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映像2021.11.17

『私はいったい、何と闘っているのか』で再び安田顕とタッグを組んだ李闘士男監督。「安田さんには思いっきり情けなく演じてもらいました」

Vol.33
映画『私はいったい、何と闘っているのか』監督
Toshio Lee
李 闘士男
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『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』の李闘士男(り としお)監督が、どこにでもいそうなマイホームパパの奮闘を描いたハートフル・コメディ『私はいったい、何と闘っているのか』。

地元で愛されているスーパーの万年主任・伊澤春男は、家でも職場でも空気を読みムダに気を遣いまくるが、よかれと思ったことがことごとく裏目に出てしまう空回り男。そんな彼の脳内は、日々妄想が炸裂し、毎日が戦場と化していた……。不思議と憎めない愛すべき主人公・春男を安田顕が哀愁たっぷりに好演している。

今回は、愛すべきキャラクターの作り方、コメディ作品を制作する上で大事にしていること。そしてクリエイターとして、もっておきたい視点について語ってもらいました。

 

コメディを撮るには出演者が愛されるように作るのが大前提

監督は以前、あまり大きな事件が起こらない作品が好きとおっしゃっていました。今回はまさに、一見平凡に見える春男の日常を描いた物語ですよね。

そうですね。今回もそこまで大きな事件や事柄がある物語ではないです。最近の映画は、ゲームのように事件が巻き起こるシナリオが多いですよね。

それは面白いし刺激的だし、絶対楽しいのも分かっているんです。ただ一方でとくに大きな山場がないけれども、見ている人が引き込まれる映画を作れたら素敵なんじゃないかなという思いもあって……。これって、どっちが正しいとか間違っているとかではないんですけど、今回は低刺激性で当たりにくい作品になっています(笑)。

ちなみに大きな山場のない映画を見続けてもらうためには、登場人物に観客が共感できるかが重要です。映画内の架空の人物であっても愛着がもてるキャラクターであれば、見ている方は彼らの「行く末を見守りたい」と思ってくれます。

春男や伊澤家の家族、スーパーの人々、彼らのおかしさにどうしたら興味をもってもらえるかを考えました。以前、『デトロイト・メタル・シティ』を撮ったとき、企画を担当していた川村元気さんに「コメディを作るときに大切にしていることは?」と聞かれて「大前提として出演者が愛されるように作る」と答えました。もうそれが必須条件のような気がします。

日常生活でも、面白い、ちょっといいなと思っている人なら何をしたって笑うけど、嫌な人なら何をしても笑えない。それは映画の中でも同じで、山場がなくても愛されるキャラクターを作ることで興味をもってもらえるんじゃないかと思っています。

監督の作品にコメディ作品が多いのは、人を描いているからなんですね。

個人的に暗いのはイヤですから(笑)。だって僕の人生もすでにしんどいのに、気が重いものは撮れないですし、見る側としても気楽に楽しめる映画という選択肢があってもいいのでは?と思います。人生、ちょっとしたことで楽しかったり笑えたりできたほうがいいですからね。まぁ、僕がコメディが好きというのも大きいんですが。

それにコメディのほうが出てくる人がかわいいと思います。僕はいつも人をチャーミングに撮りたいと思っているんですよ。人の魅力って何かな?と考えたとき3つのことがあると思ったんです。

1つは“無防備”。無防備な人間こそ魅力的。赤ちゃんや田舎のおばあちゃんがなんでかわいいかといえば、無防備だからなんですよ。僕はキャラクターを作るとき、わざと無防備にしていますね。

今回、スーパーの新店長・西口(田村健太郎)が出てきます。彼は仕事なんてなんにもしないし、常に自分のことばかり考えているような人物でかなり無防備(笑)。最初、「あんな店長おらへん」って思うかもしれませんが、本社の役員の甥っ子って考えたら「いるわ!」になりませんか? そしたら彼のことも理解してかわいく見えてくるというか……。

そして2つ目は“謎めいている”です。よく映画で登場するタイプの人物です。この人は何を考えているのか気になりますよね。そして残りの1つは“ギャップ”がある人。こういう人物はみな魅力的に見えるんですよ。

 

モノローグを多用して本音を引き出し、魅力あるキャラクターに

春男をはじめとした登場人物はみんな、クセがあるけど愛おしい人物ばかりですね。春男を演じた安田顕さんと役について何かお話しされましたか?

春男を演じた安田さんには、「一生懸命やってほしい」とは伝えました。伊澤春男という人物を「こんなヤツいるよね」ではなく、「実際にここにいる」と感じて演じてもらうというか。

見ている人は客観視していいんですが、演じている人が客観視していたら見ている人は感情移入できないですから。なので「こうやったら面白いだろうな」というアプローチはしないでくださいと伝えて、真面目に真摯に向き合ってもらいました。

どんなことも本人が真面目にやってそれを他人が見るから面白いのであって、やっている本人は面白いなんて微塵も思っていないわけですから。これは今回だけではなく、コメディ作品を作るときの大前提にしていることなんです。

今回は、春男の心の声もすごく多かったですね。

セリフとモノローグの描き分けは、今回ははっきりとしています。セリフはあくまでも建前で、モノローグは心の声だから本音で。このギャップがあればあるほど面白くなるんですよ。

ですから安田さんにも、振り幅を大きくしましょうと伝えました。あとカッコつけるところも思いっきりつけて、情けないところはめちゃくちゃ情けなくして。それが春男の魅力に繋がっていると思います。

モノローグを多用した理由は何かあるのですか?

彼が思っていること、つまり本音が、見ている方に伝わらないと共感してもらえない、と思ったからです。

また見ている人が感情移入する人物、ここでは春男を、見ている人よりも優位な立場、安全な立場に置いていません。これはコメディを作るときの大事な法則なんですよ。

上からではないですが、「この人、ちょっとダメなヤツだな」と思わすというか……。春男を「情けないし隙だらけ」だと思ってもらう仕掛けは作っていますし、そういったキャラクターの微調整は色々しましたね。

春男は、一番下の小学生の息子からもナメられています。でも、だからこそ春男はかわいく見える人物になっています。見ている方が「もうっ、またやっちゃって」と思いながら応援してくれるはずで。それが最終的に、この人をずっと見続けようという気持ちになっていくと思います。

 

葛藤を感じる取ることで作品がより深いものになっていく

キャラクターがきちんと立っているから日常を描いているのに面白いんですね。他のキャストには、キャラクターの説明はどのようにされたのですか?

金子大地くんには「(役の)金子は松岡修造さんみたいな人物だ」と具体的に伝えたりしました(笑)。キャラクターは監督と役者が作りあげるものなので、皆さんとこうしたら面白いんじゃないかという話をしました。

あと僕は、映画や舞台、ドラマなどは葛藤を描くものだと思っているので、役にも葛藤があるべきと考えています。春男なんて葛藤だらけです。金子にもスーパーの店員にも家族にも、みんなそれなりの葛藤があります。そしてその葛藤が引き立つためのキャラクター作りをしました。

春男の妻・律子(小池栄子)は、娘の結婚に対してすごく感傷的になっているんですが、彼女はそうなるキャラクターではないと思うんですよ。でもこの映画を通して見たら、彼女が結婚に対してどういう思いをもち、なぜ感傷的になっているのかが分かるはず。2時間見ているからこそ、心の動きが見えるのがコメディ映画だと思います。どの人に感情移入するかで見えてくる景色が変わってくる……。コメディは奥が深いと思いますね。

春男の今と過去を描くことによってより愛おしく見えていましたね。

プロポーズをするシーンは、我ながらうまく描けたと思っています。意外と思われるかもしれないですが、泣くシーンや叫んだりするシーンは感情の起伏があるので簡単なんですよ。

でもコメディでありながら、最後に感動させるのは難しい。シリアスなものより喜劇のほうが難しいんじゃないかな。だからこそ、やり終えたときの満足感もあるわけで。

どうしても喜劇は評価されにくいですが、僕はすごくかけがえのないものだと思っています。今回、安田さんと一緒に狙い通りのシーンをたくさん作りあげられて、すごくよかったです。

監督が一番共感したキャラクターは誰ですか?

みんなに共感しましたよ、だって僕が作っているのだから(笑)。一番は誰だろ……撮っていて面白いと思うのと、共感するのは違ったりするのですが、今回は出てきた男性はみんな面白かった。

春男はどこにでもいる人物です。グズグズしながら生きていて、それが男だなと思います。新店長も我が道を行っていてブレないし、噛み合わないのが面白い。

共感したキャラクターは、タクシー運転手の金城(伊藤ふみお)。この人は行動だけで考えたら酷いヤツだけど、あの人にはあの人なりに何かあるんじゃないかなと感じられました。いいのか悪いのか分からないけど、僕の映画には基本、悪いやつは出てこない。彼のめちゃくちゃ切ない、なんとも言えない感じがすごく好きです。

 

“いかに撮るかより何を撮るか”を大切にすると本質が見えてくる

そもそも監督はバラエティ番組出身なんですよね。なぜ映画を撮るようになったのですか?

本当のことを言うと、僕は映画に興味はなかったし撮ろうとも考えていなかったんですよ。でもある人から「李ちゃんが撮る映画を見たい」と言われて。

そんなことをおっしゃる方ではなかったので驚いたし、評価されているんだと思って彼のために撮り始めました。今でも映画ができたら試写状は真っ先に送っています。

僕は、人生には“縁”というのがあって、それを逃がさないことが大事だと思っているんですよ。人生って、波が来ているときが何回かあるんだけど、それを見極めるのがすごく大事。

今回だって、安田さんのスケジュールが合わなかったら、みんなが見てくれる伊澤春男はいないわけですから。本当に、人生は縁とタイミング。どれだけ多くの縁をもらえるようにしておくか、そしてタイミングを逃さない判断力や感性をもっているかで、人生は大方決まるんじゃないかなと思います。

ノンフィクションであるバラエティと、映画といったフィクション作品だと、手法から何から全く違うように感じるのですが……。

そこまで大きくは変わらないです。結局、バラエティ番組を作っていても、人間への探求でしかないと思うんですよ。もちろんアプローチや技法は違うけど本質的には変わらない。結果として面白いものを作る、みんなに面白がってもらうものを作っているわけですから。

エンターテインメント作品だと、自分の身から離れていけばいくほど面白くなっていくのでよりフィクション色が強くなるんですが、僕は自分の身の回りあることを描きたいと思うタイプなので、内に内にアプローチしていくんですよ。最終的に人を描くので、よりバラエティと変わらないのかもしれないですね。

ちなみに僕がこの世界に入って、初めて作ったのはドキュメンタリーでした。そこでは「HowよりWhat」という言葉があって、“いかに撮るかより何を撮るか”が大事で。

エンタメ性が高いと評判の大作は、初見は面白いけど2回目はつまらないというものがあります。そういう映画は“How”で撮っているからなんですよ。でも映画の本質はそうじゃないと思っています。

古典落語が何度聞いても笑ってしまうように、本質が面白ければずっと面白い。そういうところに映画の使命があるんじゃないかなと思います。

配信作品も多くなりコンテンツの在り方が変わってきて、より刺激の強いものが求められている状況でもありますよね。

もちろん、刺激の強いほうが面白く感じるのは分かりますし、それが間違っているとは思わないです。でもそれって、何度も見直したいかな? とは思います。

コロナ禍になり、「芸術とはいったい何なのか?」を考えたりしました。僕は人が生きていく上で、葛藤は避けられないと考えているんですよ。葛藤を生きることこそ人生なんじゃないかと。

だからこそ芸術が存在しているんじゃないかなと。シェイクスピアの時代から、人は手を変え品を変え、「自分たちの本質とは何か?」と考えることを、芸術を通してやってきている。芸術を体感することで本質を探し、人は成長していくものです。

クリエイターはどのようにして芸術と向き合ったらいいと思われますか?

クリエイターとして作品を見るときに大事な視点が3つあります。

1つ目は「作者がなぜこれを作ろうとしたのか」を考えること。そのためには作品に寄り添うことがすごく大事です。

2つ目は「作者が何を伝えたかったのか意図を読み取る」こと。これは作品に寄り添っていたら自ずと見えてきます。

そして3つ目は「作品の中で自分が感銘を受けたものは何か、を見つめる」こと。この“3つの視点”をもっていると、クリエイティブな能力は必ず上がるでしょう。

今回の映画でも、春男がラストに「ばかやろう!」と叫んでいます。この言葉自体には意味はないけれど、これを言うことに意味がある。“3つの視点”をもって見てもらえれば、この言葉からすごく伝わってくることがあるはずです。

本来、人間は言葉にならないことを理解し合えます。その能力で芸術にアプローチしていくことが大事だと思います。

そのためにも状況の裏にあることを感じる力が必要ですね。

僕は「コンテンツ」と「コンテキスト」と言っています。大まかに言うとコンテンツは“内容”、コンテキストは“文脈”や“背景”という意味で、この違いを理解することが大切です。

例えばグルメレポートで若い女性が「美味しい」と言うのと、おじいちゃんが「美味しい」と絞り出して言うのでは、全然受け取り方が違うじゃないですか。これはコンテキストの問題なんですよ。

みんなコンテンツばかり気にしているけど、コンテキストがすごく大事。それがあるから物語になるんです。僕はまだうまく作れているとは言えないですが、結局人間の探求というのは、内容に至る文脈の理解じゃないでしょうか。

そして、この言葉にならないことを伝えるためにクリエイターとしては感性を磨いておく必要もあります。

言葉では同じ「美味しい」でしか表現できない感情を、技術(コンテキスト)によってどう違いを出していくか……。同じ言葉だけど、他とは違うことを伝えていくのがクリエイターなんだと思います。

取材日:2021年10月15日 ライター玉置 晴子

『私はいったい、何と闘っているのか』

©2021 つぶやきシロー・ホリプロ・小学館/闘う製作委員会

12月17日(金)全国ロードショー

CAST
安田顕 小池栄子
岡田結実 ファーストサマーウイカ SWAY(劇団EXILE)金子大地 菊池日菜子 小山春朋 田村健太郎 佐藤真弓 鯉沼トキ 竹井亮介 久ヶ沢徹 伊藤ふみお(KEMURI)伊集院光 白川和子
STAFF
監督:李闘士男 脚本:坪田文 音楽:安達錬 原作:つぶやきシロー「私はいったい、何と闘っているのか」(小学館刊) 主題歌:ウルトラ寿司ふぁいやー「今すぐアナタを愛したい」(AMUSE) 配給:日活 東京テアトル
©2021 つぶやきシロー・ホリプロ・小学館/闘う製作委員会

 

STORY
伊澤春男、45歳。勤続25年の地元密着型スーパーウメヤ(大原店)の万年主任。それでも信頼する上田店長の「春男はこの店の司令塔」という言葉が、今日もやる気を掻き立てる! 甘えも嫉妬も憤りも悔しさもすべてを強がりのオブラートに包み込み、日常を戦うこの中年サラリーマンは、束の間、なじみの食堂で哀愁に浸りながらいつものカツカレーを全力で喰らい尽くす―。愛する妻や子供たちとのかけがえのない生活と、夢にまで見た店長昇格への長く険しい戦いの果てに待っていた予想外の結末とは…。

プロフィール
映画『私はいったい、何と闘っているのか』監督
李 闘士男
1964年生まれ、大阪府出身。大学在学中にドキュメンタリー番組の制作プロダクションでアルバイトを始め、1987年にディレクターデビュー。「とんねるずのみなさんのおかげです」、「タモリのジャポニカロゴス」など数々のバラエティ番組を手がける。2004年、『お父さんのバックドロップ』で映画監督デビュー。以降、『デトロイト・メタル・シティ』(08年)『てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~』(10年)『ボックス!』(10年)『神様はバリにいる』(15年)『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』(18年)など、話題の映画を次々と制作。「明日があるさ」「ガンジス河でバタフライ」「連続ドラマW 黒書院六兵衛」などドラマの演出も行う。

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