「モンダミンモンダイ」

第102話
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター
Akira Kadota
門田 陽

昨年の春に上野に越してきてから、交通手段にJRを使うことが多くなりました。週に何度か新宿にある行きつけの本屋さんに通うために神田駅で山手線から中央線に乗り換えます。そのとき必ず駅構内で耳にするのがモンダミン(アース製薬)のCMの口をクチュクチュするあの旋律♪いわゆる発車メロディですが、この曲に変わったのが2023年10月2日。そうです、まだ半年も経っていないのです。しかし、それまでがどんなメロディだったのか全く思い出せません。以前の僕なら何とか自力で考えようと唸っていましたが、今の僕はあっさりスマホで調べます。すると数秒で解決。あ~~、この曲でした。名の知れた曲ではないですが、よく聞いていました。でも、もうすっかり忘れています。

去年の今頃、僕はまだ会社員でした。その会社にはずいぶん長い間お世話になったのですが、わずか一年も経たないのにもう当時の記憶がぼんやりしています。コロナ禍の頃、毎朝9時半に健康状態を報告していた担当の方の名前が思い出せません。毎日メールの冒頭に〇〇さまと名前を打っていたのにその〇〇がわかりません。顔は出てくるのですが名前が出ません。そんな馬鹿な、これはまずいと思い、最近独立した元同僚に聞いたらなんと彼女(元同僚)も「あ~~だれだっけ、あの人よね~、名前が~~」と言ったっきり。同病相憐れむになってしまいました。おそらく人間の脳は必要なくなったものや都合の悪いものは自分勝手に排除するしくみが備わっているのでしょう。確かに科学的にも、ヒトの体の細胞は4カ月で入れ替わるらしいので、それでいえば一年前の僕は別人です。そう考えると、あの政治家たちの逃げ口上になっている「記憶にございません」は案外ウソではないのかもしれません。

ところで、自分の記憶や過去の言動はまるで忘れてしまっても、他人のしたことや過去の特に過ちに関してはなかなかしつこく覚えているのが人間の性のようでして。先日、渋谷の映画館でアキ・カウリスマキ監督の『枯れ葉』(2023年)を見ました。僕はこの監督の作品は大好きで見逃したことはないですが、今回は特に特別(アレ?これって頭痛が痛いになっているかも)。この映画『枯れ葉』の宣伝文句「引退宣言から6年、アキ・カウリスマキ監督が帰ってきた!」に愕然としつつもやっぱり見ずにはいられなくて見に行きました。6年前、引退を発表した監督の作品が渋谷や有楽町の映画館で特集されました。もう見られなくなると思ったファンが駆けつけて盛況でした。記念のDVDもボックスで発売されて、なかなかの値段でしたが僕も迷わず購入しました(※写真①)。

※写真①

『枯れ葉』は相変わらずのカウリスマキならではの孤高な切り口でとても素晴らしかったです。が、あの引退宣言はいったい何だったのでしょうか。そんなこと、何もなかったかのように普通の状態で上映される映画『枯れ葉』。人間のやることって矛盾だらけで面白いです。

あー、そういえばもう一つ。僕は他人のことでは、今のことよりも過去のことの方をよく覚えているものがあります。それは旧姓です。この国は結婚すると多くの場合(最近はずいぶん変わってきましたがそれでもまだ)妻が夫側の苗字を名乗りますが、その名前がなかなか覚えられません。結果、旧姓で呼んでしまいそのたびに謝りながら新姓を聞くのですがまた次に会うと旧姓しか浮かびません。これって、僕だけの症状ですか。違いますよね。そのうえ近頃はすぐに旧姓に戻ったり、何度も苗字が変わる人も少なくないのでいっそ旧姓のままでいいと思ってしまいます。そもそも世界のほとんどの国は夫婦別姓ですし、新姓など覚える必要がないと僕の脳が思っているのかもしれません。

しかし多くの場合、人の記憶は日々上書きされるので、新しいもの優先で過去はすぐに忘れ去られるようです。わずかこの一年でも上書きどころでは済まないことが多すぎです。
一年前はまだツイッターでしたし、ジャニーズでしたし、テレビで松ちゃんを見ない日はなかったですし、「車を売るならビッグモーター♪」でしたし、5類ではなく2類でしたし、大谷選手はエンゼルスでした。こんなに目まぐるしく息苦しいほど変わっていく世界の中で、アキ・カウリスマキ監督は「何も変わらなくてもいいんだよ」と言いたいのかもしれないなと、勝手に想像しました。

 

余談ですが、発車メロディといえば山手線の恵比寿駅が使っているヱビスビールのCMのあの曲は元々は映画『第三の男』(1949年)のテーマ曲だということをほとんどの人が忘れている話はまたの機会に。

 

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プロフィール
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター
門田 陽
コピーライター/クリエーティブ・ディレクター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州、(株)電通を経て2023年4月より独立。 TCC新人賞、TCC審査委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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