グラフィック2024.05.08

リニアで再開発が進む名古屋のビル再生で「あるべき未来」をリード。日本初フリーペーパー店も運営

名古屋
屋上とそら株式会社 代表取締役
Hiroaki Horie
堀江 浩彰

リニア中央新幹線の開業に向けて再開発が進む名古屋の“駅西エリア”。大きな変化の中で、名古屋にまつわる本を集めたり、フリーペーパー専門書店を開いたりして祖父が建てたビルのリノベーションと再活用に挑んでいるのが「屋上とそら株式会社」の堀江 浩彰(ほりえ ひろあき)さんです。名古屋のデザイン会社の代表も務めるなど、街づくりのキーパーソンにもなっている堀江さんにこれまでのキャリアや現在の取り組み、仕事への向き合い方、展望をお聞きしました。

濃い経験を多く重ねた20代の駆け出し時代

堀江さんがデザイン業界に入ったいきさつを教えてください。

高校を卒業して名古屋のデザイン専門学校に進みました。そこで出会った先生が経営するデザイン事務所でのアルバイトを経てそのまま就職したのですが、給与の未払いがあって入社3カ月ほどで辞めることになってしまったんです。
そのあと、別のデザイン会社に誘われて転職したのですが、その会社でも社長が突然失踪してしまって……。

大変な社会人スタートでしたね。

そのあともシステム会社のデザイン部門に誘われたのですが、そこでも折り合いがつかずに「辞めます」と告げたちょうどそのタイミングでラディカルの先代社長から電話が入り、話の流れからお世話になることに。23歳になった次の日から出社しはじめました。

30歳を前にして、自分の未来像と真剣に向き合うように

そこからキャリアを重ねてラディカルの代表になったのですね。

そうですね。事業承継をして2021年の3月から代表を務めています。

どのようなステップを経て代表になったのでしょうか?

はじめはチーフデザイナーのアシスタントのような役割でした。そのあとはデザイナーとして働いてはいたものの、30手前になっても自分に直接依頼される仕事が一つもないことに気づき、そこから行動が変わっていきました。先代に「お客さんと仲良くなるために飲みにいくので、経費を使ってもいいですか?」と確認したのを今でも覚えています(笑)。
そこからポツポツと指名で仕事をもらえるようになっていき、チームも持つようになってデザイナーからプロデューサーのような役割へと変わっていきました。

フリーペーパーの創刊で、まわりからの見られ方が一変。「屋上の人」と呼ばれたワケ

「屋上とそら」の設立につながったのはフリーペーパーの存在だと伺っています。

はい。社内ではすでにチームも持っていたのですが、「これが私の代表作です!」と自信を持って言えるものがなかったんです。そこで、撮りためていた屋上の写真を写真集にしたのが09年。しかし写真集がまったく売れなかったので、PRをかねて作りだしたのが「屋上とそらfree」というフリーペーパーでした。

フリーペーパー「屋上とそらfree」を創刊して変わったことはありますか?

まわりからの見られ方に変化が起きました。デザイナーではなく「屋上の人」と呼ばれるようになったり、思いもよらなかった大手菓子メーカーからコラボレーションの誘いが来たりと、これまでのどこか業者的な扱われ方から、わたしの持つ世界観や取り組みに共感されたり期待されたりといった雰囲気へと変わったような気がします。

写真集やフリーペーパーのテーマを「屋上」にしたのはなぜでしょうか?

以前から屋上の風景が好きで、20歳ごろから写真を撮ってホームページも立ち上げていました。また、その頃から屋外の建造物が注目を浴びはじめ、団地やガスタンク、鉄塔、ダムのブームが来たんです。「次はきっと屋上が来るぞ!」と思っていたのですが、けっきょく来ませんでしたね(笑)。

祖父が建てた「ホリエビル」の再生にチャレンジ。「ネガティブな思い」が成長の原動力?

「屋上とそら」を立ち上げたいきさつも教えてください。

拠点となっている「ホリエビル」は元々、青果業を営んでいた祖父が建てたものでした。当時は1階をお店にして、上階は社員寮として使っていたようです。そのビルを父から買い取るために銀行の融資が必要となり「屋上とそら」を立ち上げました。

手がけている事業を教えていただけますか?

ホリエビルの有効活用を中心に、さまざまな事業を手がけています。1階には名古屋に関係する書籍だけを集めた書店「NAgoya BOOK CENTER」と「喫茶リバー」があり、2階ではギャラリースペースとフリーペーパー専門書店「ONLY FREE PAPER NAGOYA」を運営中。3階にはラディカルをはじめ複数社のデザインチーム拠点があります。
また、近隣のビルでセレクト土産物店「オミャーゲ名古屋」を営み、NPO法人オレンジの会が運営していたパン屋さんをリブランディングしたミートパイの専門店「ミート パイズ ミート(MEAT PIES MEET)」をプロデュースしたりしています。

面白い企画を次々と展開されているように感じます。

どちらかというと、ネガティブな思いが原動力になり、立ち上げているというのが正直なところです(笑)。かつてのデザイン業界は夜中の3時4時まで働くのがあたりまえな雰囲気で、とてもじゃないけれど40〜50代まではやっていけないと思いましたし、受注生産だけではいずれ行き詰まるとも感じ、道を模索していました。 将来も生き残っていくためのアクションを続けていたら現在のカタチになったというのが正直なところです。

駅西エリアで注目を集め、街づくりのキーパーソンに。地元人だからできること

会社を立ち上げてからの印象的な出来事を教えてください。

ホリエビルがある名古屋の駅西エリアは、60年前に東海道新幹線が開通する前はまだ闇市と呼ばれていた場所です。時が過ぎ、今度はリニアの駅ができることで再開発が一気に進んでいる場所でもあります。
その変化の波の中でホリエビルの取り組みにも注目いただき、名古屋の街づくりセミナーのパネリストに呼んでいただく機会がありました。

お祖父さまの代から馴染みのある場所でビジネスをする思い入れはありますか?

再開発が進む場所では、本来はその土地に関係のなかった人たちが集まってきてプランを立てることが多いように感じます。でも、本当はその土地に暮らす人たちが自分たちの頭で考え、自分たちの未来に必要なプランをたてるべきだと思うんです。そのような想いもあって、この土地のことをよく知る私たちができことがまだまだあると感じます。

デザインの力でメディアに取り上げられるフックをつくる。街づくり会社を設立

堀江さんが携わるようになってからの具体的な変化を教えてください。

ホリエビルを引き継ぐ前は、ここで合気道教室が行われていました。そこから私が携わることになった5年で、ビルを活用した事業の売上は年間で約10倍に達しました。また、多種多様なメディアで紹介されるようにもなりました。

多くのメディアで取り上げられる秘密はどこにあるのでしょうか?

本業でもあるデザイン会社ラディカルとの連携が大きいと思います。やっている事業そのものは地に足がついたベタなものですが、明確なコンセプトと、ほんの少しの違和感を加えたブランド作りにより、SNSなどでの情報発信を頼らなくてもメディアが取り上げたくなるようなフックを付けているんです。「屋上とそら」の取り組みがラディカルの制作事例にもつながり、好循環が生まれています。

ビジネスにおける展望をお聞かせください。

名古屋の駅西エリアに密着した “マチにマッチするマチ会社”・Too Much株式会社をまもなく設立します。街の開発に自分たちも積極的に関われるように取り組み、予算がどのように活用されたり、分配されたりしているのかが見えるようにしたいと考えています。

行政が絡むシティプロモーションには、大切な税金が使われることも多いです。限られた 予算で高いクオリティのプロモーション施作を打つ際にも、ラディカルのデザイン力が大いに生きてくると思います。

本当にいいと思う何かを、生み出し続ける大切さ

最後に、世の中のクリエイターにメッセージをお願いします。

実は僕、自分で自分のことをクリエイターやクリエイティブ職と言ったことも思ったこともないんです(笑)。誰もが驚くようなアイデアや作品を生み出し、まわりからクリエイターとして認められるのはいいのですが、そうでなくてもクリエイターを自称できてしまう現状は、クリエイターという言葉が安売りされてしまっているようにも感じられます。
まわりから認めていただくためには、仕事以外の領域で自分自身が本当に作りたい思う“何か”を生み出し続けることが肝心だと思いますし、それが自分にとっての代表作となるのだと思います!

取材日:2024年3月6日

屋上とそら株式会社

  • 代表者名:堀江 浩彰
  • 設立年月:2017年9月
  • 資本金:300万円
  • 事業内容:自社所有物件による不動産賃貸業および店舗運営など
  • 所在地:〒453-0015 愛知県名古屋市中村区椿町12-12 ホリエビル
  • 電話番号:050-5532-3900
  • URL:https://horiebldg.jp/
  • お問い合わせ先:

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