絵の話をしないで額縁の話をしてはいけない

Vol.191
CMプロデューサー
Hikaru Sakuragi
櫻木 光

ネットの番組を見ていたら、有名なホストでタレントの人が 

一般の女性の人生相談に答えていて、そこで言ってることが 

なかなか面白かったのです。 

 

一般女性の悩みは、男に痛い目に遭わされ続けて、嫌になり「ダメな男の見分け方」を聞いて 

いる。ホストの人はずばり答えていて腑に落ちた。 

 

その答えは 

「“絵” について語るより、“額縁” について語るヤツはダメ」と言うものだった。 

「俺の友達が……」「俺の年収が……」「俺のつけてる時計が……」など、 

「主語が全部自分以外の何かになる人はやめたほうがいい」と。 

いやー、おっしゃる通り。普通に暮らしているとこの手の人が結構多いのがわかる。 

 

ネットショッピングである商品を買おうと思って、調べて、買った人のレビューを読むと大体、 

「包装はきれいで、発送も早く満足できる取り引きとなりました。ありがとうございました」 

みたいなことばかり書いてある。そう言うことが知りたいんじゃねえ!

お前はその商品が気に入ったか気に入らなかったのか、

何が良くて何が悪いのか教えろ!と思う時があるのです。 

 

そんな些末なことはどうでもいいんですが、仕事の環境にもそういう的外れな感じが 

蔓延していることが多くてうんざりすることがあります。 

 

前いた会社でのこと、 

ある地方自治体から要請があって、その土地の出身のメジャーデビューしている 

歌手に故郷を応援する歌を作って歌ってもらい、プロモーションビデオを作る。 

と言う仕事でした。ビデオはストーリー仕立てになっていて、その土地出身の有名な役者を 

キャスティングして主役にする。歌っているアーティストとその役者のストーリーのカットバックで構成されているもの。その途中途中にその

地方の人たちの笑顔や活動的なシーンを 

散りばめていく。というものです。 

 

そう言う類の仕事だから、ビデオ制作に関する予算は本当に厳しく、監督もスタッフも相当頑張って作ってくれました。だけど、散りばめられ

ている現地の素人のエキストラたちはオーディションしたわけでもないのに最初から決まっていたのです。少しやばい匂いがしていました。 

 

撮影中も、編集作業の時に案の定、なんとかさんの御子息のカットの、カット数か秒数を増やしてくれ。

と言う指示が来るようになりました。 

 

まあ、自治体の担当者の人もいろいろ大人の事情もあるのでしょう。若い監督はせっせと言われたことをこなしてもビデオ全体のバランス

がへんてこりんにならないように飲み込みながら作業をしていきました。 

 

そして何度かやりとりをした後、本編集と整音が出来上がった初号試写、つまり完成試写を 

しにその地方自治体に出向きました。 

 

出来上がった作品をモニターで流した後、担当者たちはみんな無言でした。 

 

僕は心配になって「どうですか?いいでしょ?」と聞きました。 

いろいろあったけどなかなかいい仕上がりをしているという自信があったからです。 

「いいですね。いいです。で。なんとかさんのご子息のカットはもっと増やせませんか?」 

最初に発言した人がそう言いました。他の担当者はみんなうんうんうなずいている。 

志村けんのサラリーマンコントかと思った。 

 

「へ?なんかの圧力がかかってるんですか?予算の出どころの重要な人との約束とか? 

 そう言うのあるんだったらもっと前に言ってもらった方がいいんですけど」 

「いや、そうでもないんですけどね。サービスで、へへへ」と。 

 

「あのう、ハンバーグ定食頼んで、ハンバーグや上に乗ってる目玉焼きを減らして 

 付け合わせをもっと多くしてくれ。とおっしゃってるのはお分かりになりますか? 

 それをやって、歌ってくれた人や出てくれた役者にこの作品でいいことあるんすかね? 

 僕らはその辺の事情をあまり聞かされてないまま言われた通りに付け合わせのカット増やしたり伸ばしたり、??ってなってる監督を説き

 伏せながらなんとなくの空気を読んでやってきたつもりではあります。しかし、一番みてくれるだろうこの歌手のファンは、付け合わせ

 ばっかり食わせやがって、メインを食わせろ!って思いませんかね?もっとやると、もう、付け合わせ定食になっちゃいますよ。それを

 やったらこの自治体にも歌にもビデオにも歌手にも役者にも、監督にもなんかいいことがあるならやりますけど、あります?」 

「じゃあいいです」 

と言う感じになって、なんだかプロデューサーに脅されちゃったなあ、怖いなあ。みたいな 

後味の悪い終わり方になってしまった。当然、次の発注は未だにきていません。 

 

「“絵” について語るより、“額縁” について語るヤツはダメ」 

の話を聞いていてそのことを思い出した。 

 

仕事の時に、そういう仕事の絵のクオリティとかけ離れたところでの額縁の話があるのは 

知らないわけではない。わからないわけでもない。どんなの仕事もそう言うところがある。 

 

随分と時間と労力をかけて絵のことを作っていった先に、額縁の話で紛糾することは 

たまにある。そう言う時は絵の内容や仕上がりは、なんだかもうどうでも良くなっている。 

 

額縁が法律の時もあるし自主規制の時もある。最近のコマーシャルでの額縁はとぼけるのもチャレンジするのもダメだからだ。絵がどんな

に素晴らしくても額縁にぴったり収まっていないと見てももらえないし突き返されてくる。 

 

 ただ、決まり事を守るということと何かに忖度して額縁を立派にすると言うことは違う。 

 よくないのは、最初から絵の良し悪しなんか自分にはわからない。わからないから 

 絵の良さよりなんかの理屈や損得の上にそれが成り立っている方が納得がいく。と 

 本気で考えている人が確実に存在する。 

 

百歩譲ってそれでもいいですよ。 

ただただ、絵をみた。その時に自分はそれが好きか嫌いかくらいはわかるでしょう。 

綺麗とか汚いとか美しいとか怖いとか気持ちがいいとか深いとか。 

あなたが感じることがあるんじゃないですか?と思うのです。 

 

芸術とは一人の人が意識的に何か外に見えるしるしを使って 

自分の味わった気持ちを他の人に伝えて 

他の人がその気持ちに感染してそれを感じるようになるという 

人間の働きだ。 

芸術によって同じ時代の人たちの味わった気持ちも 

数千年前に他の人たちが通ってきた気持ちも 

伝わるようになる。 

芸術は今生きている私たちに 

あらゆる人の気持ちを味わえるようにする。 

そこに芸術の務めがある。 

 

とトルストイが言ったそうです。 

 

僕たちは決して芸術を作っているわけではないですが、それはわかっているんですが 

人には物を作る時に気持ちってものがある。 

コマーシャルだってPVだって、テーマについて自分の味わった気持ちを形にして 

他人に伝えたいとおもってやってることには変わりがないはずだ。 

 

最近は予算や都合で頼んだ監督のせっかくの気持ちをプロデューサーがあえて踏みにじる時もある。

ごめんと心で泣きながら踏みにじる時もあるのだ。 

 

だけど最初の打ち合わせではそんなことは言いもしないで素晴らしい物を作ってくれと発注しといて、

表現については僕なんか・・って素人ヅラしてなんかの損得で無神経に踏みにじる奴がたまにいる。

それが嫌だと常々思う。

いい年した大人が恥ずかしがってないで、好きとか嫌いとか先に言えばいいと思う。

都合と好き嫌いは違う物だ。

プロフィール
CMプロデューサー
櫻木 光
プロデューサーと言ってもいろんなタイプがいると思いますが、矢面に立つのは当たり前と仕事をしていたら、ついたあだ名が「番長」でした。

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