映画は魔力をもっている。NARAtiveプロジェクトで描く奈良県川上村の家族の物語
前回の「なら国際映画祭」で主要賞にノミネートされた、今後活躍が期待される監督が参加できる、第一線で活躍する映画スタッフと一緒に奈良を舞台に映画を製作していくプロジェクト「NARAtive」。そして2022年「NARAtive」に選ばれた村瀬大智監督は、新作を撮影するチャンスを得て、『霧の淵』を制作、奈良県川上村を舞台に家族の物語を描いた。
かつては登山客などが集い賑わった集落で代々旅館を営む家に生まれた12歳のイヒカ(三宅朱莉)。母の咲(水川あさみ)と父(三浦誠己)は別居しているが、母と義父・シゲ(堀田眞三)と穏やかに過ごしていた。ある日、シゲが突然姿を消してしまう……。日常に変化が訪れ、揺れ動く親子の心、時の流れの一瞬一瞬を丁寧に紡いでいく。
京都芸術大(旧 :京都造形芸術大 )在学中より注目され、本作で商業映画監督デビューとなる村瀬監督に、どのようにして本作が生まれたのか、映画の力について聞きました。
2年間川上村に通い続けて、場所から感じたことをシナリオに詰めていった
本作は、「NARAtive」の作品として、どのようにして選ばれたのですか?
「なら国際映画祭」のインターナショナルコンペティション部門と学生映画部門の受賞者の企画からコンペで選ばれるのですが、僕は2020年に学生映画部門の観客賞をいただいたのがきっかけでコンペに参加しました。参加を決めたときには、すでに川上村を舞台とすることは決まっていたので、まずは川上村を訪れることから始めました。
川上村の印象はいかがでしたか?
僕は滋賀県にある信楽という田舎に住んでいるので、川上村も同じような田舎だと思っていたのですが、まったく違いました。信楽は見晴らしがよく人が住むために切り拓かれた土地ですが、川上村は山の中に人が暮らしているという、山ありきの暮らしでした。集落がある谷から山を見上げるような土地。吉野杉が生い茂って林業が盛んなため、真っすぐと永遠に上に伸びている様な杉の木があるなど、どこか飲み込まれそうな感覚を覚える場所でした。
行ってみたら想像と違ったんですね。すぐに物語は思いついたのですか?
最初は村を歩くことから始めました。今回、舞台となった旅館、朝日館の方にも紹介していただき、村の方たちと仲良くなりました。なぜこの村に住んでいるのか……というような話を教えてもらいながらシナリオを進めていった感じです。大体2年くらい、隔週で通いました。
通常、映画を作るときはシナリオに合わせてロケ地を探しますが、今回は場所から感じたことをシナリオに詰めていきたいと考えました。村の方に会ってお話を聞いたり、廃墟などに自分の足で行って土地の空気を感じることが非常に大事で。行くたびに村の印象が変わっていったため、最終的に最初に思い描いた物語からかなり違う作品になりました。
映画を見た川上村の方に「こんなにきれいだったんや」と言ってもらえるとうれしい
本作は家族の物語であると同時に、川上村を描いた作品でしたね。
朝日館ももちろん、作中で登場する地理はかなりリアルです。登場人物も村の方も多いし、イヒカの名字は明かされませんが、台本では朝日館の方の名字を借りています。実は本作、最近流行しているマルチバース(多次元宇宙)のような、違う世界線の川上村を描く感覚で撮影したんです。川上村のもう一つの今が描かれているというか……。最初に村と協力して映画を作ると聞いて、すぐにこの仕組みが思い浮かびました。村の方たちが自分たちの村を見つめ直すきっかけになればと。一番の観客は川上村の方たちになればいいなと思いながら作った、土地の記憶を撮った映画なのです。
地元の方が撮るのではなく、外から来て川上村を見つめたからこそ、その姿が作品に描かれているのですね。
村の方からすると「あんな廃墟を撮ってどうするの?」と思う場所も、僕にとっては村を映すために大事な場所でした。これは映画の魅力だと思うのですが、カメラを通した映像はなにか魔力をもっているんですよ。いつも見ている景色が特別な存在になるというか。今回、川上村で上映会をして、おじいちゃんが映画を観て「こんなにきれいだったんや」とつぶやいていたのが印象的でした。この声が聞けて本当にうれしかったです。
川上村で上映会を開いたのですね。
村の3分の2くらいの方が見に来てくれたと思います。泣いている方もいました。多くの方は「映画の内容はよくわからんかったけど、なんか村が映っていたからよかった」という声で(笑)。僕はそれでいいと思いました。自分たちの村の美しさを再認識するきっかけとなり、映画を観た後、村に対する印象に少しの変化や影響を与えられたらいいなと。このように上映会に集まることや映画の撮影に参加したことが、村のみなさんの記憶に残ることがうれしいです。村全体で共有した思い出は、これから先もみんなが集まったときに話せることなので、映画を作ることで村の方たちが喜んでくれたらこれ以上嬉しいことはないですね。今回の映画を作る目的はさっそく達成しました。
今回、画角が現在の映画サイズではなく、昔の映画やテレビサイズでしたよね。理由を教えてください?
映画を観ること自体に窓から覗いているような感覚が僕にはあって……。窓から見える人たちは都合よく常に見える場所にいるわけでもないし、見切れたりします。今回は映像からヒト科のヒトという野生動物を観察しているかのような感覚を味わってもらえたらと思い、サイズを決めました。映らないところがあるから想像するし、想像するからこそ物語は広がっていく。作品の中でも最初から家族生活は破綻していて、今後のイヒカは描かれていない。今しか描いていないんです。だからこそ物語の前後を想像できますし、リアルに感じられると思います。これも映画の力のような気がします。
プロと一緒に仕事をすることでナチュラルな姿を引き出せた
オーディションで選ばれた三宅朱莉さんがイヒカを見事に演じていました。イヒカというキャラクターはどうようにして作ったのですか?
全員ではないですが、今の子はみんなどこかスレていると感じていて、どこか鬱屈としたダルい感じをキャラクターに反映しようと考えました。そう考えていた時に、オーディションで、三宅さんをひと目見て、イヒカだと確信しました。本人は緊張していたと言っていましたが、僕から見ると誰よりも早くこの場から帰りたそうにしているように見えたんですよ。そのうえ、立っているだけで映画になる感じがして。その後、すぐに三宅さんに決まったのですが、やはり不安もありました。
村に住む男の子役の子と一緒に台本の読み合わせをしたら、恥ずかしいからか顔を真っ赤にするので、この間まで学生相手に映画を撮っていた僕にお芝居ほぼ初経験の彼女をうまく指導できるのか?と……。ただ撮影初日に、カットをかけて撮影するのはあまり好きではないけど、納得するまで撮るしかないかとどこか覚悟をして臨んだら、恐ろしいことにファーストカットのときにはすでに、三宅さんはイヒカの顔になっていました。台本もすべて頭に入っていて、セリフも間違わず一発OK。もう完璧で、あれには驚きました。
役について何か話されたのですか?
二人で朝日館の周辺を毎日散歩していたのですが、映画の話はせず、他愛のない話ばかりをしていました。スタッフが準備をしているときは、三宅さんは朝日館のお孫さんたちと一緒に遊んだりもして、今考えると、土地に馴染んでイヒカを掴んだのかな?とも思います。母親役の水川あさみさんや父親役の三浦誠己さんも同じですが、川上村で生活をして役になっていったというか。水川さんは空き時間に割烹着姿でウロウロしていても誰にも気づかれないくらい村に馴染んでいました(笑)。
役者さんをはじめ村の方たちのナチュラルなお芝居も印象的でした。
撮影の百々武さんの力が大きかったと思います。百々さんは川上村の写真集を何冊か出されている、村の人たちを撮るのにぴったりの撮影者なんです。カメラには威圧感があり、時に暴力的でレンズを向けられるだけでもイヤと感じる人もいますが、村の方たちと百々さんには歴史があり、百々さんにレンズを向けられても違和感がないんです。だからカメラを向けられても、いつもと変わらない姿が映せる。
実際、宴会の最中におじいさんが村の歴史を語るシーンでは、おじいさんが役者さんに向けて村について語っているところを勝手にカメラで撮影し、役者の方たちが話を合わせてお芝居をしています。だからおじいさんは素人だけどとてもナチュラルな芝居をしているように見えているんです。これにはプロの力を感じました。水川さんら役者の方たちの対応力と百々さんの切り取り方の自然さ。プロの力が集結したからこそ生まれた作品だと思います。
第一線で活躍する映画スタッフと一緒に作品を作っていく「NARAtive」ならではのケミストリーですね。
みなさんには本当に助けられました。でも、最初は困ったんですよ(笑)。これまで友達(学校の同級生や先輩、後輩など)と一緒に映画を作ってきた僕が、プロに「監督、どうしたらいいですか?」と聞かれるわけですから。ただ準備を進めるにつれて、任せるところは任せようと思うようになりました。みなさん自分の持ち場で最大限の力を出してくれる方たちばかりですから。プロの現場を体験できたのは非常にありがたかったです。
この先も足を使って、係わる人が楽しいと思える映画を作りたい
監督はいつ頃から映画監督を意識されたのですか?
子どものころから映画は好きでしたが、幼少時代は周りにそれほど映画を観ている人がいなかったので、誰かと映画の話をしたことはないです。ゲームやサッカー、読書と同じくらい映画も好きな子どもでした。高校3年生になり大学を選ぶ際に、勉強を楽しいと感じる大学に入りたいと思うようになりました。当時、学校説明会で京都造形芸術大学(現・京都藝術大学)に映画学科があることを知り、これだと思いました。オープンキャンパスで先輩が作った映画を観て、今考えると、映画を作ったことがないから言える大変失礼な感覚ですが、「こんなもんか。これならできる」と勘違いして。映画を学ぶって面白そうと始めました。ただ入学してすぐに監督を目指したわけでなく、いかんせん機械系が苦手だったので消去法で監督になりました。
大学の授業の一環で制作した第一作目の短編映画『忘れてくけど』(17年)が、第72回カンヌ国際映画祭のショートフィルム部門で上映されたんですよね。
最初はドッキリかと思いました。英語のメールが届いて、最初はスパムメールかと思って無視していて(笑)。実際にカンヌに着いてパスをもらうまでは、ダマされているのでは?と気が気じゃなかったです。『忘れてくけど』は映画撮影が何たるかをまったくわからない中、楽しみながら作った作品です。そのうえカンヌに行けたので、そこまで含めて楽しかったです。
これまで多くの映画を観てきたと思いますが、実際に自分が作るとなるといかがでしたか?
思い描いたことがこんなにも撮れないのかと驚き、改めて先輩たちのすごさを感じました。題材に関しても、予算の関係もあり、僕が昔から観ていたようなエンターテインメント作品を撮るのは無理で。仕方がないから身の回りのことを撮るようにしました。自分が見て感じたことを撮るほうが、映画が力をもつんですよね。それは今も変わっていないです。
本作も川上村に行って感じたことが作品になっていましたね。監督がクリエイターとして大事にしていることを教えてください。
足を使うことです。想像することも大事ですが、現地に行くと匂いなど物質的なものも含めて見えてくることが多いし、何より人に出会うんですよ。人と会ってコミュニケーションを取ると世界がどんどん広がっていきます。描こうと思っていることに輪郭が出るというか。そしてもう一つ大事にしているのがみんなと楽しみながら作ることです。理想を形にするために一人突き進むよりも、みんなで楽しく作ったほうが、数値化できない魅力が詰まった作品になると考えていて。自分だけではなく係わっている人間が楽しいと感じる作品であることを意識しています。
本作で商業映画監督デビューされて、今後は商業映画も制作されていくのですよね。
先ほど言ったみんなで楽しむことがどこまでできるのか。それでも、みんなで一緒の方向を見て映画を撮ることは常に意識したいです。映画には不思議な力があるので、映画の魅力を引き出せるような作品をこれからも作っていきたいです。
取材日:2024年3月7日 ライター:玉置 晴子
『霧の淵』
ⓒ2023“霧の淵” Nara International Film Festiva
4月6日(土)ユーロスペースにて先行公開、
4月19日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開
出演:
三宅 朱莉、三浦 誠己、堀田 眞三、杉原 亜実、中山 慎悟、宮本 伊織、
大友 至恩、水川 あさみ
監督・脚本:村瀬 大智
エグゼクティブプロデューサー:河瀨 直美
プロデューサー :吉岡 フローレス 亜衣子
撮影:百々武
録音:森 英司
照明:藤江 立
美術:塩川 節子
助監督:福嶋 賢治
制作担当:濱本 敏治
編集:唯野 浩平
音楽:梅村 和史
ヘアメイク:南辻 明宏
衣装:山上 順子
製作:なら国際映画祭
助成:奈良県、川上村、奈良市
配給:ナカチカピクチャーズ
©2023“霧の淵” Nara International Film Festiva
ストーリー
奈良県南東部の山々に囲まれたある静かな集落。
かつては商店や旅館が軒を並べ、
登山客などで賑わったこの集落で、
代々旅館を営む家に生まれた
12歳のイヒカ。
数年前から父は別居をしているが、
母の咲は、父との結婚を機に嫁いだこの旅館を
義理の父・シゲと切り盛りしている。
そんなある日、シゲが姿を消してしまう。
旅館存続の危機が迫る中、
イヒカの家族に変化の時がやってくる――。
公式X・Instagram @kiri_no_fuchi24