風刺

Vol.194
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

社会の有様とか、なんかよくわかんないけど気持ち悪くなってるなあ。

なんか大事な事が足りてないよな。昔はもうちょこっと何かがあったけど。

なんなんだろう?と思ってあまり気にせず、時代の変化か、とくらいに

自分の中で片付けていましたが、あるきっかけでその正体に気づいてしまいましたよ。

 

風刺です。

 

昔、大手新聞には風刺画や風刺漫画がよく載っていて、面白がって見ていた。

今は全くと言っていいほど見かけなくなった。

 

風刺って何が面白いかっていうと、権力者が嘘をついたり、人を殺したり

重大犯罪に手を貸していたりするとすかさず、風刺作家は、鋭い切り口で

化けの皮をひっ剥がしてユーモアで包んで差し出してニタっと笑う。

風刺は自分の怒りから冷静に距離をとり、憤りを抑制して遠回しに表現する。

 

風刺漫画、風刺画がめざす所はおかしみだったと思う。とんでもない事が起きているんだよ

という事を、クスッと笑える話にする。そうだよなあ、俺もそう思ってたよ。

と読む人が大事なことに気がつき、共感できるような話や絵にする。溜飲を下げる。

 

これらは、ネットでよくある非難や誹謗中傷、攻撃ではない。批判でも皮肉でもない。

風刺は描く人が権力者を挑発したいわけでもない。

現在進行形の嫌な出来事に対して、物申す側がどこまで礼儀を守ればいいのか、

どこまでは許されるのか?というギリギリのところを考え尽くして作られている。

ものすごい高度に研ぎ澄まされた客観的な表現なんだと思うのです。

 

クスッと笑える話の本質にはゾッとするような隠された事実が見え隠れする。

気づく人は気づく。皆までいうな。わかるだろ。こいつら変だよな。へへへ。

こんなことしちゃダメだよ。ね。という表現。

 

この風刺の精神が、以前は、新聞にもテレビにも漫画にも映画にもふんだんにあったような

気がします。古典落語なんか全部社会風刺かもしれない。外国にはまだふんだんにある。

 

手塚治虫が「漫画に必要なものは風刺と告発の精神」と言ったそうです。

喜劇王チャップリンの白塗りの顔にちょび髭は全部ヒットラーに対する風刺。

スイフトのガリバー旅行記も実は当時のイギリス社会の不条理への風刺作品。

 

クリエイティブってまさしくこの精神なんじゃないかと思うんですけど

なぜか最近の日本ではお目にかかる事があまりなくなりました。

 

風刺の精神がなくてなんか面白い物が作れるんだろうか?

 

広告の世界ではリスキーで敬遠される表現方法ではあるので元々少ないのですが

昭和のCM100選などを見ていると、風刺的表現の広告は結構出てくるものです。

そして面白い。時代の証人でもあるからだ。

 

今はインターネット上で、風刺なんか意味わかんねえ。って感じで、短絡的な

誹謗中傷非難轟々の意見のやり合いとかを見かけますね。直接の殴り合い。炎上。

ふと考えて、もっとうまい言い回しに転換できないもんかね。と思う時があります。

 

そもそも、風刺、批判と非難、皮肉の区別がつかなくなっているんじゃなかろうか?

 

文句を言うのは簡単だけど、文句ばっかり言ってるだけでなんの解決もないのが

今の社会の息苦しさじゃないのかなとも思います。

論破したからって面白くもなんとも無い。

後味が悪いだけで勝者を尊敬もしないし何も産まない。

 

ユーモアが無いからついに近所の人を切り付けたり、殺し合いを始めた感もありますからね。

治安まで悪くなってきちゃった。

変な話でも、面白い表現で言い換えて、クソっと思ってる事をしょうがねえなあに変換できたら

いいガス抜きにもなる。許しさえ生むやり方だと思うのです。

 

風刺ってのは、大手のメデイアで、不条理を明確に、唯一表現することのできる手法だったのに

権力者への不必要な忖度や、そこからの圧力もあるんだろうけど、なぜやめた?

誰が風刺画、風刺漫画的な表現を日本で潰しちゃったんだろう?

それが確実に文化の衰退にしかならないというのに。

 

風刺という表現が超えられないラインは人権、人種差別、性差別。宗教のタブー。

それ以外に聖域なんか無い。表現の自由のギリギリ。

 

逆に大手のメディアが最近よく使う言い回しが「賛否の声が上がっております」

なんだけど、これは本当にクソみたいな言い方ですね。思考停止。

関西弁で言うところの「知らんけど」

みんなに嫌われたくない、喧嘩の弱い卑怯な同級生って感じ。気持ち悪い。

 

なるほど、うまい言い方をするね。という感激の機会がなくなった。ということです。

上手いこと言われたら困る奴らも、本当に言われたら困る事をしてるから風刺を

受け入れる余裕がない。これが今の日本なんでしょうね。悪い奴があからさまに卑怯。

 

民主主義だろうと権威主義だろうと、独裁主義だろうと、風刺は社会のレベルの高さや

寛容度、対話のレベル、そう言ったものを測ることのできる表現方法だ。と思うのです。

これがない社会は相当レベルが低い。バカの国になりつつあるということです。

考える側も思いつかなかったり、忖度ばかりしたり。受け取る側も、よくわかんねえ。と。

 

問題をうまいこと気づかせてくれるような表現がない。

嫌な人間が皮肉をいい、文句のゴミ捨て場で喧嘩して裁判沙汰をおこすケースは

増えているけど、冷静に社会を風刺できる人はいなくなっている。

 

風刺の精神が圧倒的に足りないのが今の日本だと気がつきました。

不条理や理解できない出来事、受け入れたく無い出来事をわかりやすく明確に表現する。

そう言う事が圧倒的に足りないのだ。

日本はダメになったダメになったというけれど

何かを恐れて、考えるのもやめて、誰も止めようとしなかったじゃーん。と思う。

 

そして何が悪いのかわからないまま、ヒステリーばかり起こし、どんどん悪くなって行く。

そこが怖いんですよ。今は。

 

「男はつらいよ」と言う映画の主人公の寅さんは社会風刺の人だった。

本当の意味でのいい人だった。自身の失敗の経験から人間関係を教えてくれる人。

風刺的なセリフと一見トンチンカンだけど深い行動が魅力的だった。

あくまでも創作上の人物なんだけど制作者側の意図がふんだんに入っていたと思う。

大人の道徳。

 

そんな表現が少なくなって、世の中にセコくて嫌な人間が増えた。

セコくて嫌な人間だと、いくら儲かってもかっちょ悪い。と言う風潮が無くなった。

うまくいかない自分の境遇のストレスを、てめえの要求に転換して

自分は正しいと言い張る無神経なバカがウヨウヨし始めている。それが今。

 

文句があるなら、頭を使え。お前の感情的な文句なんか聞きたくねえんだよ。

ちょこっとでいいから人が喜んで聞いてくれるような言い回しや表現を考えた方がいいぞ。

と思う。

文句ばっかり言って卑屈なお前も、その心がけ次第ではクリエイターにも

人気者にもなれるんじゃ無いの?

 

知らんけど。と。

 

 

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プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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