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井筒和幸の Get It Up !
井筒和幸の Get It Up !の記事一覧
2023.06.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.62
映画監督 井筒 和幸
ハリウッドに、それまでのベトナム戦争に疲弊した社会を写すニューシネマに代わり、全世代型のファミリー映画が現れたのは確かだった。
誰からも頼まれもしないのに撮ったボクのピンク映画もどきは、新宿のピンク専門の配給会社によって公開されたはずだが、さて、東京のどこの、関東の、東北の、北海道の、は
2023.05.10
井筒和幸の Get It Up !
Vol.61
映画監督 井筒 和幸
ボクは小躍りしたくなるほど嬉しかった。 同世代の若者たちに見てもらえるなら願ったり叶ったり、だ。
「映画は、人を退屈にさせてはならないし、愉しませて、悲しませて、喜ばせて、時間を忘れさせるものです、さて、次に紹介するのはこのアメリカンニューシネマです。主演は
2023.04.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.60
映画監督 井筒 和幸
半年間で、劇場用映画とは何かを学んだことだけは確かだった。でも、 もう二度と映画は作れないなと、自分の無能を改めて思った。
仲間たちとピンク映画もどきの制作に命懸けで挑んだものの、既成の日本映画なんて壊してやる!映画界に殴り込んだる!と気合いを入れたものの、ボクらが作った『性春の悶々
2023.03.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.59
映画監督 井筒 和幸
初めての35ミリフィルムをキャメラにつめて、ロケ撮影は大阪郊外、奈良の河原、京都など方々で気ままに敢行。すべて神出鬼没のゲリラ撮影だった。
1975年、ボクは仲間たちと自主製作映画、『性春の悶々』の制作に人生を賭けた。他人の作品を何百本見てこようが、何でもいいから、自分が作りたい映画を作らなければ、
2023.02.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.58
映画監督 井筒 和幸
大阪の天王寺の深夜喫茶で見つけた彼女は、女工の役を気前よく引き受けてくれた。
映画館にかかる邦画は、アメリカンニューシネマの新鮮さはなく、見劣りするものばかりだった。『エクソシスト』(74年)は悪魔をリアリズムで見せる世界初のものだった。
2022.12.07
井筒和幸の Get It Up !
Vol.56
映画監督 井筒 和幸
勉強になる映画は、間違いなく、ボクの人生に役立っている・・・・。
1973年がくるのが殊更、待ち遠しかった。年が明ける前に、大阪の歓楽街・新世界にある洋画封切り館にかかっていた『バラキ』(72年)なんぞを、何か得るものがあるか
2022.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.55
映画監督 井筒 和幸
勉強にならなかったものは忘れている。その30本を、もう一度観てみたい。
1972年、この年は見たくてうずうずする映画が、次から次に封切られて、ほんとに映画の勉強になって良かった。でも、もう親から小遣いはもらえないし、仕方ないからバイ
2022.10.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.54
映画監督 井筒 和幸
正しい演技、間違った感情・・・、ほんとに、正しい選択を見抜くそんな職人になれるのだろうか。
高校を卒業して、しなければならないこと、行かなければならない場所がなくなった時、ボクはやっと「自由」を手に入れた気分だった。『イージー・ライダー』(70年)で焚
2022.08.03
井筒和幸の Get It Up !
Vol.52
映画監督 井筒 和幸
「映画を作って生きていけるなら何でもしますと、悪魔ならぬ、映画の神に祈りながら・・・・」
洋画や邦画を片っ端から見ることに明け暮れた1970年代を、再び、追想したい。ボクが17歳から10年間に見た映画は数え切れない。恐らく、その10年間は後の80年代
2022.07.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.51
映画監督 井筒 和幸
「大学を卒業してからじゃ、そんな感性は失くなってしまうし、どこかの会社に勤めて、そこの歯車になっては、なおさらだろう。」
人生は一度だ、この世以外に何がある、人は一人で耐え、一人で笑い、生きるのだ、と思わせる映画は、確かに気が安らぐのだった。主人公も孤独だし、誰もがそうなんだと気づ
2022.06.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.50
映画監督 井筒 和幸
「映画は孤独を慰めてくれるのではなくて、孤独だと気づかせてくれる」と、 メモにある。
享楽的なモノ、つまり、正義の味方が登場して、問題を解決する、早い話が、勧善懲悪なモノ。そういうものは映画館の前に立った時に直感で分かった。でも、映画は日々の喜怒
2022.05.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.49
映画監督 井筒 和幸
「相変わらず、日本映画に中身がなく、ウソっぽくて取って付けたドラマが多く、食指が動かなかった」メモにある。
享楽的で荒唐無稽なモノには、興味がなかった。唯々、社会勉強、人生勉強になるモノを探した。それが、ボクの日々の充足感だった。高校入学してすぐに体験したスタンリー・
2022.04.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.48
映画監督 井筒 和幸
「うっ憤や退屈が、脳に沈殿してしまうと、人生はつまらなくなって当然だ。 そのための映画なんだ」とメモにある。
と、前回にも書いた。これは18歳頃のボクの映画への思いだった。折角、現実の気だるい時間を割いて映画館という非日常に逃げ込むのだから、心を揺さぶってもらいかった。
2022.02.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.46
映画監督 井筒 和幸
「思春期からの数多の映画が、ボクの血肉や骨、そして、心まで作ってきたように思う。そうとしか考えられないのだ。」
少年の頃は、映画館に入る度に祈ったものだ。今日も頼もしく、おかしな奴や、胸に迫る場面に出会えますように、と。 アメリカ映画の『バルジ大作戦』(65年)では真冬の
2022.01.05
井筒和幸の Get It Up !
Vol.45
映画監督 井筒 和幸
「映画が生涯の友どころか、近いうち、自分で撮る日も来るだろうと夢に見たのもその時だった。」
映画館を出る度に思ってしまう。どうしてここまでどうにもならない他人の出来損ないの人生に、真面目につき合えるものだと。そんなお人好しで暇な人間なんてそういるもんじ
2021.12.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.44
映画監督 井筒 和幸
「どうしてこんなに現実は退屈なんだろう。そして、現実はつまらないか、哀しいか、だけだった。」
これからのボクの映画作りは、小説家の書く物語、お伽話とは決別して、現代や過去の出来事、事件、人、モノ、コトを自分なりの思想でどう切り取って自分なりに再考再現して
2021.11.02
井筒和幸の Get It Up !
Vol.43
映画監督 井筒 和幸
「自分の映画を作っていこう。そうしないと自分の心が、自分の思想がどこにあるのかも分からなくなる。80年代の撮影所システムで学んだことだった。」
『犬死にせしもの』は1986年の4月半ばに封切られたが、スマッシュヒットにもならず、とても残念だった。でもボクはもう当分、メジャー映画は撮りたくないとも思った。
2021.09.01
井筒和幸の Get It Up !
Vol.41
映画監督 井筒 和幸
ストーリーや銃器アクション、海上でのキャメラワークにこだわったニューシネマを撮りたかった。ボクには「映画こそ命」だった。瀬戸内の海で朝、昼、夜なく、キャメラを回した。
勝新太郎さんの奥方の中村玉緒さんも、海賊の真田広之の母親役で参加してくれた『犬死にせしもの』。海の上での撮影は困難を極め、船酔いしている暇さえなかった。長さ10
2021.08.04
井筒和幸の Get It Up !
Vol.40
映画監督 井筒 和幸
べタな娯楽モノしか作らない邦画界の横っ面を張り飛ばしてやりたいとボクの血も騒いでいた。「海賊でもやって一旗揚げて、…どうせおまえもわしも一遍も二遍も死に損ねた身体じゃ」という原作の一節はボクの気分を代弁していた。
京都の大映撮影所は今、その跡影もない。『新・悪名』で台詞を喋りながらカレーライスを10カットの間に完食してしまう勝新太郎や、相棒の田宮二郎の名コンビを生み、『眠
2021.01.06
井筒和幸の Get It Up !
Vol.033
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸
鳴り物入りの娯楽作品を撮らされることになり、何もかもが、意外な展開に?
85年4月末からゴールデンウィーク向けに封切られた日活作品『金魂巻』は、人気スター俳優が一人も出ていないし、日活がロマンポルノ路線の印象を塗り替えようとして我々
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