必要なものとそうでないものの区別

Vol.167
CMプロデューサー
番長プロデューサーの世直しコラム
櫻木 光

 

僕、買い物が大好きです。

これまでも、とにかくいろんな物を買いました。

買った後によく考えると、さほど必要でもないものが、ある時、病気のように欲しくなる。

ただ欲深いだけなのか?何かのストレスだったのか?劣等感の表れだったのか?

とにかくいろんなものが欲しくなって仕方ありませんでした。今もそうですが。

育った家がものすごい貧乏で子どもの頃に何も買ってもらえなかったわけでもありません。

 

世代的に物を所有することに何かの価値を感じているんだと思います。

 

 

何かが欲しいと思って、そのことを考える。調べる。金策をする。

そういう行為は一種の快楽ですね。何かを買おうと調べたり考えているときは楽しい。

仕事の悩みで眠れない時に、次に欲しいと思っているもののことを考えると安らかな気分になって眠れることがよくありました。

なんなんだろう?あれ。

 

そうやって腕時計やカメラ、ギター、スニーカー、フィギュア。バイク、自転車、パソコン、家電、家具、マンション、服、株券。

いろんなものを買ってきましたが、はっきりいうとどれもそんなに役に立ったことはない。

どっちかっていうと家の中で放置されているものが多いのです。結果的には。

家の中にはそうやって溜まっていった物が、いまだに溢れかえっています。

 

若い頃をバブル期に過ごしたので、その風潮が強く、そういうものだと思っていたのでしょう。

高級なものや珍しいものがステイタスで、そういったものの所有欲がみんな強かった気がします。

 

若い頃、仕事として初めての海外ロケはハワイでした。

「必ずいい時計をしていけよ。いちばんいいのはロレックス。ハワイにくるやつはみんな格好がラフで身分がわからないのよ。

だからホテルのフロント係は客の腕時計で客のことを判断するからね。この客は金持ちか?リピーターになって欲しいか?

サービスした方がいいかどうかをじっとみてるからね」

と、先輩からアドバイスされたのが印象的でした。

今考えるとカッコ悪い意見だと思いますが、その時は的を得てるように感じたのです。

そんな気分で、他人より「少し偉いんだぞ、俺」気分を味わいたかったんでしょう。

 

人の購買欲を煽って商売するのがテレビコマーシャルです。

それを仕事にしていて、どうやったら荷が動くのか毎日考えて生きてるんですが。

ふと気づくと、若者がものを買わない時代になっているそうなんです。

 

ものが買えないわけではなくて、“ものに価値がない時代”が来ているんだそうですよ。

一番驚いたのが、自動車メーカーに勤める若い友人が車を持っていなかった事です。

「車、東京ではまるでいらないっすよ。リスクとコストが高すぎますよ」

だそうです。

「車が好きで自動車メーカーに入ったんじゃないの?」

「いいえ、仕事ですよ。就職先。大きい会社だし」

 

現代人の消費の動向の変化を表す言い方で「リキッド消費」と言います。

シエアリングエコノミーともいうそう。

レンタルやシェア、サブスクリプションなどが台頭してきて今の主流になっている。

ヤフオクやメルカリも大きい括りではその一部とも言えます。

 

また、極力無駄なものを持たない暮らしの提案も流行っていて、「ミニマルライフ」と呼ばれています。

そういう生活をする人をミニマリストとも呼ぶそうです。

 

 

テレビコマーシャルを見ていても変化は分かります。

若い世代がテレビを見ないと言われていますから仕方がないと思いますが、

よく見ると、コマーシャルで売っている物は高齢者向けの商品ばかりです。

膝が痛いサプリ、膝のサポーター、膝の塗り薬。疲労回復のドリンク。保険。

化粧品もシワやシミに効くものばかり。

 

他は直接お店で買わないもののCMが多い。ネット配信のドラマ、ゲーム、スマホアプリ。

買取業者のCMも多い。年寄りが溜め込んだものを吐き出させても商売になるのでしょう。

車とビールはいまだに頑張っていますが、車も定額制のレンタルのCMが流れ始めました。

 

日本は確実に今の価値観でいうと縮小していく社会です。

それがいいか悪いかはわかりません。

東京にはまだ人がたくさんいますが、田舎に帰ると、昔、賑わっていた商店街に人っ子一人いなかったりします。

何だか寂しいものです。

 

全体的に若い人の人数が少なく年寄りが多い。

単純に人口が減っている。

大量に生産して大量に消費する時代ではなくなったのはこれ、当たり前の流れですね。

 

景気は悪いままで、適当で愚かで今しか見えない無策な大人達のせいで若い人たちが割りを食っちゃったこともあるのでしょう。

油田持ってて、税金がタダでお金が余ってれば、買いたいものは借りずに買うでしょう。

年金もらっても老後は2000万円足りないって国に発表されちゃったら、お金を使いたくなくなります。

 

しかし、ものが売れないのは、そういう寂しい理由だけでもありません。

ものを買わなくて済むということは、環境問題からしても成熟し始めた社会とも言えます。

消費のデジタル化なんかまさにそうで、

最近まで買っていた音楽CDや映画のDVDなんかはインターネット経由で聞いたり見たりするのが当たり前になりました。

買わなければ手に入らなかったものたちが、必要な時に必要な量だけ消費できるようになって来ました。

自動車でさえサブスクリプション化、月額いくらで借りて乗る時代です。

自転車のシェアも東京では当たり前ですね。

 

世の中には社会貢献の意識も高まって来ているし、無駄な資源を使うのやめましょう的な空気です。

環境問題も、これだけ自然災害が身近になってくると考えない方がおかしい。

何でもかんでも欲しがって、いっぱい買って、いっぱい捨てる。

そんな行動をしていた僕らより上の世代は、今の若者からしたらバカに見えるのかもしれません。

スニーカーをたくさん買って悦にいってる人はただの社会迷惑なんですね。

 

 

さて、そうなった時の気分の問題ですが、

欲しいものが見つからない、ものを買う必要がないって、本当は幸せなんでしょうか?

貪欲に買い物大好きな僕にはどうにもわからないのです。

 

最近のユニセフの発表によると、「日本の若者は幸福度が最低水準」らしいです。

何を基準に幸福か不幸か測れるのか甚だ疑問ではありますが、

最低水準ということは戦争している国の子たちレベルってことなんでしょうか?そんなバカな。ですが。

 

幸福ってどうやったら感じられるのでしょうか?

 

僕はやりたいことを気がすむまでやれることなんじゃないかと思います。

寝ても覚めてもやってられることを、見つけて、没頭する。

あわよくば、それで飯が食えるようになる。

その延長線上にワクワクすることや楽しいこと面白いことを増やしていくこと。

それが幸せなんじゃないかと思うのです。

 

やりたいことを探す、やりたいことをやるにせよ、そのための武器は買わなきゃいけない。

追求していった先にある価値の高いものは簡単にレンタルしてはくれないでしょう。

だから、そういうものは買えばいいし、いるかいらないか分からないシェアされているモノは買わなきゃいい。

そこのメリハリをつければいいと思うのです。

 

また、ものを買って承認欲求が満たされるのは、実は自分の心の中だけなんでしょうけど。

ただ、自分自身で自分を承認することができるなら、それが活力になるなら、それは絶対にあったほうがいい。

 

ものには価値がない。ものを買うのはやめよう、断捨離だ、捨てろ捨てろ。

と、ヒステリーにミニマルライフを追求していてもなんだかつまらない。

買えないだけだからなあ、と貧乏くさすぎて寂しい気分になったり

ダイエットしすぎて死んじゃう人みたいにならないようにしたいものです。

 

逆に、僕らの世代でも、コロナのおかげで在宅ワークが続いたりして他人に会わない生活をすると、いろんなものが不必要だと感じたと思います。

コロナ断捨離をした人がたくさんいるそうですが、自分の生活を見つめ直す時間があって感じたことは正しいと思うのです。

 

そうやって、自分に本当に必要なものとそうじゃないものの区別がつくようになって来たのは、

日本の世の中は、特に若い世代は、少し洗練されて来ているんだと思います。

 

今いる、欲深い、最後の高度成長期世代の人たちが政治や経済の世界から引退してしまうと

案外、日本は洗練された国になれるんじゃないかと思ったりもします。

 

 

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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