クラファンで生まれた茶室で名古屋の伝統文化を紡ぐ。“線と面”で進める新しい継承のカタチ
日本の伝統文化をわかりやすく、楽しく広めて、人生をちょっぴり豊かにする。茶道教室、文化イベントの企画、講演会、企業研修、オンラインショップなどを通して、日々に彩りを添える名古屋の中の屋株式会社。名古屋を代表する料亭の若女将として活躍した代表の香川 絢子(かがわ あやこ)さんに、起業に至ったいきさつや伝統文化に対する思い、今後の展望などを話していただきました。
考古学者に憧れ、広島から京都の大学へ
子どもの頃の夢を教えていただけますか?
小学生の頃から歴史が好きで、文集に「考古学者になりたい」と書いたのですが、男子から「そんなの無理だ」と茶化されたのを覚えています。大人になった今では学者は狭き門だとわかりますが、当時はくやしかったですね。
社会人になるまでのストーリーもお聞かせください。
私は広島出身なのですが、実家が700年以上続く家で、当時は4世代が暮らしていたので自然と歴史に興味が持てたのですが、その一方で躾も厳しく、息苦しさを感じていました。大学は地元を選ばず京都の龍谷大学で史学を学び、卒業後は半導体で有名なローム株式会社に就職して秘書や商品企画を経験しました。
半導体会社勤務から、華やかなブライダルの世界へ
その後、ブライダル業界に転身されたんですよね?
ローム在職中に結婚したのですが、そこでブライダル業界の魅力に触れ、式場のモデルにスカウトされたり、友人の結婚式の二次会幹事を引き受けるようになりました。実は私の幹事っぷりが社内で評判になって、まったく知らない別部署の方から急に「幹事やってもらえませんか?」とオファーをいただいたこともあるんですよ(笑)
それはすごいですね。それがきっかけでブライダルの世界へ?
ブライダル業界への興味がますます湧いたので、ブライダルプランナーの資格が取れる専門学校に通い始めました。そこで会ったフォトグラファーの女性講師に背中を押される形で私が式をあげた、ウェディング事業などを展開する「Plan・Do・See Inc.」の面接を受けました。ブライダル業界は入るのがすごく難しい業界なのですが、思いがけずトントン拍子に面接が進み、内定をいただくことができました。それで、憧れのブライダルプランナーになることができたんです。
挫折を味わって部署異動となるも、それが転機のきっかけに
ブライダルプランナーの仕事はいかがでしたか?
憧れていた仕事でしたし、二次会の幹事も上手にできていた自負があったのですが現実はなかなか厳しく、本当に失敗の連続だったんです。どんどん自信を失っていき、どうしようかと考えている時に上司から「バンケットプランナーに移ってみないか」と打診を受けました。
バンケットプランナーとは、どのような役割に当たるのでしょうか?
結婚式ではなく一般宴会をメインに担当する部署で、音楽や料理など空間全体をコーディネートしていました。ブライダルプランナーとして失敗が続いて挫折を感じていたし、異動先でも「できなかった子」というイメージがついてまわるので最初は心苦しかったのですが、バンケットプランナーの仕事がすごく肌に合っていたようで、しだいに自信を取り戻していきました。
バンケットプランナーとブライダルプランナーの何が大きく違ったのでしょうか?
結婚式は一生に一度のイメージがあると思うのですが、宴会は気に入っていただけるとリピートがありますし、別の方に紹介をしていただけることも多いんです。また、披露宴のように2時間などとしっかり時間が決まっているわけではなく、楽しくて時間を延長してくだされば私たちも潤うというwin-winな関係がつくれます。この仕組みやご縁がつながっていく感覚がすごく合っていたんですね。
老舗料亭の若女将に抜擢
そこから、名古屋の老舗料亭の女将になられた経緯を教えてください。
バンケットプランナーとして手応えを感じていた時に、名古屋で有名な料亭の運営に携わるプロジェクトが立ち上がり、そのメンバーの社内公募が行われました。それに手をあげてプレゼンを行い、私も参画できることになったんですね。
新たなチャレンジだったのですね。
料亭内にあるイタリアンレストランのオープニングスタッフとして2年ほど働き、そこからいよいよ和食の運営にも会社として携わることになったタイミングで「若女将」を引き受けました。まさか、そこから11年間も続けられるとは思ってもみませんでした(笑)。
私も名古屋に住んでいるのですが、若女将をされながらメディアにも積極的に出られている印象でした。
400年の歴史があって、名古屋市内の料理店でも一番古い歴史を持つお店だったので、ほかの料亭の女将さんから「そんなことしてもらっては困る」とご理解いただけない時もあったのですが、どんどんやってほしいという声もいただいていました。業界の広告塔としての役割もあると感じていましたし、一番老舗だからこそ、あえて新しいことを取り入れていくべきポジションのお店だと思っていたんですね。
お世話になった名古屋の方々に、恩返しをしていきたい
11年続けた料亭を卒業して独立されたきっかけを教えてください。
11年間はとっても濃密で、立派な方にお目にかかる機会も多く、地元の方々に名古屋の歴史や文化をたくさん教えていただいたんです。その恩返しがしたいと思う機会もたくさんあったのですが、当時は会社員だったため、転勤があるのが気がかりでした。
また、新型コロナの流行で芸妓さんや舞妓さん、日本舞踊、歌舞伎などの芸能の方々が苦労されている様子がとても辛かったです。お世話になった名古屋がもっと元気になるよう働きかけていくには、会社員のままではいけないと感じたのが独立のきっかけです。
創業に際してどんなことを考えておられましたか?
どんなふうに貢献できるかを考えた時に、料亭同士やお茶の世界のライバル関係や流派の垣根を超えた活動をしていきたいと思ったんですね。人口の減少で日本の素敵な文化が衰退しつつある今、みんなで連携して盛り上げていく根底にあるのが教育なのかなと感じたり、それぞれが“点と点”で動くのではなく、“線と面”で動いていけるような活動がしたいと思いました。
御社の現在の事業や取り組みを教えてください。
日本の伝統文化をわかりやすく、楽しく広めて、皆様の人生をちょっぴり豊かにするのが「中の屋」の使命で、クラウドファンディングでも支援いただいた茶室「和水香庵」の運営をはじめ文化イベントの企画、講演会、企業研修、オンラインショップなどを通して、日々に彩りを加える文化、習慣をお届けしています。
会社の名前もロゴマークもユニークですよね。
私の実家の付近には「香川」姓の家庭が多く、違いがわかるようそれぞれに屋号があるんです。私の家の屋号が「中の屋」で、近所の方からは「中の屋の絢子ちゃん」って呼ばれてました(笑)。会社のロゴマークも屋号をそのまま使っています。
女将業で培ったスキルや経験が大きな宝に
香川さんの強みはどんなところにありますか?
茶道教室のほかに、名古屋市の施設「文化のみち橦木館」の館長やコンサル業務、大学の講師、イベント出演などを行っています。私の強みはゼネラリストであることです。プロデューサー的なお役目をすることもありますし、受けたお仕事のディレクション業務はもちろん、キャスティングやキュレーションを担うこともあります。和文化の中でもお茶だけでなくお花の仕事も手がけています。女将で培った経験が生きているのかもしれませんね。
「文化」についてどんな思いを抱かれているのかをお聞かせください。
「文化」って聞こえがいい言葉ですが、私は経済、つまりお金の話も逃げずにするようにしています。日本の古典芸能や工芸に携わる方がお金の話をすると、なんとなくいやらしいイメージがありますよね。でも、文化と経済ってつながっていて、必ず両輪で動いていかないと立ち行かなくなるんです。私が関わってきた料亭の世界でも、この30年間で減少率がなんと93%。100件あったお店が7件しか残っていない危機的な状況になっているんです。
また、独立して経営者という立場で見た時に、数字のことがわからないと「ビジネス感覚がない」と判断されてお付き合いしてもらえなくなると思うんです。
すばらしい日本文化のバトンをつなげていくには?
日本の伝統文化は、継承者不足に悩まれているとお聞きします。
継承者になる方って、小さな頃から親の仕事を見ているスーパーエリートなんですよね。そんな方々が事業を継がず、まったく馴染みのない世界で0から苦労されるのって、もったいないですよね。
親から子へと文化を継承していくことですごく印象に残っているのが、女将の仕事のいろはを教えてくれた方の「そんなの簡単よ。親が楽しそうに、一生懸命働いていれば子どもは自然とやりたくなるのよ」って言葉です。ストンと腑に落ちたのを今でも覚えています。
香川さんの今後のビジョンをお聞かせください。
今年は茶室「和水香庵」の有効活用に力を入れていきます。現在は茶道と書道の教室をメインに、不定期で盆栽や着付けの教室をしているのですが、新たに金継ぎのクラスも設ける予定です。
また、「和水香庵」を使ったライブイベントも定期的に実施しているのですが、その頻度を増やして毎週コンスタントに行えるようにしたいと考えています。和楽器や日本文化に関連する音楽をここから発信していけたらうれしいです。あとは、お茶やスイーツ以外に日本酒やお食事も楽しめる場所へと業態を広げていきたいとも思っています。
うまくいっているクリエイターになる鍵は、発信力と外交力。
最後に、世の中のクリエイターにアドバイスをお願いします。
私のまわりのクリエイターや作家さんでうまくいっている方は、発信力があってPRが上手だと感じます。SNSを使って作品を毎日投稿したり、日々の活動状況を発信されたりしています。人が何かを買う時って、知っている人から買うか、思い出した時に買うかだと思うんです。地道に定期的な発信をすることで「そうだ!あの人がいた」と思い出していただけることが大切だと思います。
あとは、外交をうまくやっている方が成功されています。他業種の方と積極的にご縁を持ったり、飲みにいったりと動いている方はきっと、アイデアや顧客ニーズを自然とつかめるのだと思います。
今は機材やソフトウェア、AIなどの性能が上がって、プロとアマチュアの差がつきにくくなってきていることをクリエイターの方が実感されていると思います。そんな時代の中で仕事をもらったりオリジナリティーを出すためには、セルフディレクションをして個性を伸ばしていくか、自身を生かしてくれるいいディレクターさんを見つけることが大切だと思います。
取材日:2025年3月26日
中の屋株式会社 – Nakanoya Inc.
- 代表者名:香川 絢子
- 設立年月:2008年2月
- 資本金:10万円
- 事業内容:茶道教室/文化イベントの企画/講演会/企業研修/オンラインショップ 等
- 所在地:〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3丁目11番14号
- URL:https://www.nakanoya.works
- お問い合わせ先:https://www.instagram.com/nagomi_koan?igsh=MXJnYXFrN3owZzR6