大阪の天王寺の深夜喫茶で見つけた彼女は、女工の役を気前よく引き受けてくれた。

Vol.58
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

映画館にかかる邦画は、アメリカンニューシネマの新鮮さはなく、見劣りするものばかりだった。『エクソシスト』(74年)は悪魔をリアリズムで見せる世界初のものだった。どんな邦画も敵わなかった。キャメラアングルも、写っている俳優のその何メートルか手前にキャメラがデーンと置かれて、そこから撮ってますとすぐに分かるような、もっと正確にいうなら、画面がキャメラで撮られていることを客に感じさせないで忘れさせるような、そんなポジション(位置)に入って撮影している画面が少なかったからだ。俳優たちが芝居と分かる芝居臭い演技でオーバーにやれば、中身に没入できないし、キャメラの位置に気づいてしまうわけで、青二才のボクでも場面展開に気を取られるベストアングル、気が削がれてしまう不細工なアングルの違いぐらいは直感で分かるのだった。ウォーレン・オーツ主演の『デリンジャー』(74年)の先鋭的な写実の前に、ついでに観た松竹の『砂の器』(74年)の野暮ったさは比べようもなかった。

日本の俳優はどうしても芝居がかった、つまり、「見え透いた芝居」しか出来ない人が多くて、その度にゲンナリさせられた。そんなことを言えば、『仁義なき戦い』も出演者の殆ど全員が過剰演技だった。しかし、メイン俳優たちに割って入って、感情のままに即興で一度しか出来ない表現をする大部屋の無名役者たちにこそ、「生気のリアリズム」を感じ、画面に釘付けにされたのだ。とりわけ、脇役陣ではボクより一回り上の、長谷川明男さんは、『仁義なき戦い 頂上作戦』(74年)で広島のチンピラやくざの生きざまと死にざまを見事に体現し、主役を食っていたし、貫禄ある舎弟役をこなしたベテランの遠藤太津朗さんの関西弁のリアリズムは格別だった。激動の時代を生きてきたそんな演技派の先輩たちといつになれば一緒に仕事ができるだろう。それまでに演出術を習得できるだろうか。60年代の高度経済成長もとっくに終わり、実録路線の熱気も薄れていく中でそんなことを思いながら、74年の年末は、『アメリカングラフィティ』のあの片時の平和世界をぼんやり眺めているだけだった。

映画を撮るぞと意気込むボクに刺激をくれる頼もしい邦画はもう現れなかった。『仁義なき戦い』の笠原和夫が書いていると噂になっていた「実録・日本共産党」も何の不都合か知らないが、企画倒れになり、ボクを悔しがらせた。

新しい邦画に出会いたかったが、東映が性懲りもなく75年の正月興行用に企画したシリーズ3作目の「山口組三代目・激突篇」が製作中止になったのを覚えている。PTAなどに反対され、警察もその刺激的な映画は潰したがっていたからだ。代わりに作られたのが『県警対組織暴力』(75年)だ。でも、脚本が笠原和夫でもそんなに面白くなかったのだ。やくざか警察か分からない菅原文太扮する刑事を主人公にして正面からアウトローを描かない、苦肉の策がこれかと納得がいかなかった。おまけにベテラン俳優の演技はおしなべてオーバーで、愈々、実録はもう終わったなと思った。

75年は、ボクは自主製作映画、『性春の悶々』の制作に没頭した年だ。
このタイトルはその2月に封切られた、五木寛之原作の『青春の門』(75年)から盗んだものだ。そっちが筑豊の炭鉱町に生きる少年の成長物語なら、こっちは関西の田舎の兄ちゃんが女遊びに飽いて、スターの小林旭に憧れて東京に出るまでのエロ話だから、「青」じゃなく「性」で対抗しようと思いついたのだ。
何億円かで作られたメジャー映画に、百何十万円のピンク映画モドキが対抗できるわけがないが、そんな心意気だけはあったのだ。

『青春の門』に小林旭が出ていたが、リアリズムを外したような演技で幻滅させられたし、吉永小百合の芝居はいつも芝居過ぎる印象しかなく、仲代達矢も舞台止まりの芝居でオーバーだった。

こっちはクソリアリズムだからな!ボクは東京から呼んだロシア人の血が混ざる茜ゆう子にも、ベテランの絵沢萠子さんにも、主演のフォークシンガー、三上寛さんにもそう伝えた。後の配役は全員素人だった。裸になれる女優がどうしても一人足りなくて、大阪の天王寺に出て、深夜喫茶に入るや、注文を聞きに来た色白のウエイトレスに「こんな映画があるんやけど、出てくれないか?」と声をかけてみた。

すると、彼女が「私は舞台に出たくて芝居の勉強しようと、新潟から…」と答えたのだ。「えーっ?!それはもう運命やろ、やってくれ!頼むわ!」とボクはそれから後、何を喋ったのか思い出せない。彼女は女工の役を気前よく引き受けてくれた。あんな嬉しい夜は22年間生きてきて初めてだった。

『性春の悶々』のクランクインが迫る中、最後の勉強にと思い、『サブウェイ・パニック』(75年)というニューヨークの地下鉄を悪党4人組がジャックする映画を観たが、サスペンスフルな画面に見惚れてしまい、初陣の為の気付け薬にもならなかった。

(続く)

 

≪登場した作品詳細≫

『エクソシスト』(74年)
監督:ウィリアム・フリードキン
製作:ウィリアム・ピーター・ブラッティ
製作総指揮:ノエル・マーシャル
出演:エレン・バースティン、リンダ・ブレア、ジェイソン・ミラー、マックス・フォン・シドー 他

『デリンジャー』(74年)
監督:ジョン・ミリアス
製作:バズ・フェイトシャンズ
出演:ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン、ミシェル・フィリップス、ハリー・ディーン・スタントン 他

『砂の器』(74年)
監督:野村芳太郎
原作:松本清張
脚本:橋本忍、山田洋次
出演:丹波哲郎、森田健作、加藤剛、春田和秀 他

『仁義なき戦い』(73年)
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
原作:飯干晃一
出演:金子信雄、木村俊恵、松方弘樹 他

『仁義なき戦い 頂上作戦』(74年)
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
原作:飯干晃一
出演:菅原文太、八名信夫、黒沢年雄、野口貴史、長谷川明男 、遠藤太津朗 他

『アメリカングラフィティ』(74年)
監督:ジョージ・ルーカス
製作:フランシス・フォード・コッポラ
共同製作:ゲイリー・カーツ
出演:リチャード・ドレイファス、ロン・ハワード、ポール・ル・マット、チャールズ・マーティン・スミス 他

『県警対組織暴力』(75年)
監督:深作欣二
脚本:笠原和夫
企画:日下部五朗
出演:菅原文太、梅宮辰夫、池玲子、山城新伍 他

『青春の門』(75年)
監督:浦山桐郎
脚本:早坂暁、浦山桐郎
原作:五木寛之
出演:田中健、田鍋友啓、松田剣、浦山春彦 他

『サブウェイ・パニック』(75年)
監督:ジョセフ・サージェント
脚本:ピーター・ストーン
原作:ジョン・ゴーディ
出演:ウォルター・マッソー、ロバート・ショウ、マーティン・バルサム、ヘクター・エリゾンド 他

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年。
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●映画『無頼』

『無頼』はNetflixでも配信中、DVD も発売中。

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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