「ララバイ」とは 子守唄のことである

横浜
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

「ララバイ」とは、子守歌のことである

 英語に詳しい人ならば、このタイトルを一見するなり
「何で当たり前のことを…」と思われるであろう。

 実際、モーツァルトの子守歌は、英語では「Mozart’s lullaby」の表記となる
アイヌ女性が赤子の耳元で「オホㇽㇽㇽㇽㇽ」と喉を鳴らすイフンケ(子守歌)は、
英語では「Ainu’s lullaby」となる。

貧しさ故に子守奉公に出された娘の愚痴が悲しい70年代の流行歌「竹田の子守唄」は「Takeda Lullaby」となる。

Lullabyとは、子守唄のことである。

 だが、あえて言いたい。
ララバイの意味を誤解している、あるいは誤解していた人は、相当多数に上るのではなかろうか

「ララバイとは、情熱的な恋歌」であると

 

そもそも、ララバイという語感がよろしくない
西洋文化を生半可に理解し、戦後のB級文化にドップリ浸かった耳には、
ララバイの語はどうしても「情熱的」に聞こえてしまう

真夏の油のような夕暮れ
そんな黄金色の陽光に炙られる男と女
はしゃいで踊ってラララと歌いバイバイと熱い別れを告げる
そんなイメージがイヤでも浮かんでくる。

 

そのうえ、似た語感の言葉がよろしくない
恋の好敵手「ライバル」に語感が似ている
だからして、一層に余計な勘違いを招いてしまう。

ララバイは恋のさや当てだと。

 

その勘違いを決定づけたのが、1981年、昭和56年流行の歌謡曲
ハイスクールララバイ

テクノ風の軽快な旋律でコミカルに歌いあげられるのは、
クラス一の美少女に熱を上げストーカーまがいの挙動に出るモブ少年の生態。
「下駄箱のラブレター」という設定が、令和から見ればもはや異次元だ。
個人同士で連絡を取り合うのが難しかったケータイ以前、ネット以前の「ティーン」の悩みを代弁している。

曲のサビは「好き好きベイビー」「無理無理ベイビー

 いくら「赤子」を意味する言葉こそ使われているとはいえ
とても赤子を寝かしつけられるような歌ではない。
ましてや恋の末の学生結婚を予感したような歌でもない。

英語としてのLullabyを正しく理解していなければ、視聴者はまず誤解してしまうだろう。
「ララバイ」とは、恋の情熱を歌い上げた歌であると。

 

だが幸か不幸かララバイはアーティストの琴線に響いた。
翌年、昭和57年には「聖母たちのララバイ」がリリースされる。

都会に、仕事に疲れた男たちを慰める聖母
歌いあげる岩崎宏美の、壮絶なまでの声量と肉感の美

 

 さらに翌年、昭和58年。
チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄

不良少年の孤独
駆け落ちの失敗
不慮の事故で親友を失う悲しみ

 そんな心のスキマを埋めるサビは
わかってくれとは言わないが
そんなにオレが悪いのか
ララバイララバイ おやすみよ
ギザギザハートの子守唄

 子守唄の言葉こそオープンにされているとはいえ
サキソフォンの官能的な旋律に捩じられて
ララバイララバイの語は芸術のごとく曲調を爆発させ感性を揺さぶる。

 

昭和後期の流行歌により、ララバイへの誤解は決定づけられた。

 ライバルに嫉妬する
思いのたけをぶちまける
感性を爆発させる
情熱的な恋の歌

 それこそララバイ!

 

その流れからか、子守唄など入り込む余地のないバイク漫画「あいつとララバイ」が生まれ
平成の世になっても「ララバイ」の語を関したロック調の歌は続々と生み出されている。

ララバイとは子守歌のことである。
だが誤解、あるいは意図的な読み替えから発したインスピレーションが
サブカルチャーを爛熟化させていくのも文化の面白さ

プロフィール
フリーライター
角田陽一
北海道生まれ。2004年よりフリーライター。アウトドア、グルメ、北海道の歴史文化を中心に執筆中。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)。執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(宝島社 2019年)、『アイヌの真実』(ベストセラーズ 2020年)など。

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