鳴り物入りの娯楽作品を撮らされることになり、何もかもが、意外な展開に?

Vol.033
井筒和幸の Get It Up !
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

85年4月末からゴールデンウィーク向けに封切られた日活作品『金魂巻』は、人気スター俳優が一人も出ていないし、日活がロマンポルノ路線の印象を塗り替えようとして我々に作らせたものの、ほとんどお客は入らなくて、興行は無残に終わった。街で出会った知人から「最近、忙しいのかな?映画は、何か撮ってないの?」と聞かれた時は、返答しようもなかった。

日活は宣伝もロクにできなかったようで、ボクのハチャメチャ作品はGW興行の海の藻屑(もくず)と消えようとしていた。でも、他の日本映画も藻屑同然のモノばかりで、ボクには観たくなるものはなかった。

ほぼ同時に公開されたチェッカーズがグループ主演した『CHECKERS in TAN TAN たぬき』というのも、実はその一年前にボクにオファーがかかったシロモノだったが、「そんな何人いるのか人数さえも分からない歌謡ロックバンドには元から興味がないし、芝居をつけてまとめる能力はないし…」と断ったフジテレビ制作の東宝配給モノだった。

加えて、断った理由はそれだけではなかった。テレビ局が自局のゴールデンタイム枠の放送用に作って、自局の電波をフルに使って予告篇を流しまくる、いわゆる“テレビ映画”なんぞ元から映画でないと思っていたし、もっと言うなら、テレビ屋に活動屋の魂は売れるか、と思っていたからだ。“映画”は茶の間のテレビに流せないようなものをいうんだ、テレビ局が制作するドラマとはわけが違うんだ、何がチェッカーズだ、知ったことかそんな連中、なんでそんなものをオレが作らなあかんねん、という思いからだった。

よりによって、『金魂巻』と同時期に、フジテレビと東宝が若い十代のミーハー客向けに大宣伝攻勢で当てにやってくるとは思わなかった。自明の理だが、興収は20憶円を上回ったようだった。

洋画では、『ビバリーヒルズ・コップ』や5月末からの『ターミネーター』あたりがミーハー向けに興行された。6月からは黒澤明の『乱』が封切られるとかで、ジョン・ランディス監督の『眠れぬ夜のため』という不眠症の男のハチャメチャモノを観た時に、その大そうな予告編がかかっていた。

前作の『影武者』があまりに気だるくて、途中で席を立ったボクとしては、またその続きか繰り返しのような戦国モノにはまったく気がいかず、もう、時代は黒澤明じゃないぞと、思ったのだった。

角川事務所のプロデューサーから、手渡されていた未発表小説のゲラ稿、『二代目はクリスチャン』は、修道院上がりの若いシスターが神戸のやくざ一家の2代目を無謀にも襲名して、残された子分たちと渡世の義理のため、無謀にも反目のやくざ組織にドスを抜いて斬り込んでいく、リアリズムもヘチマもない、いや、もしも現実にあるとしたらどんなことになるか、容易には映画にできないSFに近い奇想天外物語だったが、でも、5月に入ると、原作者つかこうへいの手で、すでにシナリオ第一稿が上がっていた。そして、プロデューサーから、その印刷稿を手渡されたのだった。

すぐに読んで感想をください、今度の打ち合わせまでにと言われたので、3時間で読んで、珍しく感想をメモ書きしたのを覚えている。

――テンポはいいが、各シーンの人物の台詞ばかりでト書きがほとんど無いから、人物の心具合や動きや様子が解らない。やくざの子分たちのキャラが各自どう違うのか解らない。関西弁が適当にしか書かれてないので気分が出ていない。とりわけ、ラストの殴り込みシーンが解らない、夏場の話のはずなのに、突然、雪まで降ってきて、助っ人が番傘を差して現れる場面はどう処理したらいいものか…

と、所感は等々だった。

どこまでシュールなコメディにするのか、任侠モノのパロディなのか、それともリアルな群像劇にするのか、全編がつか流の舞台のようになるのか、それが一番の問題だった。角川のプロデューサーは、「今度、つか氏も呼ぶので、監督が後で好きに直しますって、いきなり言うのも何だし、うまくこっちで説明しますよ」と。

義理も人情もつまったヤクザコメディー映画。確かに、これは作り方次第では大ヒットするだろうと直感したが、シナリオの改訂作業は前途多難だとも予感した。

しばらくして、つか氏も来て脚本の打ち合わせをした。ボクは初対面だし、いきなり頭ごなしには突然の雪降り場面は口に出さなかった。ト書きをもう少し書いてほしいと言うと、「適当に考えてもらえば」とそつなく返された。その何日か後、さらに、この制作の下請けをする東映京都撮影所のチーフプロデューサーにも会わされた。「京都は初めてやろうけど、待ってますよ。で、主人公のシスター役はジャックの志穂美悦子で行きます。悦っちゃんも勝負する歳になってきたし」と言われた。

処女のシスターは20歳前の処女やろ?悦子ちゃんが勝負する歳って、おいおい、あの必殺女拳士は30歳だろ? まさか、彼女に決まってるとは思いもしなかった。角川らしい出来レースだった。

我が『無頼』は年末から、東京、名古屋、大阪京都、福岡など、順次公開されてます。昭和の時代を追ってます。熱かった欲望の時にタイムスリップする“ヤクザ映画”です、『二代目はクリスチャン』とは真逆のリアリズムを味わって下さい、正月、ぜひ劇場へ。

プロフィール
井筒和幸の Get It Up !
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県
 
奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。
在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
 
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
 
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
 
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している
 
■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw
 
■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE https://www.izutsupro.co.jp

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