない」を曲げなかったのかもしれません。 怖いというイメージが、話が手っ取り早くて楽だったのかもしれません。 とにかく強がっていないと潰れそうな気持ちだったんです。

僕らの様な個人商店の集合体のサービス業において、意識を外に向けて、真面目に顧客優先の考え方をすると実はそうなって行くんでしょう。実際、個人レベルでの仕事はそれでうまく言ったのかもしれませんが、会社という組織の中ではあまりうまく機能しませんでした。危険人物として扱われたからでしょう。

自分が一番何をしなければならないかを考えるのがおっくうで、無理矢理に敵を作って、それを攻撃する事でモチベーションを上げる。攻撃される事で反骨心を燃やす。みたいな仕事の仕方はやめなきゃいけない。と思ったのです。

もう、何をしなければいけないかは解ります。 その事に賛同者を増やして、人材を育成して、より規模の大きい仕事をこなす集団を形成するのが自分の役割ではないかと、ようやく思うようになってきました。

簡単にいうけれど、これができれば島耕作です。一筋縄ではいかない。そもそもの自分の過激な性格をコントロールしなければならない。そう考えると、新しく掲げたテーマは、僕にとっては、ジョーダンが野球に転向するくらい難しい物で、人格を賭けてそれだけの努力をしなきゃいけないんだと覚悟をしました。

あと20年走るためにはそれをやらなきゃね。

幸いな事に新しく入った会社は、新しいメディアへの対応も進んでいて、(進んでいてというか、切実にやる機会が多いんでしょう)みんな若く、元気で、礼儀正しい人たちでした。 やっていけるんじゃないかと思っています。

Profile of 櫻木光 (CMプロデューサー)

プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。


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