ミッション21「貼り紙を読め!」

ミッション21
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター / コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

<はじめに>

「もしもタイムマシーンがあったら?」などというありがちな空想や質問はふだんは好まないのですが、今回のこの事態に限っては100年後とか10年後とかではなく、ほんの1年後の世の中がどうなっているかを1分だけでもいいので覗いてみたいです。全く想像がつきません。未来の教科書にはこのコロナ時代はいつからいつまでと記されているのでしょうか。ダイヤモンド・プリンセスが横浜港へ入港したのが2月3日ですか。僕自身も2月11日から20日までは仕事でキューバへ行っていて(※とりとめないわ54 参照)戻ったときはまだ静かな時代でした。それから1週間で北海道が緊急事態になり安倍首相が「あらゆる手を尽くす」と述べたのが2月29日。ここからがいわゆるウィズコロナでしょうか。そしてこの頃から街中で貼り紙が目立つようになりました。

<貼り紙の歴史>

ものの本によると日本で最初の貼り紙は平安時代。お上からの命令や禁止や通達などを書いて門や壁に貼り出した紙のことを貼り紙と呼ぶようになったそうです。そういえば一休さんの話のなかで桔梗屋の前の橋のたもとに「このはし、わたるべからず」と書いてあったのは立て札だったと思いますが、それも一種の貼り紙です。その逸話の信憑性はともかく一休さんは室町時代の人でその後も江戸時代には俸禄米の価格を張紙(貼紙)値段、米価を張紙相場と呼んでいたことからも「貼り紙」は広く世間一般に浸透し、街なかには高札と呼ばれた掲示板が各所にありました。現代でも各地各町に掲示板はしっかり存在しています。

<貼り紙はなぜ目立つ>

貼り紙はなぜ目立つのか。この理由は至ってシンプル。掲示板は別ですがほとんどの貼り紙はある日突然お店の入口やドアや窓などにお客さんやそばを通る人に向けて貼られます。本来そこは何もない場所ですから当然違和感があります。日常の中の非日常がたった1枚の紙で現れるのです。それは無論目立つわけです。話はやや逸れますが、数年前にツイッターやワイドショーでも話題になった「カラス侵入禁止」の貼り紙の話。カラス被害に悩んでいた人が専門家(って誰?)に勧められてその貼り紙を出したところめっきりカラスが来なくなって助かったという内容。そのからくりは、貼り紙を見た人たちが不思議に思いキョロキョロしてカラスを探しカラスの方を見ることで、カラス側が異変を感じてその場所に近付かなくなったのです。貼り紙の効果恐るべしです。

<コロナ渦の貼り紙>

さて、3月の前半から非常事態宣言が解除された5月の後半まで約3か月、リモート疲れですっかりたるんだお腹周りの解消も兼ねて毎日家の近所をせっせと散歩しました。そしてその途中途中で貼り紙を見つけては読んで撮影を繰り返しました。半径わずか300m内であっという間に100枚の貼り紙に遭遇しました。その100枚を見比べながら分析すると客観型、主観型、そして別物の大きく三つのパターンに分けることができました。

①客観型(写真 1~78)
これはきわめて客観的にお知らせをするもので、三つの中では断トツ(78%)で多かったです。内容は臨時休業のお知らせや営業時間の変更がほとんど。当初はこれでも読んでもらえていたのですが、あまりにも貼り紙だらけになった4月頃には「仕方ないからうちも貼り紙しています」感がわかるお店が何軒もありました。ただその客観的な内容も日を追うごとに深刻なものへと変わっていきました。特に緊急事態宣言が全国に拡大した頃あたりから閉店のお知らせの貼り紙が増えてきて散歩の帰り道の足取りが重くなることが何度もありました(※写真72,73,74,75,76,77,78)。75番のお店は元々ビルの立替え工事で立ち退きが決まっていたのが新型コロナの問題で前倒しで閉店になった事情がまっすぐな文体で書かれています。77番のお店は15年間分の78番のお店は親子三代に渡っての感謝が述べられています。特に恨み言などなく淡々とした文章が返って心を打つこともあるのだと教えられました。

写真1~4

写真5~8

写真9~12

写真13~16

写真17~20

写真21~24

写真25~28

写真29~32

写真33~36

写真37~40

写真41~44

写真45~48

写真49~52

写真53~56

写真57~60

写真61~64

写真65~68

写真69~72

写真72~76

写真77~78

②主観型(※写真 79~92)
一方、貼り紙の本来の姿に近いのはこちらの各々です。書いて貼った当人の気持ちが入っていてときには心の揺れがモロにわかるものもあり良くも悪くもしっかり目立つ役目は果たしています。79番のなんと素直な事情。やむを得ない感じが率直に伝わってきます。 80番と 81番を書かれた人は何となくですがクセが強そうな気がしてなりません。あくまで個人的な意見です。83番 84番 85番のお店の方はいずれもポジティブ。きっとこの3人で話せば盛り上がるはずです。特に 83番の店主はピンチをチャンスにという逆転の発想が好きなのだろうなと想像できます。 86番のお店の方も同じタイプかもしれませんね。体育会系なにおいがします。いい意味で(このいい意味でというコトバ、ちょっと意味ありげで最近使いにくいですよね。余談)。 87番と 88番のお店の方は間違いなくいい人です。そこまで気を配ると毎日の暮らしに疲れてしまわないかと心配です。お持ち帰りの弁当を買ったらマスクがサービスで付くなんてコロナ以前にはあり得ない組み合わせです。 91番を書かれた人が「休」と「体」を間違えたときの「あっ!」という顔が浮かびます。 92番の人はコピーライター的要素がありますよ(苦笑)。総じていえばこの型の貼り紙をされる方は個性的なケースが多いと思います。あ、もちろんいい意味で!

写真79~82

写真83~86

写真87~90

写真91~92

③別物(※写真93 ~100)
さて、もうひとつはこの時期になにこれ?というマイペースな貼り紙たちです。よりにもよって貼り紙だらけのこんなときにわざわざ出さなくてもよさそうですが、逆にそれだけ強い理由があるようです。 93番と 94番は禁煙関係。そうです。コロナ渦でなければ、このニュースはもっと大きく取り上げられたはずですが施行されたのが緊急事態宣言の直前で世間はそれどころではなかったのです。 95番の故障はこの時期なので早急に直したほうがいいと思います。 97番のアルバイト募集も時代性を感じますね。わかりやすい英文の1行はおそらくこのお店のアルバイトの主戦力に向けてのものなのでしょう。 98番、これはカラスへではなく人間へ向けての貼り紙でした。そしてラスト100番は僕の部屋の玄関横に貼られていたもの。リモート期間中にいつの間にか建物の外壁が塗りかえられていました。まるで気が付きませんでした。ボーっとしてちゃイカンです。

写真93~96

写真97~100

<新しい時代の貼り紙には何が書かれるか>

ところで100枚の貼り紙の中で、とても気になったのが 74番と 82番。この二つは僕の家のすぐ近所にあって、ときどき通いお世話になったお店なのです。 74番はいきなりの閉店、速攻でした。こちらはチェーン店なので見切りが早かったのだと思います。 82番のお店は個人経営。こちらの貼り紙には「地元のみなさんに支えられて15年間やって来られました。復活したら恩返しの営業をしていくつもりです。皆様もご家族を大切に守ってください。」と綴られています。文面から察するともしかしたらダメかもなぁ、とやや寂しい気持ちになっていたのですが、6月になって見事に復活してくれました!これはうれしかったです(※写真101)。これからは前以上に足を運ぼうと思いました。さらに今日(6月26日)お昼を買いに外に出たところ何と 74番の場所に新しいお店の工事が始まっていました(※写真102)。何ができるのかまだわかりませんが、時代は確実に前に進んでいるようです。何があろうと未来はやっぱりやって来ます。そしてやっぱりその頃はその頃の貼り紙に人は目を向けています。

写真101

写真102

<おまけ>

僕は高校時代(福岡県立糸島高校)、新聞部で編集長をやっていました。そのときに作った世界一大きな壁新聞が朝日新聞に取り上げられました(※写真103)。何日か学校の図書室で寝泊まりして数千の紙を貼りあわせて作ったことを思い出しました。あれもひとつの貼り紙みたいなものだったなぁ、とちょっと最後に懐かしくなった今回の探検隊でした。

写真103

プロフィール
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター / コピーライター
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP