ワクワクできる道を信じて続けること。パイオニアを目指すこと。 多くの人と感動を共有する先に見えてくる景色がある!
全国的に話題となった“幻のフリーペーパー”「美少女図鑑」の構想段階から制作に加わり、創刊後もずっと新潟の女の子をステキに撮り続けてきた、フォトグラファー吉沢浩二さん。 studio Roopの代表として、成人式やブライダル、家族写真、広告写真等、さまざまにジャンルを広げる中で、2012年、突然心臓の病気を患う。病気を克服した今、自身の死生観を含めた考え方、目指す道についてなどさまざまなお話をうかがいます。
新潟以外は考えたことがない。地方だから頑張れる&目立てるはず!
カメラマンを目指したのは高校1年生ということですが、その後の学生時代はどう過ごされていましたか?
もともと祖父から譲り受けたフィルムカメラを持っていて、親からも写真を撮ることをすすめられていました。広末涼子さんのグラビア写真は衝撃的で、この雑誌を誰にも見られたくない!独占したい!と思って、有り金すべてを出して雑誌を買い占めたんです。それほどに強く自分の心を動かしたんだと今では思います。
専門学校時代に、雑誌編集社を2つアルバイトで掛け持ちしていまして、1社で制作のノウハウを学び、もう1社では人と人とのつながり、要するにコネクションの大切さを学びました。アルバイト代は、すべてフィルム購入と現像代に使っていましたね。23歳くらいまで「お金なんてなくていい」と思っていました。
「美少女図鑑」が大ヒットして、「女の子を可愛く撮る=Cozi(フォトグラファーネーム)」の公式が不動のものとなりましたね。
おかげさまで若い子の間では名前が知られるようになりました(笑)
自分の中では、代表作というか、冠がないと有名になれないと思っていたので、好きなジャンルでパイオニア的な存在になれたのはラッキーなことでした。あとは、写真を撮るだけではなく、被写体を発掘して→ブラッシュアップして→世に出すことも視野に入れていたので、美少女図鑑から何人も芸能関係者(タレント、女優、アイドル)が生まれた経緯も成功の鍵だったのかなと思います。
専門学校卒業後、新潟でフリーランスの道を選んだ理由は?
19~23歳頃まで海外に出て、バックパッカーなどを経験する中で、カメラマン以外にも自由で楽しいことをさらに模索していきたい想いがありました。あとは、地元で活躍されているクリエイティブな先輩達の背中を見てきたので、自然と新潟で活動することを選んでいたのかも。新潟以外は考えなかった、という方が正しいですね。常に「もっとワクワクすること」を探していて、その根本的な部分は今も変わっていません。
24歳でご結婚、25歳でstudio Roop開設、その頃の想いは?
経営については全く無知でしたから、開設当時はもう「がむしゃら」でした。 また、高校生から付き合ってきた彼女と結婚したことで、「人生の大切な瞬間」について深く考えたときでもありましたね。成人式・結婚式・七五三・入学式など…今しかない、残しておきたい瞬間の写真は、家族の宝物になります。そこから「クリエイティブ」「メディア」「メモリアル」という、studio Roopでの3つのカテゴライズができ、各分野を得意とするチームメンバーに恵まれました。
自分の信じた道を続けていくための、マネタイズするスキルが身についた。
2012年に大病を患ったということですが…
突然の心臓発作で倒れて、救急搬送。何度も大きな手術を受けましたが、それまでずっと健康で生きてきたので、当時は「なぜ自分が…」「もう死ぬんだ」と自暴自棄になっていました。完治することはない、と言われていたのになぜ治ったのか?その理由は分かりません。でも死に直面したからこそ、「限られた時間を有効に使おう」という考えにシフトしました。お金を稼ぐための仕事に使う時間を、もっと大切な家族や、自分自身のための時間にしたいと。仕事を減らすということではなく、効率的に考えて動くということですね。
現在はどのような活動が中心となっていますか?
今、4人のカメラマンとオペレーター1名、マネージャー1名のチームで活動しています。今後はチームスタッフのサポートと、プロジェクトのディレクションを担当します。スタッフには、プロジェクトを進める際にも、指針にしていることが以下です。
①誰もやっていないことをする
②いかがわしくても良いから「純粋」であれ
③できるだけユニークに
④ワクワクすること
⑤誰もが幸せにつながること
プロジェクトの一例としては「こども写真研究所」という活動を進めています。下から上を見上げているのが子どもの目線です。おもちゃひとつを取っても、大人とは違った視点で撮影するのが面白い。子どもの視点・好奇心で撮った世界を「写真展」で表現できたらいいなと思っています。いずれ、学校教育として写真の授業を取り入れていくことを視野に入れて、自分自身も楽しみながらプロジェクトを進めていきたいです。
考え方の体系化やプランニング力などは、どこで培われたのですか?
自分を信じて突き進む、地元のカッコイイ先輩達の影響と、あとは2017年から新潟青年会議所に所属して、さまざまな分野の方と出会い、自分の知らなかった世界を学びました。実は入会するまで苦手な分野で…避けていたんですよ。でも、いざ「やりきってやる」と覚悟を決めたら、驚くほどの成長を感じられました。好きなことをリアルにカタチにしていくスキルが身についたと思います。
新潟でお仕事を続けていく意味や魅力についてお聞かせください。
好きなこと、得意なことを合わせて仕事にする場所が新潟だったということだと思います。新潟は、自由な時間、普段の生活を満喫できます。
新潟だから、地方だから叶うことがある。あとは、その地、その分野でのパイオニアになることが大切だと思います。後発になれば、当然単価を下げたり、付加価値をプラスしたりと何かしら差別化していく必要に迫られますから…。
あとは全国から「新潟で生まれ、暮らせる人が羨ましい」と思ってもらえるような地域にしていくことも使命のひとつだと思っています。
子どもたちへ未来を、趣味人へ場所と機会の提供を!多方面で自分の役割を見出して。
これからの夢や展望、将来のビジョンは?
自宅を角田浜(新潟市西蒲区の沿岸部)に構えていて、近くに国道があるのですが、そこはクルマやバイク好きな方がよく通る道なんですね。趣味を謳歌している方が実に多い。その国道に「趣味の聖地」のような場所をつくるのが夢です。
数年前から、自宅周辺で手に入れた流木を製材して、写真やイラストとコラボするオリジナルのアイテムを制作・販売していますが、こういったアート作品も「聖地」で展示していけたらいいですね。今まではただ写真を撮ることに集中していましたが、より幅広い視野でさまざまな人とつながりあって感動を共有したい!と強く思っています。
女子高生から支持を得た吉沢さんが、今度は子どもたちや、趣味を謳歌する人たちまで、あらゆる世代を取り込んでいくわけですね!
さきほどお伝えした「⑤誰もが幸せにつながること」を多方面に実現していきたいですね。
最後に、地方にU・Iターンを考えているクリエイターへメッセージをお願いします。
新潟はとても素晴らしい町だと思いますが、あまり場所は関係ないかなと個人的には思います。どこにいても大丈夫!自分を信じる気持ちがあればどこでだって活躍できます!
目指すものがあれば頑張りやすいし、地方は頑張った人が勝ちやすい特性がある。
ただ、やりたいことがあったら早めに動くことです。迷っている時間はもったいない。
とにかく「純粋」な想いで進んでいきましょう。いかがわしくたっていいじゃないですか(笑)
「美少女図鑑」なんて、今振り返るとすごいタイトルですよね!? 好きなことを、好きなように表現していけば、きっと周りのみんなも応援してくれると思います。
取材日:2019年11月29日 ライター:本望 典子