WEB・モバイル2020.06.03

ピンチを乗り越えた先にある、新しいコミュニケーションのカタチを求めて

金沢
株式会社 エムディーエム 代表取締役
Takatoshi Fujiya
藤弥 隆俊

Webサイトの企画・制作を中心に「新しいコミュニケーションのカタチづくり」に取り組む株式会社エムディーエム。同社代表取締役の藤弥隆俊(ふじや たかとし)さんは、大学時代にバブル経済が崩壊して就職に苦労し、働き始めた後はリーマンショックのあおりで独立を余儀なくされた。会社設立から10年を経て、一昨年自社屋のオフィスを建てるまでに成長したところで、新型コロナウイルス感染症による社会の停滞に直面する。たび重なる危機を乗り越えてきた経験から、お客さまとともに終息後を見据えた準備に余念がない。

振り出しは、就職氷河期に食らいついたWeb制作会社

会社設立のきっかけをお聞かせください。

金沢で生まれ、地元の大学に在学中、Webサイトの制作に興味を持ち、卒業後はWeb制作会社への就職を希望していました。ところが当時はバブル経済崩壊後の就職氷河期の真っただ中でした。思うような就職先がなく苦労していたところで、ようやく見つけたWeb制作会社の採用条件は「中途採用者」。何とか頼み込んで入社し、プログラミングの技術を身に付着けようと働く毎日でした。

そこから独立されたのですか?

いいえ。実家が印刷会社で、紙媒体の印刷に加えて、新たにWeb制作部門を立ち上げることになったんです。そこで、当時社長だった父親に「Web部門を新設するなら、入れてもらえないだろうか」と持ち掛けて、勤務先を退職しました。

入社してみると、デザイナーや営業マンはいるものの、会社の組織としては不十分な部分があることに気付き、営業とデザイナーをつなぐディレクションのようなことを担当したり、人事や労務を含めて雑務もしたりといろいろな業務をこなしました。

会社から突然の「独立」要請。資本金も底をつくピンチ

業務は順調に進みましたか?

いいえ、入社してから6、7年たったころ、会社の業績が落ち込んだために、社長から突然、独立するように求められました。Web制作部門のスタッフ数人と、新たな会社で仕事をして稼げというのです。31歳のときでした。資本金として800万円あったのですが、顧客もなく、仕事のめどがないままのスタートでした。

今思えば、当時はリーマンショックの影響で、各企業も向かい風を受けて、新規の会社にWeb制作を発注する余裕のある業などあるはずがないですよね。旧知の広告代理店や企業を駆け回り、ようやく成約したところで、納品、入金は数カ月先。資本金はあっという間に底をついてしまいました。

苦しい状況でしたね。どうやって乗り越えたのですか

企業として円滑に回していくには、計画的な受注が見込める契約先、継続的な取引先が必要だと実感しました。

上場企業でデザイナーをしていた高校時代の先輩に相談すると、その企業のWeb制作を担当している会社の業務内容を教えてくれました。会社の売り上げの一定割合を常にこの上場企業の仕事が占めている。それにより、会社経営が安定することを知りました。その比率が高すぎても、依存しすぎてリスクが生じる。そんなことを学びました。

自社でもそんな契約先が見つかりましたか?

創業から3期目に大手ネット関連企業との成約をいただき、黒字に転換することができました。契約先の信頼もいただけて、現在も順調に続いています。

社名「エムディーエム」の由来を教えてください。

もともと父親が経営する印刷会社「株式会社丸藤」のWeb制作部門でしたから、丸藤のM、デジタル(Digital)のD、メディア(Media)のMをとって「MDM事業部」の名称だったんです。MDMはお客さまにも認知いただいていたので、法人設立の際にそのまま社名としました。

しかし、今では「丸藤」と資本関係もなくなったので、「つくろう。ひらこう。うごかそう」のコンセプトを意味する「Make, Develop& Move」の頭文字を当てはめています。

かつての仲間から全国に広がる契約先

東京、名古屋、仙台など全国にお客さまがいらっしゃいますが、どのように営業活動なさってるのでしょうか?

自社Webサイトを通して県外のお客さまから引き合いを頂くケースもありますし、自分のセールス活動でみた場合、各地の顧客の多くは、高校時代の友達です。

私は中学卒業後、地元を離れて大阪にある全寮制の高校に入学しました。親の勧めもあって、家を離れて暮らすのもいいかと軽い気持ちで選んだのですが、いざ入ってみるとこれは大変なところに来たなと。1日に何度も点呼があり、11人部屋で寝泊まりする。持参した私服は必要ないからと送り返されました。たちまちホームシックになりましたが、全国から集まってきた同級生や先輩後輩とは、固い絆で結ばれました。卒業後、全国に散った仲間たちから声が掛かり、仕事を任されるようになったので。

これまでの実績、ご経験の中で特に印象に残っている事例はありますか?

高校の同級生が仙台で住職に就いています。平家ゆかりの阿弥陀如来を安置するおよそ800年の歴史を持つ名刹(めいさつ)で、かつては多くの方が訪れていたのですが、「東日本大震災で参拝者が減り、復興に力を貸してほしい」と相談を持ち掛けられました。

それまではプライベートと仕事を線引きしたくて、同級生からの仕事は断っていたのですが、「ぜひに」と要請され、シンボルマーク作りからWebサイト制作まで引き受けました。金沢から仙台に何度も足を運び、アートディレクター、カメラマンとともに寺に泊まり込んで、完成にこぎ着けましたことで今も深く心に残るWebサイト制作となりました。

一緒に汗をかくことが最善の教育

御社のサイトでは「変わりゆく時代のいちばん先頭で、変わらない人の心のいちばん近くで、新しいコミュニケーションのカタチをつくる」「次の時代をつくり、ひらき、うごかす新しい『何か』を、MDMは探し続けます」とメッセージが記されています。同業他社との差別化や新しい取り組みを教えてください。

2年前に社屋を建て、10年の節目も経て、11期目を迎えました。「次の一手」と大きく宣言できることはありません。社長としての業務もありますが、一方で手を動かし、お客さまと接して感じることで以前にも増して仕事をしている実感があります。

先日も新規のお客さまのもとを訪ね、出来上がったサイトにいろいろと修正のご依頼をいただきました。その際、まだ経験の浅い社員を同行したのですが、その後の仕事ぶりに変化が見られました。どうやら、社長であってもお客さまからいろいろと修正を受けるんだ、それを解決して仕事をこなすんだと実感したようです。上司も先輩も初めから完璧な仕事を仕上げるわけではないと悟ったのでしょう。教えるよりも、自分が取り組む姿を見せて一緒に汗をかくことが、経験の浅い社員の能力を高める最善の方法だと気付かされました。

社会全体が厳しい局面にありますが、お客さまとともに新型コロナウイルス終息後に反転するための準備を着実に進める策を練る日々です。

取材日:2020年4月2日 ライター:加茂谷 慎治

株式会社 エムディーエム

  • 代表者名:藤弥 隆俊
  • 設立年月:2009年11月
  • 資本金:2000万円
  • 事業内容:ホームページ企画・制作・運用、印刷・広告物の企画・制作、CI・VI(ロゴ、シンボル、キャラクターなど)の企画・制作、グラフィックデザイン・DTP制作
  • 所在地:〒921-8052 石川県金沢市保古1丁目93
  • URL:https://mdm-web.jp/
  • お問い合わせ先:076-256-3460

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