初めての35ミリフィルムをキャメラにつめて、ロケ撮影は大阪郊外、奈良の河原、京都など方々で気ままに敢行。すべて神出鬼没のゲリラ撮影だった。

Vol.59
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

1975年、ボクは仲間たちと自主製作映画、『性春の悶々』の制作に人生を賭けた。他人の作品を何百本見てこようが、何でもいいから、自分が作りたい映画を作らなければ、人生は始まらない、そんな気持ちで一杯だった。

高校を出て以来、ろくに働きもしないまま、気まぐれに小遣い稼ぎで、田舎町のボーリング場の脇にある、暇なビリヤード場で雑用係のアルバイトをしてみたり、大阪ミナミの宗右衛門町にあるグランドキャバレーで一日30分間、フロアショーの照明係をしたり、そんな呑気な日々を過ごしてきた22歳の風来坊にとって、この自らの映画作りは「お前は、何をしたくて何ができるのか」と自身で試してみる、自分への挑戦だった。それは、学業を終えた大学生が必死で就職先を探して回るような(ボクからみたら)悪夢のようなことではないにしろ、どこかの映画会社に入って映画を撮っていきたいという子供じみた甘美な憧れではなく、むしろ、既成の日本映画なんてぶち壊してみろよ!ともう一人の自分が横から檄を飛ばしている、そんな気持ちだった。野暮ったい既成のピンク映画どころか、メジャー映画界に殴り込みにいくような気分だった。安いピンク映画モドキで映画に変革など起こせるわけがないだろうと、周りの大人は思っていたか知れないが、ボクと仲間たちは本気だった。

誰かやる気のある、脱いで全裸になる度胸のいいアングラ系の女優はいないのか?東京から呼ぶより、お金のかからない関西の地元にいないのか?大学の演劇サークルやアングラ劇団に声をかけまくったが、なかなか見つからなかった。若手ピンク女優・茜ゆう子ちゃんと日活ロマンポルノの脇役で活躍中だった絵沢萠子さんは、主人公のチンピラ役の三上寛の相手には申し分ないだろうとキャスティングした。二人共、さすがに色っぽくて現場でボクを有頂天にさせた。絵沢さんは小劇場育ちの気風のいい、しかも、穏やかな雰囲気のある先輩女優で、ベットシーンで彼女の全裸をじかで見た時、ボクは少年に戻ったように感激して、「今、オレは映画を撮ってるんや!」と初めて実感が湧いた。
彼女が「カントクさん、私の『あんた・・・、情熱的やわ』なんて台詞、どうして書けるの?」とほくそ笑んでいたのが忘れられない。神代辰巳監督の『恋人たちは濡れた』(73年)や、『四畳半襖の裏張り』(73年)でも、彼女は艶やかで素敵だった。観ていたから選んだのだ。(絵沢さんは、昨年22年の暮れに女優一筋の生涯を全うされた。合掌)

フォークシンガーの三上寛さんを主演に迷わずキャスティングしたのも、高校を出てからずっと流浪するボクの心に突き刺さる言葉を投げつけてくれる、彼も孤高の表現者だったからだ。その過激な詞には感嘆するばかりだった。
「ひびけ電気釜!!」(72年)は特に胸に迫ってきて、ボクの気分を代弁するように、世の中デタラメだらけだ!と吠えていた。

――、飛んでいくのか赤とんぼ、泥沼の奥底はペンペン草の肉欲だ、洗濯バサミにはさまれた太陽、オレたち明日を何で決める、ひびけ電気釜!かがやけ納豆!死ぬなミミズ!殺すなオレを!――と。

歌詞のどこを切り取っても共鳴できたし、映画も同じで、作者の気分の発揚であり、客より誰より自身を激励するモノなんだと改めて思う。

ロケ撮影は大阪府の郊外のブドウ畑、奈良の河原、京都の市電の駅ホームと方々に出向き、気ままに敢行。すべて神出鬼没のゲリラ撮影だった。朝が明けても撮り切れず、仕方がないからNG場面でも良しとするしかなかった。ロケが始まって2週間ほどした頃、キャメラにフィルムを裏掛けで装填してしまっていて、撮った分の場面すべてが現像所からNGだと報告を受けるや、仲間全員、意気消沈してしまった。ボクは三上さんには「もう一回最初から撮りたいのでスケジュールを下さい」とウソをついた。
すると、彼は「カントク、ここで諦めたらダメだよ。撮り直しするならやるよ」と気合いを入れてくれた。ボクらの失敗を彼は見抜いていたに違いないが。

ロケもほぼ終わりかけた頃かな、世の中に自分の家族がいたことさえ忘れていたので、登山の途中でボンベで酸素吸入するように、大阪の劇場に出かけた。観たのは1930年代のロサンゼルスを再現した『チャイナタウン』(75年)、ロマン・ポランスキー監督作品だ。主演の探偵役はジャック・ニコルソン。なんと巨匠ジョン・ヒューストン監督までロスの有力者で怪しい富豪役を演じていて、ポランスキー監督もジャックの鼻をナイフで切って脅すチンピラ役で出ていて愉しかった。ボクも自作で、主人公に頭突きをかまされる田舎町のちんけな工員役で出たのだが、それは他にキャストを探す余裕がなかったからだ。

映画作りは、芸術だ、科学だという前に、ボクが学んだのは、映画は気が合って気が利く仲間と「気合い」で作るものだということだった。

≪登場した作品詳細≫

『恋人たちは濡れた』(73年)
監督:神代辰巳
脚本:神代辰巳、鴨田好史
企画:三浦朗
出演:中川梨絵、絵沢萠子、薊千露 他

『四畳半襖の裏張り』(73年)
監督:神代辰巳
脚本:神代辰巳
原作:永井荷風
出演:宮下順子、江角英明、山谷初男 他

『チャイナタウン』(75年)
監督:ロマン・ポランスキー
製作:ロバート・エバンス
脚本:ロバート・タウン
出演:ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストン、ペリー・ロペス 他

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年。
※歌詞引用:三上寛「ひびけ電器釜!!」(72年)
※掲載の社名、商品名、サービス名ほか各種名称は、各社の商標または登録商標です。

●映画『無頼』

※欲望の昭和時代を生きたヤクザたちを描いた『無頼』はNetflixでも配信中、DVD も俄然、発売中。

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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