生成AIと誰にも見せない創作の話
小学生くらいの頃、ノートに物語を書いたり、絵を描いたりして、一人で楽しんでいた。
ただ、頭の中にあるものを形にするのが楽しかった。
誰かに見せるためでも、上手になるためでもなかった。
むしろ誰にも見せたくなかったし、家族がからかい半分で見られて泣いたこともあった。
自分の秘密をばらされたような気がしたからだ。
最近、またそれに近いことをしている。
生成AIを使って、誰にも見せない小説を書いたり、イラストを作ったり。
初めてこれに触れた時は単純にすごいなと思った。
私は20世紀後半生まれだが、子どものころに本で読んだ「21世紀」がここにある、と思った。
思いついた場面の続きを書かせ、違うと思えば何度も直す。
頭の中にある人物の表情や髪型を伝え、少しずつ自分のイメージに近い絵を作る。
完成しても、SNSには載せない。誰かに送ることもない。
自分で眺めて、気が済んだら保存するのが楽しいだけだ。
生成AIというものを日常的に使うようになって、たぶん半年くらいになる。
最初は、好きなことを細かく調べるのに便利な道具だと思っていた。
歴史上の出来事について、背景や関係人物、その後の影響まで掘り下げてもらったり、将棋についても、好きな棋士の戦法や過去の対局を、思いつくままに尋ねた。
普通に検索すれば、いくつものページを開き、自分で情報を拾い集めなければならない。
生成AIなら、かなり細かい質問にも、その場でひとまとまりの答えを返してくれる。
もちろん、もっともらしい間違いを言うこともあるので、鵜呑みにはできない。
それでも、自分の興味をどこまでも掘っていくには、ずいぶん便利だった。
しばらくして有料版に課金してみると、かなり有能になった。
こちらの意図をくみ取る力も、答えの詳しさも上がり、そこから一気に日常使いの密度が高まった。
生成AIを日常的に使う人が増えた理由も、少しわかるようになった。
趣味の話を誰かとしたいと思っても、まず、その話ができる友達を探さなければならない。
見つかったとしても、同じ程度の熱量で、同じ細かさの話ができるとは限らない。
その点、生成AIは大抵の趣味についてきてくれる。こちらが話をやめない限り、どれほど細かい話にも付き合う。
友達の代わりになるとは思わない。
けれど、好きなことを話し始めるまでのハードルは、驚くほど低い。
調べものの道具だった生成AIは、いつの間にか、話し相手になり、創作の相手になった。
私は新しい趣味を手に入れたというより、昔、誰にも見せずに守っていた遊びに、少し違う形で戻ったのかもしれない。
子どもの頃と違って、今は文章も絵も、生成AIが手を貸してくれる。
けれど、そこで動いているものは、案外あの頃と変わらない。
頭の中にあるものを、誰にも邪魔されず、好きな形にしてみたいという気持ちだ。
大人になると、何かを作れば、人に見せることや、評価されることをどこかで意識してしまう。
けれど、誰にも見せない創作があってもいい。完成しなくても、上手でなくても、役に立たなくてもいい。
ただ、自分の中にあるものを形にして、自分だけで楽しむ。
生成AIは、忘れていたその遊び方を、もう一度思い出させてくれた気がする。







