放送クラブにいたちょっと美人で大人っぽい目をした女子に、「ゲリラ上映を助けてほしいんやわ」と声をかけた。

Vol.53
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

――(先回からの続き)。1970年、高校3年の秋の文化祭で上映するために作った、初めての8ミリ劇映画もどきは、かなり、内容が深刻で衝撃的だったのか、映画研究部顧問の教師からは「こんなもん、文化祭で上映してはならない」と釘をさされてしまったのだ。主人公の高校生が便所で自慰をする場面が上半身だけの描写だろうと卑猥過ぎてダメなのか、はたまた、主人公が謎の仮面男に追いつめられて廊下で殴られる血まみれラストシーンがその教師には穏やかでなく気分を害したのか、愛や平和など何一つも謳っていない内容が高校生らしくないと思われたのか、とにかく、「これは映研としては上映を許さない」とはっきり言われたのだ。

初めから堅ぶつな教師(数学科だったか)とは分かっていたのだが、掛け合っても押し問答ばかりで話にならず、ボクらはちょっとショックだった。学校というのはここまで自由がないのか。どうして、17歳の少年たちが夏休みを利用して一所懸命に作った8ミリぐらいを発表できないのか。表現の自由とは何なんだ? 憲法に書いてあるぞ、怪しい思想や宗教を広める集会を開くわけじゃなし、今の受験地獄に立たされた高校生の日々の苦悶をそのまま映し出しただけじゃないか。何が悪いんだ。オレたちのニューシネマがなんで学校の現実を描いたらいけないのか。どこが迷惑なのか。表現って何なんだと。ボクは制作した仲間3人と、何としてでもゲリラ上映をするぞと、図書室の隅で作戦会議をした。

先ずは上映場所をどこにするか、だった。で、早速、一番ものわかりの良さそうな、ピアノが得意な、ちょっと変わり者風の物理の教師にかけ合ってみた。物理教室は生徒席が後ろにせり上がっていて、教壇の後ろにはスライド上映が可能な白いスクリーンが降りて、窓には黒いカーテンも付いていたからだ。教師は「授業がない時限なら、構わないよ」とあっさり。この世には物しか存在しない、と授業の度に言う人らしかった。

これで決まりだった。文化祭より早い時期に上映することにした。反響が先に出て、他の教師も見てくれたら何か変化が起きるかと思ったからだ。しかし、その上映告知を、宣伝をしなければ全校生徒らに見てもらえない。いつ、告知するかだった。あまり早くにしてしまうと、また顧問教師に目をつけられて、職員会議にかけられて阻止されてしまうかもだ。一先ず、物理教室の空き予定を調べて、9月某日の昼食時間後の5時限目に決行することにした。5時限目は、体育や美術や漢文古典など、サボりやすい科目が集中する時間帯だった。「漢文」で居眠りしてるくらいなら、この怪しげな映画上映に集まってくれそうだ。ならば、その上映告知は、当日ぎりぎりの昼食時間しかないと決めた。そして、放送クラブにいたちょっと美人で大人っぽい目をした女子に、「ゲリラ上映を助けてほしいんやわ」と声をかけた。彼女は2年の時に、街で他校生と手をつないで歩いてるのを見たこともあり、自由人そうだったからだ。彼女は「うぁ、ちょっと危なそうだけど、いいわよ」と、告知原稿も書いてくれた。

決行当日は、1時限目から授業には気がいかず、テープレコーダーから出す音楽のタイミングがズレないか、途中でフィルムが映写機に絡んで切れてしまわないかとドキドキしていたのを覚えている。4時限目の終わりのチャイムが校内に鳴り渡り、生徒たちが食堂や購買部に動き出した頃、彼女の校内放送が始まった。「本日、5時限目より本館1階の物理教室で、なんと……」。

この放送を、ボクは物理教室で準備中でよく聞いていなかったが、人生で一番、ワクワクした時だった。上映時間は30分。大方が3年生だったが30数名が授業をサボって見てくれた。アンケートの感想文に「少し感情移入はできたが、あの額に『正義の味方』と書いた仮面男は誰だ。あれが学校なの?意味不明」とあったのを覚えている。

怒ったり、恐れたり、喜んだり、恨んだり、悲しみにくれたり、人は「情動」に駆られて生きる。人の感情、情動を描いてこそ映画なのだと分かったのは、この上映会の時だった。この体験は、ボクの映画人生の原点となった。

「人の情動が伝わらないまま、行動だけを見せられるのは不快で退屈だ」。
昔の雑記ノートにはそんなメモも残っている。高校を卒業して翌年、待ちに待って見た『ダーティハリー』(72年)のメモには「正義の味方はどうでもいい。悪党がイキイキして生きていた。死んでいい悪党だが」ともある。人の情動を捉えて愉しませるこのアメリカの監督、ドン・シーゲルのことは、次回にまた。

 

≪登場した作品一覧≫

『ダーティハリー』(72年)
監督・製作:ドン・シーゲル
脚本:ディーン・リーズナー、ジョン・ミリアス、リタ・M・フィンク、ハリー・ジュリアン・フィンク
製作総指揮:ロバート・デイリー
出演:クリント・イーストウッド、レニ・サントーニ、アンドリュー・ロビンソン 他

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年。

 

●映画『無頼』

『無頼』はNetflixでも配信中、セルレンタルDVD も発売中。

プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

日本中のクリエイターを応援するメディアクリエイターズステーションをフォロー!

TOP