ふと、読み返したくなる一冊
年に一度くらい、ふと読み返したくなる本がある。
ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』。今さら私が語るまでもない、世界的な名著だ。
私がきちんとこの本を読んだのは、大人になってからだった。
10代の頃は、この残酷さを読む勇気がなかった。
今もその内容をきちんと受け止められているかと問われれば、自信はない。
本作は、第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所に送られたフランクルが、自らの体験と、極限状態に置かれた人間の姿を記した本である。
そこに描かれているのは、飢えや寒さ、暴力、強制労働、そして死が日常となった世界だ。
収容所に入れられた人々は、最初は目の前の死や暴力に恐怖し、傷つく。
しかし、やがてそうしたことに少しずつ反応しなくなっていく。
感じ続けていたら生きていられないために、心が麻痺していくのだ。
「慣れる」という言葉では到底足りないほど、その過程は残酷だ。
けれど、本作は残酷さだけを描いた本ではない。
強制労働へ向かう途中、フランクルが心に浮かぶ妻の姿と対話する場面がある。
妻がどこにいるのか、生きているのかさえ分からない。
それでも彼は、この地獄のただ中で、人を愛することについて考える。
印象に残った場面として、よく語られる一節だ。
しかし私は、この場面の本当の意味を理解できていない。
できれば理解できないまま、この世を去りたいとすら思う。
それでも、読むたびになぜか泣いてしまう。あの涙は本当に何なのだろうと思う。
もうひとつ、夕焼けの場面にも心を揺さぶられる。
既読の方の中にも、この場面が忘れられないという人は多いのではないだろうか。私もご多分に漏れない。
一日の強制労働が終わり、死ぬほど疲れ果てているのに、仲間が「とにかく出てこい」と急き立てる。
人々は外に出て空を見上げ、その美しさに心を奪われる。そして誰かが言う。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ」
美しい空があっても、現実の地獄は続く。
妻への愛も、現実を変えてはくれない。
それでも人は、誰かを愛し、美しいものを美しいと感じる。
「あなたが体験したことは何人にも奪えない」という言葉も、本作には出てくる。
自由も財産も、家族も未来も奪われる場所で、それでも、かつて誰かを愛したことや、美しいものを見たことまで、なかったことにはできない。
ただし、それは明るい慰めだけではない。
愛や幸福と同じように、受けた暴力や恐怖もまた、その人の中に残ってしまう。
残酷さがあるから愛が尊い、ということではない。
愛や美しさが、残酷な現実を帳消しにするわけでもない。
どちらも打ち消し合うことなく、同じ人間の中に、同じ世界の中に存在している。
それでも、どちらか一方だけを見て人間を語ることはできない。
この作品についての感想を、私はいつもうまく言葉にできない。
それでも、心を大きく揺さぶって欲しいとき、たまに読み返してみたくなる。
そういう本が人生に少しでも増えるといいなと思う。







