たかがミステリー、されど映像芸術。それじゃ、ヒッチコックかよ

Vol.022
井筒和幸の Get It Up !
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

「晴れ、ときどき殺人」という赤川次郎のポケット版の原作は、角川からオファーを受けた一週間後に、やっと読んでみた。この小説家の本は他にはほとんど読んでいなかった。友人の相米慎二が「セーラー服と機関銃」を撮らされたので、町の本屋で立ち読みしただけだった。しかし、10ページも読むとうんざりで、閉じて棚に戻すしかなかった。女子高生が老舗の小さなヤクザの跡目を継がされる羽目になり、敵の組織と争うとかいうデタラメ話もいいとこだった。映画がめざすリアリズムとはほど遠いし、それらを書いてきた作者の、新作が「晴れ」だったから読む気が起こらなかったのだが、恐る恐る、表紙を開くしかなかった。

 

予感した通り、物語はお粗末なもので、都心にある上流階級のお屋敷が舞台になっただけの殺人犯探し当てドラマだった。まあ、上流階級の暮らしぶりは想像はついても靴の上から掻くようで、それに何の魅力も感じられないし、主人公のそのお嬢さんがアメリカ留学の帰国子女となると、これまたボクのリアリズムでは探りようもないし、歯の浮いた陳腐なアイドルミステリーに終わってしまうだけだし、オリジナルアイデアなんてどこに入れる余地があるのか。読んでもぞっとしなかったのだ。しかし、制作下請けプロがシナリオ作りとキャスティングに早々と動き出した以上、困ったなんて言っている暇はない。
84年の5月には撮影開始のスケジュールが出ていた。そして、9月の中旬には東映で全国一斉公開の予定だった。

 

制作プロで脚本打合せを繰り返したが、原作どおりの小娘ミステリーは所詮、小娘映画にしかならないなと腹を括った。初めてついた助監督の一人が、「カントク、今、日比谷のみゆき座で、ヒッチコックの『ハリーの災難』と『知りすぎていた男』がかかってるから、改めて見に行って研究しません?」と生意気なことをいうので、「おお、ええよ、行こうや」と付き合ってやった。実はそれまでヒッチコック映画は、だからそれでどうしたんだ?というほどの他愛無いよその国のおとぎ話だとバカにしていたので、『ディア・ハンター』や『レイジング・ブル』や『フレンチ・コネクション』ほど勇んで行ったわけじゃなかった分、スクリーンで初めて真面目に見て、真面目に時を忘れられて良かった。ヒッチコックは『ダイヤルⅯを廻せ!』ぐらいかと思っていたが、なかなか、嘘っぱち話と分かっていてもそれなりに作っていて、見飽きないんだなと初めて知ったのだった。

 

 そうか、観て良かったんだ。映画は「自然に、単純に、省略して」と観終わってから思った。如何にリアルだろうとも不自然なら変にひっかかるし、如何にリアルでも複雑だと客を悩ませるし、簡潔にしないと面白くならないんだと妙に合点がいった。ヒッチコックは昔、グレース・ケリー嬢が指示されたように演技ができずに悩んで試行錯誤してあれこれと監督につっかかってきた時に、「たかが映画じゃないか」と答えたという。オレも、たかがミステリーじゃないの、分かりやすく推理させていけば良いんだと思った。

 

でも、この原作にある会話は紋切り型でちっともリアルじゃないし、ダサい限りだったのは確かだ。しかも、上がってくるシナリオはそれらをそのまま張り付けてるようなセリフばかりだった。よっし、現場に入ってからこっちで好き勝手にアレンジして役者に言い直させて、アドリブもいっぱい足してやろうとも思った。あらすじの骨格になる説明セリフだけはライターに任せといて、後は、こっちの好きな言い回しに変えて役者と遊んでやろうと。

 今に至ったボクの現場で思いつくまま即興台詞を作り出し、キャメラポジションもころころ変わるスタイルは、シナリオ作家協会員の脚本家がどう反発してこようが、この映画から決まっていった。そして、台本ページに、市川崑や山田洋次や大方の諸先輩たちの習わしのような、ペンで行間に筋を引いてコンテを割って撮影に臨むスタイルを、照明や小道具のスタッフがどれだけ迷惑がろうとも止めにしたのはこの作品からだった。理由は簡単で、前の晩に考えておいた撮影イメージコンテなんて、日が変われば何の真理もなく面白みもなくなって干からびてしまうからだ。

 

4月に入ると、主演の渡辺典子のどうなるか予想のつかない芝居を受け、巧くカバーできて、ギャグまで挟んでくれそうな共演者たちを探した。先輩のキャスティング担当が、「監督さ、最後に分かる女ばかり殺す変態サイコ殺人鬼の役、この人どうだろか?」と自分のアイデアに愉しんでそうな眼で、ボクに訊いてきた。「伊武雅刀さんかな?」「違うよ、彼なんか一発で犯人ってわかるよ。奴も攪乱役で出したらいいけど、もっとマザコンの感じで最後まで絶対に客にバレない男、ユーミンの旦那、この前、NHKの銀河ドラマに出てたんだけど、味あったよ。松任谷正隆さんでどうかな?」と先輩は自信満々だった。「なるほど!いいですね。決まりです。すぐ交渉してくださいよ」とボクは、人生で初めて素直に応じていた。プロらしいキャスティングだった。典子の母親役に浅草の剣劇スター浅香光代師匠も薦められた。上流企業の会長役とは言えないが、俄然、クランクインが待ち遠しくなった。

 

〈続く〉

プロフィール
井筒和幸の Get It Up !
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画制作を開始。
8mm映画「オレたちに明日はない」 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を制作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年) 「晴れ、ときどき殺人」(84年)「二代目はクリスチャン」(85年) 「犬死にせしもの」(86年) 「宇宙の法則」(90年)『突然炎のごとく』(94年)「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 「のど自慢」(98年) 「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年) 「ゲロッパ!」(03年) 「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年) 「TO THE FUTURE」(08年) 「ヒーローショー」(10年)「黄金を抱いて翔べ」(12年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、独自の批評精神と鋭い眼差しにより様々な分野での「御意見番」として、テレビ、ラジオのコメンテーターなどでも活躍している。

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP