名古屋から「音で人生をカラフルに」バスケ少年が遊技機サウンドのプロになるまでの道のり
名古屋を拠点に、遊技機向けサウンドデータ制作を主力事業とする株式会社おとふる。代表取締役の相坂 昌範(あいさか まさのり)さんは、名古屋芸術大学でコンピューターミュージックを学び、遊技機メーカーで17年サウンドクリエイターとして活躍した後、おとふるを立ち上げました。「音で人生をカラフルに」を合言葉に、クライアントのコンテンツや空間を彩る音の提案を続けています。相坂さんの幼少期から学生時代、独立の軌跡、そして現在の事業などを伺いました。
バスケに熱中するも、立ちはだかる「体格の壁」魅了された音の世界
子どもの頃や学生時代は、どのような夢を持っていましたか?
子ども時代は本当に平凡で、小学校の通信簿もいつも真ん中くらい。目立つタイプでもなく、自発的に何かを始めるような子どもではなかったと思います。
でも小学5年生の頃、スラムダンクの影響でバスケットボールが大流行し、友達と一緒に始めました。中学ではバスケ一筋で、地方大会で優勝し、次のステージへ進みました。しかしそこで現実を突きつけられたんです。他校のセンターは皆190cm級。体格の壁を痛感し、人生で初めて学業以外の挫折を味わいました。
その挫折をきっかけに音楽に出会ったのですか?
はい。挫折を味わった後、手軽に始められるギターに興味が移りました。知り合いと一緒にビジュアル系バンドのコピーからスタートし、高校は軽音楽部に入部。アルバイトをして買ったMTR(マルチトラックレコーダー)でオリジナル曲を作るなど、毎日音楽に明け暮れていました。
バスケで挫折した分、音楽に夢中になり、「ギタリストになって、バンドで飯を食いたい!」という思いがどんどん強くなっていきました。
音楽を学び、縁あってパチンコメーカーへ
大学での学びと、その後の進路を教えてください。
名古屋芸術大学の音楽学部音楽文化応用学科サウンドメディア専攻コースの一期生として入学しました。大学の4年間でDTM(デスクトップミュージック)・作曲・レコーディングを徹底的に学びました。
卒業後は、パチンコメーカーのサウンドクリエイターとして入社。しかし、パチンコをやった経験がなかったので、PlayStationのパチンコゲームを買い漁ったり、パチンコのサウンドトラックを分析したりして必死に勉強しました。

メーカー時代、どんな魅力と課題を感じましたか?
最初は遊び方も知らず、業務終了後にパチンコ店に通って日々勉強しました。意外とこの業界の仕事が多彩なため、のめり込んでいきました。声優さんや芸能人と協業する仕事もあり、普通の職場では味わえない魅力に気づきました。
4年10カ月在籍した後、同業他社へ転職し、そこからさらに12年勤めました。合計17年近くサラリーマンとして働いていました。
サラリーマンの17年と独立への決意
独立を決意したきっかけと、独立までの動きを教えてください。
あまり前向きな回答ではないかもしれませんが、独立を決意したきっかけというと、メーカー開発職に在籍していた頃は直属の上司がサウンド専門職ではないケースが続いていました。この場合、経験も専門性も違う領域の方に都度説明が必要な点やチャレンジを理解いただけない環境でもありました。価値観の違いを常に感じる日々が続いたことが一番の理由です。それでも長く勤めていたほうだと思います。
最後に勤めたメーカー職は2022年3月に退職しました。ちょうどコロナ禍だったその頃、第四次産業革命スキル習得講座 (Re スキル講座)でAI人材育成コースのカリキュラムを受講したり、起業家育成プログラムに参加して淡路島に1年武者修行にいきました。ワーケーションとして淡路島で若い起業家たちと下宿生活を送り、自分のスキルセットとマインドセットを棚卸ししました。人生の大きな転機となり、あの1年で価値観が大きく変わりましたね。ITスキルやAIスキルなどを勉強しながら片手間ではありますが、個人受託でのサウンドデータ制作で一般的なサラリーマンと同じくらいの収益を上げられる状態になっていました。
その後、淡路島から戻った後、2023年10月に名古屋で法人化しました。事業規模を大きくしたい想いと1人ではたどり着ける領域に限界を感じていたので法人登記後、すぐ採用活動を進めました。
2024年には3人、2025年は1人、2026年は6人を採用し、事業規模も拡大していき、この4月からはより大きなオフィスへ移転して組織力を強化しています。
自分でも無茶なことをしている自覚がありますが、普通のサウンド制作会社が10年くらいかけて行う施策を2年半ほどで行っています。
創業の場所として名古屋を選んだ背景をお聞かせください。
名古屋を選んだのは、育った土地で知り合いが多く、音大・音楽系専門学校の学生さんや演奏家とのつながりが作りやすいからです。
コロナ禍でオンライン中心の働き方を経験したことで、「どこにいても仕事はできる」と実感していました。東京の家賃や通勤ストレスを避けつつ、新幹線で1時間半ほどで品川に行けるメリットは十分にあると考えました。

おとふるの創業と現在の事業。広がる事業展開
社名の由来と、事業内容を教えてください。
社名「おとふる」は、“音で人生をカラフルにしたい”との思いから付けました。横文字ではなくひらがなで親しみやすく、キャッチーさを意識しています。
主力事業は遊技機メーカーや開発会社向けのサウンドデータ制作で、事業の9割以上を占めています。スマホゲームのガチャ演出や抽選絡みの音の依頼も多く、映像との連動を意識したものを納品しています。

DTMスクール事業はまだ本格的な広告を出していませんが、マンツーマンのリアルレッスンとオンラインの展開を予定しています。業界の第一線で活躍する講師が、データ管理の方法やクライアントとのやり取りの進め方などを含めた超実践的なノウハウを伝えていきます。
そのほか、今後の展開はどのように考えていますか?
既存の事業はもちろん伸ばしつつ、音を活用してブランドイメージや商品イメージを印象づけるサウンドブランディングに力を入れていきたいです。テーマパークの待ち時間中のストレスを和らげるBGMや、店舗の没入感を高めるインタラクティブサウンドなどの提案を考えています。
本格展開はこれからですが、空間や体験に合わせて設計された音づくりで、フリーBGMでは出せない没入感やブランドの世界観を作ります。
名古屋から、音で人生をカラフルに変えていく
他社に負けない強みと、これからのビジョンを教えてください。
強みは、代表である自分の21年にも及ぶ実務遂行能力・経験値と、従業員の若さ・勢いだと考えています。創業2年半で従業員は10人規模になり、順調に成長しています。スタッフは20代中心で攻めの姿勢。音楽制作以外にもWeb制作、AIを搭載した開発ツール開発、動画編集も社内で行えるので、総合力があります。
今後は制作事業の規模感、シェアも高めつつ、プロダクト型ビジネス(SaaS的なプラットフォームなど)へシフトも視野に入れています。

次世代のクリエイターへ、メッセージをお願いします。
一番大事なのは「俯瞰(ふかん)で物事を見る」ことだと思います。アーティストは自分の表現や作品を昇華させることが一番ですが、私たちのようなクリエイターは相手の課題解決を第一に考えなければいけません。主観だけだと独りよがりの成果物になりがちですが、全体を見てクライアントの課題を捉えれば、自然と良い仕事につながります。
そのうえで、素直さは絶対に忘れてはいけません。ミスをしても素直に受け入れて改善できる人が、伸びていくからです。
名古屋から、音で人生を本当にカラフルに変えていく。そんな夢をともに実現するパートナーを、これからも増やしていきたいですね。
※掲載の社名、商品名、サービス名ほか各種名称は、各社の商標または登録商標です。
取材日:2026年4月21日
株式会社おとふる
- 代表者名:相坂 昌範
- 設立年月:2023年10月
- 資本金:300万円
- 事業内容:遊技機向けサウンドデータ制作、DTM教育事業、サウンドブランディングなど
- 所在地:
<本社>
〒455-0031 愛知県名古屋市港区千鳥一丁目13番12号604号
<クリエイト事業部>
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内1丁目17-2 第14KTビル5階 - URL:https://otoful.com
- お問い合わせ先:https://otoful.com/#forms






