映画館にしか映画はない。人が動いてるのか止まってるのか、ほんとは映画館でしか分からない

Vol.004
井筒和幸の Get It Up ! 井筒 和幸 氏

なけなしのお金だけ持って、大阪のミナミ千日前や新世界国際劇場に繰り出しては、一人で映画を見たおす日々が、ボクの20代は黄金の日々だった。千日前には大劇ビルという今は無き名画座ビルがあって、確か、3階は洋画の2本立て専門で、4階はピンク映画2本に全裸ストリップショーの実演がついていて、どちらが果たしてメインイベントだか知らないが、愉しい限りだった。バート・レイノルズ主演の傑作「ロンゲスト・ヤード」やドン・シーゲル監督の独立プロ作品「突破口」を観たい時は、4階のエロスの誘惑には見向きもしないで一心不乱にアメリカ社会を探検しに行ったし、ストリップと決めた時はストリップだけで、わずかな持ち金も消え、道頓堀の「はり重」の何百円かのカレーライスもロクに食べられず終いでその日をしのいだものだ。心斎橋の「明治軒」の上手いオムライスなんて、精々一ヵ月に2回も食べられたらいい方で、映画らしい映画に出逢った時のご褒美みたいなものだった。贅沢しようにも元からカネがない。正業についてる訳じゃないし、遊んでいる毎日だから、その分、慎み深く映画だけに向き合おうと命を懸けていた。身体は痩せたままだし、「映画」を主食にしながら、よく生きていられることだと思った。たまに実家に帰ると、母に、「あんた、ちゃんとご飯食べてんのか?」と心配された。「つき合ってる女に時々、奢ってもらうねん。友達からカネ借りたんや」とは言えなかった。でも、いつになれば自分の作る映画で食べていけるんだろうなんて、そこまで深刻に悩んだこともなく、そのうちきっと何か人を惹きつけて絶句させる作品を生んでやると思っていた。そのためには他人の映画を虱つぶしに研究するしかなかった。黒澤や小津の映画は端から趣味じゃないし、研究する気はなかったが。

ふり返ってみれば、今までにどれほど多くの映画と対座しただろう。しかも、その殆どは「映画館」での体験だ。映画は映画館で見ないと何の意味もないし、何の感慨も得られない。光線を全面反射させる“銀色の幕"に映される世界の隅々まで、あれだけ一挙に体験出来る装置は無い。高校2年の頃、「こんなモノだったらオレも撮ってやるぞ」とかき立てられた「イージー・ライダー」にしても、奮起させられた理由は、登場した主人公の長髪ヒッピー野郎たちがニューオリンズの謝肉祭(マルディグラ)に行って娼婦らと大麻を吸ったりセックスして、“フリーダム"(絶対自由)に生きた後、南部の田舎の白人らにショットガンで射殺されるショッキングなラストシーンを目の当たりにして打ちのめされたということだけなく、実は、スクリーン画像のその繊細なディテールに魅せられた快感だった。

スクリーンに映ったコロラド川に吹く風や、コヨーテの哭(な)く夕暮れの山肌、村の人々から頂いた田舎料理や、ヒッピー女の白い身体や、モーテルのネオン、青い空と地平の奥、アル中弁護士のジャック・ニコルソンという新人俳優のヒゲ面、彼が被っていた剥げた金色のアメフトのヘルメット、チョッパーバイクのマフラーから噴く白煙、すべての肌質感が、今もまだ記憶に鮮やかだ。映画という芸能は大スクリーンの上でしか成り立たないのだということを知ったから、映画と心中するつもりで生きてきたのだ。テレビの小画面の情報とは比較にならない。

映画は人とモノと、そこに巻き起こるアクシデント〈不意なコト〉の具体性だ。それらが自然にしみじみと描かれてこそだった。ミナミの裏通りをスネた目つきで練り歩く不良たちを描いた作家はいなかったので、それこそがボクの役目だと確信して、79年の末、「ガキ帝国」の企画を始動させた。まずは、戻らなくてもいい製作費を出してくれそうな、もの分かりのいい会社を探すことからだったけど。

(続く)

井筒和幸(映画監督)KAZUYUKI IZUTSU

■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画制作を開始。
8mm映画「オレたちに明日はない」 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を制作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年) 「晴れ、ときどき殺人」(84年)「二代目はクリスチャン」(85年) 「犬死にせしもの」(86年) 「宇宙の法則」(90年)『突然炎のごとく』(94年)「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン最優秀作品賞を受賞) 「のど自慢」(98年) 「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年) 「ゲロッパ!」(03年) 「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン最優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年) 「TO THE FUTURE」(08年) 「ヒーローショー」(10年)「黄金を抱いて翔べ」(12年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、独自の批評精神と鋭い眼差しにより様々な分野での「御意見番」として、テレビ、ラジオのコメンテーターなどでも活躍している。


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