映画哲学がオモシロかった日々

Vol.003
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸 氏

日本の映画倫理委員会が「18歳未満お断り」と入場制限した成人映画、つまりピンク映画を何本か撮り、その間に16ミリで児童教育映画も撮ったりして、これ以上どんな努力をすれば、このアンダーグラウンドを這い出て、うちの田舎の母親でも観られる一般映画を作れるようになるのか。70年代の終わりは、そんな夢ばかり見ていた。バックダンサーのスクールメイツ出身だったアイドル3人娘のキャンディーズも解散して普通の女子に戻ったというのに、こっちは普通の映画の意味さえ分からず、仲間と哲学問答ばかりしていた。大阪の不良少年らが群れなす『ガキ帝国』の原案になった「ガキの愉しみ」という題名の未完シナリオ(朝方に見る夢の走り書きに近いもの)は手元にあったが、それとて、ボクが日々の慰めのメモに過ぎなかった。ピンク現場で知り合った大杉蓮や下元史朗や日活女優の山科ゆりらと新宿ゴールデン街で呑んで、「もっとスケールのあるバイオレンスアクションとかやりたいな」と語り合った。ボクは、性描写ばかりの“内海の映画”から“大海原”に舟こそ小型の手漕ぎ船だったが、早いとこ船出したかった。

スクリーンに映れば何でも映画だという訳じゃないだろ。ボクと仲間は、しきりに「映画」とは何ぞやと問答し合った。テレビ時代劇の“勧善懲悪”の真似ごとではなく、どういうことが映画らしいのか。喫茶店で冷コ〈アイス珈琲〉を飲み、暮れると串カツ屋でコップ酒片手に四六時中、ボクらは談義した。「慰めてくれるもの、それは演歌だろ」「笑わせるもの、それは落語でいい」「奮起して上気劣情するもの、ストリップ劇場かよ」「ただ興奮するんじゃなく、最後にしみじみさせること」「しみじみなんか後回しやろ。最後に思い知らされて茫然自失することだ」と、皆で呑み代が尽きようと言い合うのが愉しかった。「『生きている悲しみ』なんて観客はわざわざ劇場に確認しに来ないぞ」「だったら衆愚は何を求めに来る?」「大衆の感覚はマチマチだろ。誰のための映画なんだ?」・・・。ボクは助監督として付いたことがあるピンクの売れっ子監督だった山本晋也から、「イヅツよ。映画ってのは娯楽でも芸術でもない、その間にある『芸能』の一つさ。京の鴨川の河原の何とかは歌舞伎役者だけど」と教えられたままを受け売りで説いたりした。すると、仲間が「なるほどなぁ。フランシス・コッポラだ、ロマン・ポランスキーだ、と騒いでるけど、『芸能』なんや。つまり、苦しみを和らげるモノってことか」と追い打ちをかけて酒を呷(あお)った。“見た瞬間に大人になったと思うモノ”と横から社会学部中退の仲間が言えば、奥の席から、全共闘運動の闘士風の年長者までが「『歴史』ちゅーのは国家と権力の歴史や。だから映画こそ、その反対側にある大衆史にならんとアカンのや」と断言する始末だった。この夜の映画の哲学談議はほんとに愉しくてためになった。(後日、もう一度この話を仲間とおさらいして書き留めた大学ノートがまだ手元に残っていて、それも懐かしい。)

そうなんだ、狂おしいほど愉快になり自分の為になるモノ。人の夢と野望の果て。これがその時、強引に定義づけた“映画”の本質だった。でないと、人から金も取れないし、ただの暇つぶしか、享楽に過ぎないのだ。エンターテイメントの語源は、たかが「暇つぶし、間繋ぎ」だ。一週間で忘れ去られるようでは話にならないのだ、というのが結論だった。
この頃、雨の降る日は大阪の新世界に出て、大作もB級もよく観た。たとえ、それが連続殺人モノでも、色々な文明と野蛮が見えて愉しく勉強になった。作り手が詩人なのか、ただの商売人か、見分けることもできた。
(続く)

井筒和幸(映画監督)KAZUYUKI IZUTSU

■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画制作を開始。
8mm映画「オレたちに明日はない」 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を制作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年) 「晴れ、ときどき殺人」(84年)「二代目はクリスチャン」(85年) 「犬死にせしもの」(86年) 「宇宙の法則」(90年)『突然炎のごとく』(94年)「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 「のど自慢」(98年) 「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年) 「ゲロッパ!」(03年) 「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年) 「TO THE FUTURE」(08年) 「ヒーローショー」(10年)「黄金を抱いて翔べ」(12年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、独自の批評精神と鋭い眼差しにより様々な分野での「御意見番」として、テレビ、ラジオのコメンテーターなどでも活躍している。


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