映像2022.11.22

「偶然の副産物」

第87話
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
Akira Kadota
門田 陽

その日は秋晴れで暖かく、いわゆる小春日和でした。場所は山形市。仕事で訪れていたのですが、お昼前に3時間ほど時間ができたので駅前を散歩。アーケードのある大通りを抜けて一本横道に入ったところでなかなか趣のある映画館を発見。名前はフォーラム山形(※写真①)。

※写真①

引き込まれるように中に入るとスクリーンが5つもあります。ちょうどいいのがないかな、と時間を見ると12分後に「ヒューマン・ボイス(ペドロ・アルモドバル監督)」が始まるではないですか。観たいと思っていた映画です!

窓口のお姉さんに「ヒューマン・ボイス大人一枚」と告げると、「お席はどこがいいですか?」と尋ねられ、座席選択の液晶画面をこちらに向けてもらうとまだどこも埋まっていません。「全部空いているのでどちらでも」とのこと。僕はふだん映画館でも劇場でも寄席でも飛行機でも電車でも通路側が好み。ただ全部空いているのならド真ん中にしようかと一瞬迷いましたが、あとで誰か来るだろうし、いつも通りの通路側。そして上映されるシアター1はそんなに広くなさそう(座席数65)なので換気のよい後方の出入口扉のそばの席を選びました。上映までまだ少し時間があります。今の時代、ふつうは時間を調べてくるのでオンタイムに入る人が多いだろうし、東京に比べるとのんびりしているのでみんなギリギリに来るのかなと考えました。

それから指定の席について誰も来ないまま5分経過。あれあれ?もしかするとこのまま一人だけなのではという不安と共に妙な気持ちが込みあげます。この妙な気持ちというのは期待感です。ちょうど旅館やホテルの大浴場で、入浴時間の最初に行って誰もいなくて広いお風呂を独り占めできたときのあの気持ち。じゃないな。大浴場のほうは一番風呂のうれしさだもんな。話を戻します。そうです。せっかくだから今日はこのまま誰も来なければいいのに、と自分勝手なことを願ったのです。出入口のほうが気になりそわそわしてしまいます。さらに5分が過ぎました(※写真②)。

※写真②

まだ僕一人のままです。場内が暗くなりました。予告編が始まりました。常々思うのですが本編前の予告編って多過ぎませんか。もちろん予告編を見るのも映画館に来る楽しみの一つではありますが、あまりにその数が多いと本編の前に疲れてしまうことがあります。しかしこの日は違いました。いわば僕だけのために流れる予告編。ふだんは興味のないホラー映画や恋愛映画の予告編も集中して見てしまいゾワゾワしました。長い予告編が終わり次は館内でのマナーを呼びかける映像。ケータイの電源はオフにすること。飲食の持ち込みは禁止。上映中はおしゃべりをしないこと。前の席を蹴らないこと等の注意が次々とあります。これらを見ながら、ふと一人だけしかいなくてもこの注意事項は必要なのかを考えました。仮に上映中、僕のスマホが鳴ったとしても誰かに迷惑をかけることはないよなぁ?とか思っていると続いてコロナ禍における館内の対策や咳エチケットやマスク着用のお願いの映像です。う~~む、これも一人の場合は当てはまるのかな、と場内をキョロキョロしました。そしてしばし悩んで出した結論。マナーというのは他人が誰もいないところでも守る価値観というか人間性だろうからたとえ一人しかいなくてもこの映像を流す意味はあるはず。わー、理屈っぽいなオレ。

さらにこのあとお馴染みの「NO MORE映画泥棒」が流れやっと本編開始。映画の内容はネタバレになるのでやめますが、アルモドバル監督ならではの全くムダのない展開と緊張感、印象的な色使い。超オススメです。

そしてついに最後まで僕以外のお客さんは入ってきませんでした。ヤッホー!エンドロールまで見終えたところで係りの男性が扉を開けて入って来られました。僕はその人に聞きました。「今回もし僕がいなくても上映はしたのですか?」すると「はい、そうですね。30分流して誰も来なければその回はそこで中止にします」という答えでした。僕はつい「へー」とトリビアのような声を出してしまいました。

一人で映画を見に行き始めた中学1年のときから今まで2000回以上は映画館に通っていますが、この経験は生まれて初めてです。
たまたま行った街でひょっこり見つけた映画館で観たい映画があって入る。ここまではいわゆる偶然の産物でしょうが、そのあとにあった一人きりの状態やマナーについての思いや係りのお兄さんとの会話などはいわば偶然の副産物。こういうことがあるから人は毎日何とかやっていけるのかもしれません。映画館を出ると外はまぶしく空はまだ青いままでした(※写真③)。

※写真③

ところで、ペドロ・アルモドバル監督の「パラレル・マザーズ」の主演ペネロペ・クルスの劣化しない美しさや途中で流れる「サマータイム」の痺れるタイミングなど山ほど言いたい話はまたの機会に。

 ≪登場した作品詳細≫

『ヒューマン・ボイス』(2022年11月3日公開)
監督:ペドロ・アルモドバル
製作:アグスティン・アルモドバル、エステル・ガルシア
原作:ジャン・コクトー
出演:ティルダ・スウィントン、アグスティン・アルモドバル 他

『パラレル・マザーズ』(2022年11月3日公開)
監督:ペドロ・アルモドバル
製作:アグスティン・アルモドバル
製作総指揮:エステル・ガルシア
出演:ペネロペ・クルス、ミレナ・スミット、イスラエル・エレハルデ、アイタナ・サンチェス=ギヨン 他

映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年月日。
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プロフィール
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター
門田 陽
電通第5CRプランニング局 クリエーティブ・ディレクター/コピーライター 1963年福岡市生まれ。 福岡大学人文学部卒業後、(株)西鉄エージェンシー、(株)仲畑広告制作所、(株)電通九州を経て現在に至る。 TCC新人賞、TCC審査委委員長賞、FCC最高賞、ACC金賞、広告電通賞他多数受賞。2015年より福岡大学広報戦略アドバイザーも務める。 趣味は、落語鑑賞と相撲観戦。チャームポイントは、くっきりとしたほうれい線。

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