人との有機的なつながりから生まれた「新宿東口の猫」

Vol.209
株式会社オムニバス・ジャパン メディアアーティスト、クリエイティブディレクター、長岡造形大学造形学部デザイン学科 教授
Synichi Yamamoto
山本 信一
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「Noesis」©MUTEK.JP/RYU KASAI

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「Noesis」©MUTEK.JP/RYU KASAI

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「Noesis」©MUTEK.JP/RYU KASAI

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「Noesis」©MUTEK.JP/RYU KASAI

新宿東口で行き交う人々を俯瞰する巨大な3D三毛猫。本物の猫のような仕草やマイペースにゴロゴロしている様子が話題になり、世界中に拡散されました。都市の屋外映像を使った社会デザインとして17のアワードを受賞し、いまや東京観光の目的地になることも。この猫を手がけたのは株式会社オムニバス・ジャパンのクリエイティブディレクター・山本信一さん。国内外で、ビデオアートやモーショングラフィックス作品を発表するメディアアーティストでもあります。広告のクリエイティブディレクターとして、アーティストとして、業界の第一線で活躍されている山本さんにキャリアの作り方や制作について伺いました。

ルーツはYMO、 イノセントに取り組んだビデオアート

© MUTEK.JP/SHIGEO GOMI

デジタル・テクノロジーを利用して芸術表現を行うメディアアーティストとして活動されるようになった経緯を教えてください。

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)世代で、“テクノポップ”や“テクノミュージック”をベースにした映像制作に興味がありました。「“テクノミュージック”の次に注目されるコンテンツはなにか」と考えていたときに、“ビデオアート”(創造的な映像や音声をモニターやプロジェクターを使用して再生する芸術表現)という言葉を耳にして、「これだ!」と感じました。「アーティストになるぞ!」という意気込みはありませんでしたが、“ビデオアート”が現代美術として世に認知され、自分が制作した“ビデオアート”作品にも注目が集まった結果、アーティストとして認知されるようになっていました。

国内外のアートフェスティバルやMUTEK(カナダ・モントリオールを拠点とする電子音楽とデジタルアートの祭典)で、アート作品を発表するようになったきっかけを教えてください。

オムニバスに入社して間もない頃は、会社の仕事の合間に、機材やソフトを使わせてもらって、アート作品を制作していました。ビデオ系フェスティバルのほか、「霧の彫刻」と呼ばれる作品で知られる中谷芙二子さんが主宰する「ビデオギャラリーSCAN」や日本アンダーグラウンド・センターのイメージフォーラム・フェスティバルで知り合った方々と、いろいろなイベントでアート作品を発表していました。

2013年頃からはライブパフォーマンスのオーディオビジュアルというかたちで、アート作品を発表する機会が増えていきました。MUTEKは音楽を一緒に制作しているIntercity-Expressの大野哲二さんと、2014年にアプローチしたのがはじまりです。世の中のトレンドが一巡して、自分がアンダーグラウンド・センターでやっていたことが、これから注目されるコンテンツとして広まっていく気配がしました。

株式会社オムニバス・ジャパンに入社したきっかけは?

イノセント(純粋)にビデオアートを制作するには今でいう After Effects などのデジタル映像機材が揃っている環境が必要でした。当時は個人でAfter Effectsのようなツールを持てる時代ではなかったのです(笑)。そのような理由で、1989年に機材やソフトが揃っているオムニバスに入社しました。

当時の映像業界はスタジオでディレクターの指示通りに制作するのが一般的でしたが、自分はテクノミュージックをルーツにもっているので、制作はクリエイティブツールである映像機材をいじりながら生み出すものだと考えで仕事をしていました。

交互作用しているディレクター活動とアーティスト活動


「新宿東口の猫」

広告のクリエイティブディレクターとして第一線で働きながら、アーティスト活動をする山本さんのようなキャリアは、どのようにしたら作れるのでしょうか。

広告のクリエイティブディレクターとしての活動も、メディアアーティストとしての活動も、有機的に結合していて、アーティスト活動があったからこそのディレクター活動であり、その逆も然りと考えています。

例えば、「9次元から来た男」 は日本科学未来館からいただいた案件で、来場者に素粒子の世界を体験してもらう目的で制作されました。目に見えない素粒子の世界や宇宙ができる前の世界はどのような状態だったのかを可視化するのが課題で、アート寄りの案件でした。この案件で知り合ったギリシャの科学者ディミトリス・コドプロス(Dimitrios Kontopoulos)さんと、「9次元から来た男」のエンターテインメント要素を切り捨て、更にアート寄りの作品を制作したいと話して、のちにスピンオフとして「Noesis(ノエシス)」というアート作品を制作しました。「9次元から来た男」という科学未来館からの案件があってこそ、「Noesis」が制作できたと、ディレクター活動とアーティスト活動には交互作用があると考えています。

反対に、アーティストとしての活動が案件につながったことはありますか?

最近、一番バズった「新宿東口の猫」も交互作用があった例です。2013年から新宿区が主催する「新宿クリエイターズ・フェスタ」に参加して、自治体の方々と協力しながら、アルタビジョンやユニカビジョンなど新宿エリアのデジタルサイネージでアート作品を発表していました。そのご縁で新宿東口に新しくクロス新宿ビジョンが建設されるときに、デジタルサイネージの案件をいただきました。2013年の「新宿クリエイターズ・フェスタ」から「新宿東口の猫」が誕生するまでの7~8年間、どのようなアート表現が人の目に留まるかを試行錯誤してきたナレッジが、この猫には詰まっています。

アーティスト活動で知り合った方に案件をいただいたり、逆のパターンもあったりと、人間と人間の縁も大きく関係していて、その有機的なつながりがキャリアに深く関わっていると考えています。

クライアントワークとアートワークの違いと相関性について、クライアントワークとアートワークの2つのお仕事が近づいてきているように感じますが。どのようにして差別化しているのですか。

あまり差別化はしておらず、大きな意味では両方がつながっていると考えています。クライアントワークはクライアントのゴールに寄り添うものになればいいという表向きのゴールがありますが、目立って売れればいいというのが必ずしも正解ではなく、人々にきちんとその情報が正しく伝わっているのか、まで検証する必要があると考えています。

「新宿東口の猫」の前後で大きく変化した興味関心とニーズ

現在のお仕事についてお聞きします。広告のクリエイティブディレクターとしては、どのようなお仕事をされているのですか。

「新宿東口の猫」の前後で仕事の内容が大きく変わりました。「新宿東口の猫」の前は映像で概念を可視化するという案件が多かったです。リサイクル活動や森林を有効活用しながらエネルギーに変えるという活動があったとすると、どうやってその課題や活動をアニメーションにするか、ビジュアル化するかというものが多かったですね。

「新宿東口の猫」の後はビジュアルが実装されたあとに、そのビジュアルが人々にどのような影響を与えるか、個人的な興味関心も社会的なニーズも社会デザイン寄りに変わっていきました。具体的には、猫を観にくる人とビルのオーナーさんの利益になるような複利をえるためには、猫にどのような新しい実装をするか、どのようなタイミングで実装したらより効果的にアクションがえられるかといったことについて考えるようになりました。

これまでに関わった案件の中で、思い入れのある制作物や、それを制作した際に工夫した点について教えてください。

株式会社ソニー・ミュージックエンタテイメントのCI(コーポレートアイデンティティ)で、CM冒頭1秒のサウンドロゴを手がけたことですね。このサウンドロゴは今でも使用されています。コンペティションでCM冒頭1秒の部分をどうするか、A案・B案……とみんなでプレゼンするときに試行錯誤して、ソニー・ミュージックの空間自体をパッケージにして納品するというコンセプトを思いつきました。常にAを頼まれたら、Bプラスで納品してみるということを考えているのですが、この案件が1つのエポックになりました。

そこまで考えられて、クライアントも喜ばれたのではないですか。他にもありますか?

2000年頃に日本テレビの「月曜映画」の編成ディレクター兼プロデューサー・大塚恭司さんを紹介いただき、オープニングやエンディングの映像を制作しました。大塚さんは、深夜に洋画や大人向けの映画を放送する「深夜映画」のオープニングを制作できるクリエイターを探していて、僕ならストレンジな映像を制作してくれるだろうと考えていたそうです(笑)。オープニングのテーマが“血みどろ”や“ノイズ”ということで、カプセル・血・胎児などの要素や漫画家の丸尾末広さんが書き起こしたおどろおどろしいイラストが制作素材として提供されました。クールなものがつくりたいという当時の僕の作品のテイストとは真逆のものでしたが、おもしろがって制作しましたね。自分が禁じ手としているようなフィルムノイズなどの表現もあえて取り入れたりしました。

放送される映画の内容とまったく関係ないオープニングなので、「なんじゃこりゃ!」と話題になりました。オープニングやエンディングを観た人々の反応が刺激になって違うバージョンも制作しましたね(笑)。mixiに「月曜映画のオープニング」という名前のコミュニティもできるようになりました。

メディアアーティストとしては、どのような作品を制作されているのですか。

イノセントにカッコいいと感じるものや、自分のセンスを可視化するような作品を制作しています。個人の作品ではないですが、Intercity-Expressの大野さんや、クリエイティブテクノロジストの瀬賀誠一さんと共同制作した「Noesis」がマスターピースですね。

「Noesis」の「Wapping Noise」や「Universal Archtecture」の「無・宇宙の終わり」など抽象的な要素の視覚化はどのようにして実現したのですか。

半分くらいは科学未来館の方とのコミュニケーションからアイデアを得ています。新幹線やF1のスポーツカーが近くをバーッと通り過ぎたときに圧倒的なスピードを感じますよね。存在感が残っていながら、実物が近くにない無の感覚を可視化したらどんな感じになるのだろうかと考えて、制作しました。

人々を驚かせたいという、いたずらっ子の一面


山本 信一氏(左)、音楽家 Intercity-Express 大野哲二氏(中央)、

クリエイティブテクノロジスト 瀬賀誠一氏(右)

© MUTEK.JP/SHIGEO GOMI

第一線で活躍するクリエイターとしての原動力はなんですか。

イベントや案件で知り合った方々の紹介でさまざまな案件をいただいたりと、人とのつながりを大切にしていて、このポジティブなつながりが自分を奮い立たせているのかもしれません。一つ一つの物事を丁寧にこなしていくと、次につながる正の連鎖が生まれます。スティーブ・ジョブズ的にいうと“コネクティング・ザ・ドッツ”、日本昔話的にいうと“わらしべ長者”ですね(笑)。

現在の広告のお仕事のやりがいはどんなところにありますか。

やりがいという表現はしっくりこなくて、自分がやりたいからやっています。いたずらっ子の一面があって、みんなを驚かせたいという気持ちがあります(笑)。「このスペースを使ってみんなを驚かしてもいいんだよ!」という提案をいただいたら、「やるやる!」と答えます。

観てくれた人の評価やアクションはうれしいですか。

もちろんです。「新宿東口の猫」を、デジタルネイティブ世代は「技術は技術で、そこに猫を出すのはセンスがいい」と。テクノロジーとコンテンツの話を分けて評価してくれると、すごくうれしいです。

物事を俯瞰してよく考え、自分のエゴは捨てる

お仕事をされるときに大事にしていることは?

案件も個人的な制作でも一番上のレイヤーを俯瞰的な立場で考えることです。能の世界では「離見の見」という言葉があります。舞台に立っていながら、同時に遠くから観客のような引きの視点で、物事を考えるということです。人々が僕の制作物を観たことで、少し後ろに引いた視点で物事を見渡せるようになればなと思って制作しています。

制作に行き詰まってしまったときの打開策を教えてください。

30年くらい映像業界にいて、いろいろな体験をしていると、表現の引き出し(組み合わせのパターンなど)が増えていくので、最近はあまり行き詰まることはありません。でも、ちゃんと眠らないと頭が回らなくなってきてはいますね。

自分はマルチタスクであっちにいったりこっちにいったりと、さまざまな業務を同時に進めるタイプです。3つくらいの文章を同時に書き進めて、ある文章が行き詰まったときは別の文章を先に進めるという感じで対処しています。書き進めていると行き詰まっていた別の文章の続きがひらめいたりします。

音楽家/芸術家/科学者と共同制作する上で意識していることや、チームワークで仕事をするときに大事なことはなんですか。

YMO以外にもう一人、スター的な存在の方がいて、ブライアン・イーノ(Brian Eno)さんというイギリスの音楽家です。プロデュースのやり方がすごくカッコいいと思っています。自分が作るのは変数でそこに何かを代入して、答えを確認してみると、自分の予期しない答えが出てくることがあります。予期していない結果にインスパイアされて、別の新しい何かを作るというやり方です。

具体的で詳細な指示を出してしまうと指示に則った制作物しか生み出せないので、チームに質問をしたときに出てくる予期せぬ結果を楽しむ。自分のエゴを手放して、相手の意見の方がおもしろいという考え方で、多くのポジティブな結果が生まれています。

自分のセンスに誇りをもって制作を続けてほしい

(2023年)4月から、大学で講義をされるそうですが。

業界の今後を盛り上げたいという気持ちがあり、(2023年)4月から長岡造形大学で教授として講義をする予定です。企業と大学をつないでいろいろと新しいプロジェクトができたらと考えていて、すごく楽しみです。

個人的な制作でチャレンジしてみたいことはありますか。

そうですね……。「新宿東口の猫」や「ウメダのウドンチャン」とは規模感が違う、パブリック向けではないミニマムな作品を制作したいと考えています。現状、プランはあまり具体的ではないんですけど(笑)。

最後に、クリエイターに向けてコメントをお願いします。

僕がこの業界に入ったときは、映像を音楽のようにデスクトップで制作するという人はあまり見かけませんでした。なので分野を開拓する苦労はもちろんありましたが、第一人者的な利益もありました。今はコンテンツもジャンルが以前よりも成熟しているので、「こういう作品を制作すれば大ヒットするよ!」という的確なアドバイスは難しいけれど、クリエイターは自分のセンスに誇りをもって制作に取り組み、完成させた作品を安売りしないでほしいと思っています。

取材日:2023年3月7日 ライター:宮澤 剛史 スチール:幸田 森 ムービー 撮影:指田 泰地 編集:遠藤 究

プロフィール
株式会社オムニバス・ジャパン メディアアーティスト、クリエイティブディレクター、長岡造形大学造形学部デザイン学科 教授
山本 信一
1989年に株式会社オムニバス・ジャパンに入社。オムニバスのクリエイティブディレクターとして、企業のブランディングや、EXPO、劇場作品のタイトルバックなどを担当。日本科学未来館で上映された「9次元から来た男」やクロス新宿ビジョンのデジタルサイネージを活用した「新宿東口の猫」などを手がける。
また、メディアアーティストとして国内外のフェスティバルなどに作品を発表している。2023年4月より、長岡造形大学造形学部デザイン学科 教授。 http://www.omnibusjp.com/supersymmetry/creators/synichi_yamamoto.html

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