粗にして野だが卑ではない

Vol.152
CMプロデューサー
番長プロデューサーの世直しコラム
櫻木 光

なんかね、嫌な事件が多くなってきましたね。

 

気候はおかしいし、みんな歳をとって元気が無くなっていく気がするし

年金制度は将来、破綻しそうな気配が漂ってきたし、って

ずいぶん前からわかっていたようなことばかり顕在化するように

なってきたんでしょう。誰も何も手を打たなかったからですね。

 

自分も含めて、わかっているのに何もしてこなかった僕ら大人は

近い将来、日本人が絶滅してしまうかもしれないという事実に直面して

何かのアクションを起こさなければならなくなっているやばい状況かもしれません。

 

そんな状況と閉塞感の中で、最近はめちゃくちゃな事件が起きる。

 

学校や、家の周りのコミュニティや、大人たちから

大人しくしろ、真面目にしろ、言われた通りにしろ、そしたらいいことがあるから、

って聞かされて真面目にやってきたけど、いいことなんかまるでねえじゃねえか。

都合よく綺麗事ばっかり言いやがって。騙したな。

という若者の叫びのような気もします。

勝手に好きなことをやった奴の方が楽しそうでいいじゃねえか、と。

 

そんな風潮だからか、身勝手で独りよがりな奴が増えてきたように感じます。

自分より弱い他人を攻撃してうまくいかない自分の気を晴らす、

自分に得になることしか興味のない、貧乏くさい振る舞いの

卑しいバカが増えたような気がする。それを正当化しようとすらしている。

 

「粗にして野だが卑ではない」という言葉があります。

78歳で三代目国鉄総裁となった石田禮助の生涯を記した本のタイトルで、

実際、石田氏が国鉄総裁となって初めて国会で自己紹介した時の言葉、だそうです。

 

「言動が雑で粗暴であっても、筋が通っていて、決して卑しい行いや態度をとらない。」

という意味ですね。

財界人がみんな尻込みする中、火中の栗を拾う覚悟で国鉄改革を成し遂げた、堂々とした

男の人生の話でした。

僕はこの本を、会社に入った頃に読んで、「卑」ではない生き方で痛快な物言いの石田氏に

その通り!と感銘を受けて、矢沢永吉の「成り上がり」と共に座右の著としてきました。

かっこいい大人に憧れていました。

(この本について説明したいところですが長くなるから書きません。ぜひ読んでみてください。)

 

そういう感じ、つまり気骨のある大人の男の生き方に憧れる感じから、

最近は徐々に世の中が離れていってるように感じられるのです。

 

僕は卑のつくことが本当に嫌いです。

卑怯、卑屈、卑劣、卑賤、卑下。クソな概念です。

 

人の功績を自分のもののようにしたり、言うことをころころ変えたり、

強いものにこびへつらい、人を利用することは当たり前。

他人に嫉妬して、自分と他人を比べてばかり、他人をおとしめ自分が上がろうとする。

一見言葉や身なりが洗練されていても腹のなかはズルっこい。

 そういう人間は、信じられないことに、この日本に意外に多い。特に男に多い。

 

もっと恐ろしいことは、卑の要素のある人間がそれを隠すことがうまく

どんどん権力を握るケースは普通にある。ということです。その自覚のない奴もいる。

卑しい社長みたいな人がよく謝罪会見をしてるし、一部の政治家にはそれが丸出しの人すらいる。

 

それでいて最近は、粗野なことを極端に嫌う風潮がある。

その人が卑怯でも、粗野じゃなければ、いい人なんじゃないかというくらい

粗野なことを嫌います。

アンパンマンのアンパンチすら暴力的でダメだと言っている。

応援歌の歌詞の中の「お前」の表現が選手に失礼だからだめなんだそうです。

くだらない。

 

そんなに綺麗事でガンジーな建前を求めたとしても、世の中はそんなに甘くない。

 

煽り運転の犯人が車を降りてくる時の顔をみたでしょ?

子供の通学のバスを待つ列に包丁持って突っ込んでくる奴がいる。

人様の会社にガソリン撒いて火をつけるような奴がいる。

法の目をかいくぐって老人から金をだまし取ってる奴らもいる。

卑しさ満杯の暴力ですよ。

 

現実はどんどん悪化しているのに、

世の中はどんどん綺麗事で蓋をしようとしているように見えるのです。

 

正義のパンチ、アンパンチがダメでお前はどうやって身を守るのか?と思う。

殴られっぱなし、やられっぱなし、傍観しっぱなしは嫌じゃないか?

 

大事なことは「卑」な人間ではないことだ。

どう綺麗事を並べて安心しても、暴力は無くならない。

弱いものに向かう卑劣な暴力に立ち向かう力や気概をちゃんと身につけておいて

自分の身を守るため、弱いものを守るためだけに使う、ということを考えるべきだ。

自分の力は絶対弱いものには向けない、ということを決めることだ。

 

本当は、粗でもなく野でもなく卑でもない、というのが理想でしょう。

だけど、最初に忌み嫌うべきは「卑」でなければならない。

 

粗野だと思われても、見て見ぬ振りはせず、間違っていると思うことは

はっきり大声で間違っていると言わなければならない。

そして、粗野な振る舞いの人と対峙しても怖がらず、それが

自分と違う考えでも、主流でなくて異端でも、排除することなく

迎合することもなく、受け入れる度量を持っていたい。

 

偉そうなことを書きまくっても、自分の中に「卑」が存在することも

分かっている。人間の前に動物だからだろう。

ちょっと気を抜くとそれはむくむくと出てくることもある。

それが本当に嫌なのだ。叩き潰したい。

 

巧妙に隠された「卑」を見抜けないまま、ちょっと乱暴な正義の味方を排除してたら

ますます悪がはびこっちまうぜ、と思う今日この頃である。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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