塀の中のジュリアス・シーザー

ミニ・シネマ・パラダイスVol.8
ミニ・シネマ・パラダイス 市川桂

2月の夜の銀座は、昼間の活気が嘘のようで、街灯も心もとなく、とても寒い。 18時30分からしかお目当ての映画がやってなかったので、やむなく歩きます。 ビルの間から冷たい風がびゅうびゅう吹いて、私の心までも冷たくさせていきます・・・。 かなりすさんだ気持ちなりながらも、大通りを橋まで歩いた先にあるビルにテアトルシネマ銀座がありました。 銀座らしく上品だけど、かなり古い印象のビル。 高架の下にあるので、以外に目立たない。でも大きめのビルです。

テアトルシネマ銀座はわたしと同い年(!)の1987年生まれで、この地で26年間、映画文化を支えた映画館。実は「さよならカウントダウン」という興行も始まっており、2013年5月にその歴史に幕を下ろすそうです。 ちょうどその日の日中に、友人とミニシアターがどんどん潰れている、という話をしていましたが、ミニシアターがなくなる=ひとつの文化が終ってしまう=文化に触れる機会が減ってしまう、と思うと、寂しい気持ち以上に、今後観れる映画が減ってしまうことに危機感を覚えてきます。

今回みた「塀の中のジュリアス・シーザー」、 ジュリアス・シーザーは「ブルータス、お前もか」という名台詞で有名なシェイクスピアの書いた悲劇です。 その悲劇を更正プログラムの一貫として演じるのが、刑務所に収監されている囚人たち。 彼らの罪状は、殺人罪や麻薬密売、マフィア関係者などなど、刑期15年~終身刑まで。 一般人を招いた発表会を行うのが最終ゴールです。 映画の冒頭とラストは公演の様子をカラーで映し、練習風景はモノクロで映しだしています。 刑務所内のいたるところ(監房、廊下、屋上、渡り廊下など)で練習が行われていきます。

演劇が時系列に沿って練習が進んでいく中で、はじめは演劇だったはずが、刑務所の屋上で、ブルータスとシーザーが真剣に対峙している姿は、Tシャツ姿に殺風景なコンクリートといった姿かたちにも関らず、ローマ帝国へと様変わりしてきます。 彼らは果たして、現実にいるのか、演劇の中の役者になりきっているのか、彼ら自身が自分をどう自覚しているのかが、分からなくなるのです。いつしか演劇と現実世界の境界線がゆるやかに溶けてなくなってしまいます。 その溶け込み具合が絶妙で、ゾクゾクします。 観ているうちに、ハッとした瞬間、その事実に気付くのです。 それはまさに映画作りの職人芸的で、押し付けがましさもなく、 あからさまな仕掛け作りに走っているわけでもなく、 あくまで、溶けてなじんでいき、その境地に連れ去られてしまう、味わい深い感覚です。

監督はパオロ・タビアーニとビットリオ・タビアーニという兄弟で、 80歳を迎えるイタリアの巨匠。これまで過去、数々の世界的な賞を受賞しています。

あとから調べてビックリしたのが、この囚人たちは映画の中の役ではなく、本当に現実世界にいる囚人たちだったのです。現役の囚人がほとんどです。 つまり、この映画そのものが更正プログラムを行っている囚人たちのドキュメンタリーでもあったのです。

映画、演劇、現実の3重構造を巧みに使った映画、なかなかないと思います。 本作は第62回ベルリン国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞。 囚人たちは獄中にいながら、賞を受賞し、当然授賞式には参加できない、という異例なことになりました。 監督たちの長年の職人芸をみせつけらたなぁと思いながらも、感覚としては重苦しくなく、見ごたえは、すごく軽やか。囚人たちは劇の中で絶望し、劇が終わりを告げると公演の成功に歓喜し、映画は終わり、そしてまた囚人(現実)へと戻っていきます。 あの交じり合った世界にいた瞬間はなんだったのか・・・。

ちなみに公式サイトでは彼らのプロフィールと、刑期・罪状が見れます。(ブラックすぎるユーモアですね。)

塀の中のジュリアス・シーザー

「塀の中のジュリアス・シーザー」
監督パオロ・タビアーニ ビットリオ・タビアーニ 76分
製作年 2012年
製作国 イタリア
キャスト
コジモ・レーガ サルバトーレ・ストリアノ ジョバンニ・アルクーリ
配給:スターサンズ

Profile of 市川 桂

美術系大学で、自ら映像制作を中心にものづくりを行い、ものづくりの苦労や感動を体験してきました。今は株式会社フェローズにてクリエイティブ業界、特にWEB&グラフィック業界専門のエージェントをしています。 映画鑑賞は、大学時代は年間200~300本ほど、社会人になった現在は年間100本を観るのを目標にしています。

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