フロンターレの企画が型破りな理由。Jリーグの名物企画屋・天野春果が語る「着想する力」と「実行する力」

Vol.185
株式会社川崎フロンターレ タウンコミュニケーション部 部長
Haruka Amano
天野 春果

あるときは競技場にゴジラを呼び、またあるときは国際宇宙ステーションとリアルタイム交信をする──。数々の“ぶっ飛んだ”イベントを実現させ、「サッカーJリーグの名物企画屋」としてファンを湧かせてきた川崎フロンターレ タウンコミュニケーション部・部長の天野春果さん。

出向先の「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」では、オリパラ応援企画として「機動戦士ガンダム」のプラモデルを搭載した小型衛星を打ち上げ、「宇宙空間からエールを送る」という壮大なプロジェクト「G-SATELLITE(ジーサテライト)」を推進。フロンターレ復帰後の今も進行中です。

そんな天野さんのモットーは「真面目なことに遊び心をもって取り組む」です。型破りな企画を確実に現実のものとしてきた、そのクリエイティブな発想力や実行力はどこから生まれるのか? じっくりと伺いました。

 

J企画屋・天野氏に苦労の歴史あり!「出ていけ!」「出ていきません!」。自分から懐に飛び込む大切さ

本日はよろしくお願いします。まずは2020年、クラブの2冠達成おめでとうございます。さらにクラブのレジェンド、背番号14番。中村憲剛選手の引退セレモニーイベントも感動的でした。

ありがとうございます。強くなったのは嬉しいですが、強化部や選手とは別の事業をしていますので、実感は少ないですね。ただこれは本でも書いたのですが、強化と事業はクラブの両輪なので、僕はそこをしっかりやっています。

中村選手の引退セレモニーイベントは、これを自分でやるために前倒しでフロンターレに戻ってきたので、やりきって感無量ですね。

天野さんにとってイベントとは何ですか?

地域プロスポーツクラブに限って言えば、イベントは「来た人を喜ばせるだけではなく、地域を活性化させて絆を深められるツールである」というのが、僕の考え方です。フロンターレのイベントは、地域の人や企業に積極的に関わっていただいています。地域性や社会性を入れ込んで作っているため、イベント自体が地域密着の活動になるというわけです。

だから、一つのイベントを行うことで、たくさんの相乗効果が生まれ、一石が三鳥にも四鳥にもなる。イベントはいわば、さまざまな人をつなぎ、活性化させるための舞台です。

今でこそ10年連続でJリーグ地域貢献度ランキング1位の評価を得ているフロンターレですが、天野さんが入社された当時はどのようなクラブだったのでしょうか。

僕が入社した1997年は、もともと富士通のサッカー部だった「富士通川崎フットボールクラブ」から「川崎フロンターレ」に変わってまだ間もないころ。当時は名称変更があっても、富士通の社員は観戦が無料でしたし、スタジアムのイベントも広告代理店に任せきり。川崎市民を意識してはいませんでした。まず、そうした古い企業スポーツの体質から変えなければいけなかった。

富士通から出向していたクラブスタッフには、僕が感じていた違和感を忌憚(きたん)なく伝えました。僕はまだ社会人としての経験が浅い20代の若造でしたし、役職や年齢に関係なく「そうじゃないんだ」とあけすけにものを言う姿は、かなり生意気に映ったかもしれません。ですが幹部はきちんと聞く耳を持ってくれて、地域に密着したクラブづくりの仕事を任せてくれたんです。

まさにゼロからのスタートですね。まず何から着手したのですか?

とにかく、地域の人に川崎フロンターレの存在を知ってもらわなければいけません。僕はスーツを着るのをやめ、フロンターレのマークが入ったポロシャツやジャージを着て、川崎の街に飛び出していきました

しかし、チームはまだJリーグではなくジャパンフットボールリーグ(旧JFL)にいたので、新聞には試合結果が小さく掲載されるだけ。

そこで「フロンターレが勝ちました!」と地域の人と対面して話すきっかけになればと、自分で新聞を作ったんです。新聞といっても、学級新聞のような手書きのもので、紙焼きの写真を貼ってコピーしたものを印刷して、といった具合です。それを以前フロンターレのオフィスが入居していたビル内や、地域の商店街で手配りしました。

フロンターレの新聞を持った若いやつが「こんにちは!」と毎週のように来るんですから、変に思った人もいるでしょう。でも続けていると、次第に読んでもらえるようになるものです。そのうちにクラブスタッフも「天野が本気でやっているから自分たちも」と手伝ってくれるようになり、配布枚数は増えていきました。

「集客イベント企画」以前に知名度を上げようと苦労されたのですね。

まだまだフロンターレという名前は地域に浸透していませんでしたし、川崎にはプロスポーツチームが根付かないというネガティブなイメージを持つ方も多かった。畳屋さんで灰皿を投げられたこともありました。「出ていけ!」ってね。こっちも「出ていきません!」と食い下がって(笑)

最初は大変でしたよ。やはり、ただ単に「応援してください」というやり方では一方通行になってしまいますから、クラブの側も商店街を使って地元にお金を落とし、地域に目を向けることが大切です。

たとえば、食事のときは地域のお店に行き、毎日違うお店を訪れて必ず話しかけるようにしました。自分がお客さんの立場になってフロンターレの話をすると、お店の人はちゃんと聞いてくれるんです。そして買い物の際は、必ず領収書をもらいます。宛名を聞かれたときに「川崎フロンターレです。知っていますか?」と、会話のきっかけになりますよね。

そうやってこちらから積極的に声をかけ、少しずつ地域とのつながりが深まっていきました。

いくら熱意を込めて伝えようとしても「なんで分かってくれないんだ」という態度では、いつまでたっても相手との関係は深まらないものです。やはり、自分から懐に飛び込むことが大切です。そのスタンスは今でも変わらないですね、僕は。

 

実現したときの画が浮かべば「いける!」と確信できる

ラジコンと実車をレースさせたイベント。
当日はラジコン好きな元プロ野球選手・山本昌広氏が登場した。
引用:http://www.frontale.co.jp/diary/2016/0918.html

天野さんは人をひきつけるイベントを数多く開催してきましたが、それらの企画のアイデアはどのように考えているのですか?

アイデアは机の上や会議室では生まれないもので、僕はお風呂に入っているときや自転車をこいでいるときなど、思考がニュートラルな状態にあるときに浮かぶ場合がほとんどです。

以前本には、夜お風呂に2時間入り「考えたり情報を読んだり防水携帯でメモする」と書きましたが、今はプラス朝1時間入浴することも。最近は、もっぱらサウナですね(笑)

そういうときに考えると、イメージが浮かびやすいんです。というのも、映像としてイメージできたアイデアは、だいたいうまくいくからです。実現の可能性や予算をあれこれ考える前に、頭の中でパッと画が浮かんでくると「これはいけるな」と確信しますね

それからアイデアを企画書などに落とし込んでいく。たとえ周りがむちゃだといっても、自分は実現したときの画を鮮明に思い描いているから、モチベーションを高く保って行動できるんです。

南極と生交信を実現したイベントの模様
引用:http://www.frontale.co.jp/diary/2012/0902.html

最近では、東京2020組織委員会での「G-SATELLITE」も大きな話題を呼びました。着想段階では、どのような画が浮かんだのですか?

それはもう、ガンダムが衛星から「ビョーン」と出てきて、地球の周りをクルクルと回っているという、壮大なスケールの画でした。しかし、一度頭の中で画が浮かんでしまえば、もう突き進めます。

といっても実際は、予算やスポンサーの問題など、数え切れないほどのハードルを乗り越えなければなりませんでしたけれども(苦笑)。たとえば、IOCに「ガンダム」を説明するのも大変でしたね

自分の力で実現できなければ、他の人の能力を借りるしかない

具体的にはどのように実現にこぎ着けたのですか?

最初、衛星を作っている大手企業の人を紹介してもらって話をしたときに「不可能ではないが、費用は10億円。4年かかる」と言われてしまって。それでは東京2020大会に間に合いません。

他に衛星を作れるところはないかと調べていると、『キューブサット物語』という小型の人口衛星を作るプロジェクトの本が目にとまり、さっそく読みました。その本に登場する東京大学の中須賀教授は、失敗ばかりしているくせに、写真ではいつも笑顔なんですよ。「この先生だったら話を聞いてくれるんじゃないか」と思い、すぐに連絡して会いに行きました。

やはり思った通りの人で、「面白い、やろう!」と言ってくれて。後々調べると、中須賀教授は小型衛星開発の権威でした。これで衛星の開発については一歩前進です。

また僕はそのころ、各分野で活躍中の人たちが集まるコミュニティに参加する機会を増やしており、偶然にもある人の紹介でガンダムを制作する関係各所の許可を得ることができました。やはり決裁権を持つ人は、夢のある企画に対して決断が早いんです。

こうした方々とのつながりが、「G-SATELLITE」の実現に向けて大きなキーポイントになったのは間違いありません。

やはり大切なのは人脈なのですね。

自分の力で実現できないのであれば、他の人の能力を借りてやるしかないじゃないですか。そのためには、実行できる能力のある人といかにつながり、巻き込むだけのパイプを持っているかが重要です。

人脈とネットワークは本当に大切ですね。発想を現実にするためには、パイプがすべてといっても過言ではないと思います。

組織委員会に出向する前の2016年、フロンターレの試合イベントで国際宇宙ステーションと等々力陸上競技場を衛星回線でつなぎ、生交信をしました。そのときはJAXAについてもよく分からず、何から進めればいいのやら、まさに五里霧中のスタートでしたがやりきりました。

今では、衛星を飛ばすことが実現できています。それは生交信のときに苦労して築いたJAXAとの関係があるからで、どこが窓口で誰に話をすればいいかが分かっているし、JAXAのスタッフの方々との良好な人間関係があるからこそ。

ネットワークさえしっかり作っておけば、あらゆる挑戦を飛躍させることができます。苦労したぶん、一緒に取り組んだ人たちと充実感を共有でき、そのつながりがまた次に生きる。「次はもっと面白いことをやろうぜ」と、どんどん大きな企画が実現していくんです。

ISS(国際宇宙ステーション)と等々力競技場を結び、生交信を行ったイベントの模様。
引用:https://www.frontale.co.jp/f_spot/pickup/2017/09.html

 

「うまくいかない」は正解に近づいた証。へこたれる必要はない

とはいえ、アイデアを人に伝えて賛同を得るのは難しいことだと思います。天野さん流の「口説き方のコツ」を教えてください。

まずはきちんと話をすることです。そのため僕は、キーパーソンになりそうな人の情報は、徹底的に調べます。当たり前かもしれませんが、その人の著書や記事があれば読み、動画サイトなどにインタビューがあれば視聴して、あらゆる情報を頭にインプットします。

口説きたい人から「YES」という言葉を引き出すために、その人が求めているものは何なのか、必ずリサーチするんです。そうすると、その人が何を大切にしているのか、どういうことがやりたい人なのか、だんだんと人間像が見えてくる。

そのうえで、何を伝えるべきか、どういう伝え方をすればいいかを判断し、プレゼンの仕方を考えていきます。相手が何を求めているかは人によって違いますから、絶対にノーアイデアでは会いに行かないようによう気をつけています。

「本当にその人と企画をやりたい」という自分の本気を伝えるためには、下準備は欠かせません。自分のことを知っていてくれて嫌な気持ちになる人はいませんから。

企画を実行する際、思い通りにいかないときはどうしていますか?

うまくいかなかったことに対する捉え方次第で、どうにでもなると思います。フロンターレで働く仲間にもよく言うのですが、僕は一度うまくいかないことがあったからといって、本当に自分がやりたいことを諦めません

失敗という言葉を使わないんです。失敗は「失う」「敗れる」と書いて、そこにはもう絶望感しかない。そうではなくて、思い通りにいかないときは、ただ単に「そのやり方がうまくいかなかっただけ」です。

むしろ、選択肢からそのアプローチの仕方を消去できる。三択だったものが、二択になる。実は正解に近づいているんですよ。

登山と一緒で、目指す頂点は一つでも、そこに対するルートはいくらでもある。最初に登ったルートがうまくいかなかったから、じゃあ山に登れないかというと、そんなことは全然なくて。

あの手この手を尽くしたうえで、やっぱり今の実力では登れないというのであれば分かりますが、一つのルートしか挑戦していないのに、すべて「できない」というのは違う。

一回目でうまくいかなくても、へこたれる必要はないんです。違うルートを探せばいいだけで。そもそも、面白い企画をやろうと思ったら、大変なのは当たり前です。

誰もがやったことのない企画だから面白く、話題性があるわけです。皆が諦めて達成できていないことだからこそ、実現させたら面白いんです。

苦労して実現した企画だからこそ、人の心を動かせると。チャレンジする姿勢が大切なのですね。

そうです。テレビゲームだって、最初のステージをクリアしたら、次のステージに挑戦したくなりますよね。だんだん難易度が上がったとしても、きっと最終ステージまでクリアしたくなると思うんです。

テレビゲームでできるのに、自分の人生でできない理由はありません。テレビゲームと違って、現実は何度チャレンジしてもゲームオーバーにはなりませんから(笑)。

そう思えば、常に先に進もうとするのは当然です。一つハードルを乗り越えた先には、さらに高いハードルがある。そうしてどんどんハードルが上がっていく。企画を実現することはウエイトトレーニングに似ています。努力して成し遂げた経験をくり返すことで、重たくて上がらないと思っていたものを持ち上げられるようになる。

一回目でうまくいった企画なんて、逆に心配になりますよ。「これ本当に面白いのか?」って(笑)。

 

稀代の企画・実行屋が語るこれからの時代のイベントのあり方とは?

ニューノーマルの生活様式が求められる今、イベントのあり方も変わっているのではないかと思います。やはり影響は大きいですか?

大きいですね。フロンターレはとくに、サポーターや地域の“温度を感じられる距離感”を大切にしてきました。今はその距離感を取れないわけじゃないですか。 地域に密着したプロスポーツクラブとして、ソーシャルディスタンスを守るというのは、非常に厳しい部分も少なくありません

Jリーグの日程も平日開催が増えるでしょうから、手の混んだイベントを仕込んでも威力を発揮しにくい、という実情もあります。かといって、やり方がないかというと、そうではなくて。

今だからこそ、「やり方がないと思うか」「思わないか」の差は大きいと思います。僕は、ほとんどのクラブがイベントを縮小している今こそむしろチャンスじゃないかなって。

言える範囲で結構ですが、これからどんな企画を考えていますか?

今年からイベントに取り入れようと考えているのは、音楽です。スポーツと同様、音楽は人の心を動かすエンターテインメントです。

距離を保っていても人を感動させられ、サプライズの演出も可能。アニメソングもあれば歌謡曲も演歌もあってジャンルが幅広く、小さなお子様からご年配の方まで楽しませることができます。

もともと川崎市は「音楽のまち・かわさき」を掲げた取り組みを行っており、市のフランチャイズオーケストラである東京交響楽団が演奏活動を行っていたり、洗足学園音楽大学と昭和音楽大学の2つの音楽大学があったり、音楽に親しみやすい地域性があります。そうした背景を生かす企画を考えているところです。

音楽というキーワードからどのような画が思い浮かびますか?

パッと浮かんだのは、映画『天空の城ラピュタ』で主人公のパズーが丘の上でトランペットを吹いているシーン。そこから「そういえば等々力競技場の前にも小さな丘があったな」「そこで川崎アゼリアの仕掛け時計のように、試合開始の3時間前、2時間前、1時間前にトランペットを吹いたらどうだろう」と、どんどんアイデアがつながっていきます。

あとは自分の持っているネットワークや、今までの経験、ノウハウを当てはめて実行に移していくだけです。ただ音楽を演奏するのではなく、エンターテイメントとして面白くできれば話題性も高まるでしょう。今年はそういう企画をいくつ作れるかが勝負ですね

 

イメージして形にできる人とできない人の違いは「体感しているかどうか」

映像が思い浮かぶところまでイメージを具体化できるのは、やはりすごいと思います。

いや、よく「天野さんだからイメージできるんでしょ」と言われますが、それは違います。キーワードからアイデアを派生させて、具体的に企画に落とし込み、実現する。これは誰でも習得できるものだと思います。形にできる人とできない人の違いは「体感しているか、していないか」なんですよ。

体感とは?

何度も経験を重ねるうちに「そうなのか!」と気づく瞬間がありますよね。ここがカギになっていたんだ、こういうことなんだ、という気づきが自分の中に生まれる。

コツが分かるというか、ツボが把握できるというか。そういう経験を僕は体感と呼んでいて、いくつ体感しているかが大事だと考えています。

僕は一つの体感を得るためには、逆算すると百回以上の経験が必要で、そのためには千回以上の見聞が必要になると考えています

だから、常に調べたり本を読んだり、ネットワークを張ったりして、日頃から意識して情報を拾うことが大切ですね。自分はもう無意識にやっています。新聞読んでいても人と話していても、「何か企画に結びつくんじゃないか」と必ずフィルターをかけて物事を見ています。

なかなかアイデアが浮かばないという人は、そういった部分を鍛えていないんじゃないかな。自分で体感した経験が少ない、情報を意識しながら生活していない、というだけの差だと思います。

それはすべてのクリエイターにもいえますね。他にもお仕事をするうえで大切にしていることはありますか?

やっぱり、謙虚さですよね。「自分がやっていることをなんで分かってくれないんだ」という押し付けの考え方ではなく、謙虚に「今の自分のやり方は違うのではないか」と何度も反芻して、自分から動くことが大切です。

Jリーグのクラブで働いていると、チームの調子がいいときには何もしなくても取材の依頼が来たり、グッズやチケットが売れたりします。

最初に2冠おめでとうと言われましたが、自分の力でそうなったわけではない。僕がシュートを決めてゴールを守ったからではないんです。これをきちんとわきまえられる謙虚さは大事ですよ。まずは「自分の力じゃないんだ」って。

それは相手の役職や権限によって態度を変えずに、どんな人ともきちんと話をする姿勢にもつながります。商店街や町会の人とも、サポーターやボランティアの人とも、誰とでも同じ目線で向き合う。僕の仕事だけに限らず、どんな仕事においても大事なことだと思います。

取材日:1月28日 ライター:小泉 真治 スチール:鈴木 勝彦 ムービー撮影:加門 貫太 ムービー編集:遠藤 究

 

 

プロフィール
株式会社川崎フロンターレ タウンコミュニケーション部 部長
天野 春果
ワシントン州立大学でスポーツマネジメントを学び、1996年アトランタ五輪にボランティアとして参加。翌年、富士通川崎フットボールクラブ(現川崎フロンターレ)に初のプロパー社員として入社し、ホームタウン推進室でクラブの地域密着を推進。2001年には日韓W杯組織委員会へ出向。翌年フロンターレに戻りプロモーション部・部長として活動。2017年より東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会に出向。2020年10月、中村憲剛選手の引退セレモニーを手掛けるため、予定を早めてフロンターレに復職した。以降現職。著書『僕がバナナを売って算数ドリルをつくるワケ』『スタジアムの宙にしあわせの歌が響く街』(共に小学館)。

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