北海道の桜餅は、なぜか「関西風」

北海道
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

人間界が混乱しても
かわらず桜は花開く
そして桜餅が店頭に並ぶ

コロナウイルスかまびすしい今年。だが季節の運行は変わらない。
春分を過ぎれば陽光はいよいよ本格的に、かつ優しく大地を照らす。
土はみずみずしい香りを放ち、地の恵みを吸い上げる樹木は冬の鎧を解き放って萌え始める。節くれだった桜の幹にも樹液は満ち溢れ、やるせない香りをひと時はなったのちに花開く。

そして菓子店に並ぶのは桜餅。桜の葉の塩漬けで包まれた桃色の姿態を前歯でパクリと噛みしだけば、桜独特の香気と軽い塩気が口中にあふれる。桜の葉独特の香気は「桜の葉が他の植物を排除するための毒気」という説もあるが、とりあえず人間には無害であり、またひとつ歳をとる春を予感させる、年に一年の思い出の味。

 関東は「クレープで餡を巻く」
関西は「米粉を水戻しして餡を包む」

さて桜の葉の中には、桃色の姿態、桜餅の本体がある。問題は、この中身である。
関東では「小麦粉、あるいは米粉の薄焼きで餡を巻いたもの」。18世紀初めにお江戸の向島、長命寺の門前で売りだされたのが元祖なので、「長命寺系」とも言う。
一方で関西では「蒸した糯米を砕いた『道明寺粉』を戻したもので餡を包んだもの」。関東式に遅れ19世紀になってから考案されたものという。こちらは俗に「道明寺系」

この分布はくっきり分かれるものではないが、全般的に西日本は道明寺系、関東地方は長命寺系。特にかつての「関八州」は長命寺系の独壇場だが、東北地方は長命寺と道明寺が混在する形となる。では津軽海峡を越えた北海道は…
意外なことに、道明寺系の独壇場、関西系の桜餅一色なのだ。

東日本なのに
何故か北海道は「関西風桜餅」

 かくいう筆者も北海道出身。4月と言えば残雪がまだ残り朝晩はいまだ最低気温が氷点下に達する頃おい。「内地」渡来の書籍を耽読して「サクラサク内地の春」にあこがれつつ頬張る桜餅は道明寺の生地を桜色に染めた、ツブツブの米粉の塊が浮き出す関西系。それが「あたりまえ」だった。それ以外の桜餅など想像もしようがなかった。
そんなある日、世界各国の食文化を解説した本を読み、妙な疑問にいき至る。アフリカ東部・エチオピアの食文化を解説した一文。
現地の主食である薄焼きパン・インジェラを解説した一文。現地独特の穀物・テフを粉に挽いて水に溶き、一晩おいて発酵させる。その生地を熱した土鍋に流し入れ、蓋をしてしばし焼けば…「桜餅の皮のようなインジェラが焼きあがる」。

桜餅の皮?桜餅に皮などあるだろうか。あるいは「桜の葉」のことだろうか。
だが植物の葉を薄焼きパンにたとえられるものだろうか。

 

その疑問は長い間、泥で汚れた残雪の様に胸中にわだかまっていた。時はながれ10数年後。上京して4月の桜風に吹かれ、「インジェラのような薄焼きで餡を巻いた」関東式桜餅を噛み締め、ようやく氷解したのであった。

 江戸時代の航路により伝わった
関西風の桜餅

では何故、北海道に限っては関西式桜餅が優勢なのだろうか。
意外に思われるかもしれないが、歴史的に北海道は関西方面とかかわりが深かったからだ。

江戸時代中期以降、北海道の沿岸各地には関西、とりわけ近江国の商人が続々と進出し、昆布やニシン、ナマコなど北海の海産物を製品化、日本海航路で北陸方面、さらには瀬戸内海を航行して大坂方面に出荷した。一方で関西とのつながりで、北海道には西日本の文化が持ち込まれた。いわゆる「北前船交易」である。

北海道唯一の城下町・松前。かつての城跡には京阪地方より北前船に載せられ持ち込まれた桜が茂る。四月は残雪の季節、五月になってようやく花開く。そんな桜とともに、関西式の桜餅も同時に定着したのであろう。

 

そして「揚げかまぼこ」も関東式に「さつま揚げ」ではなく、関西式に「てんぷら」と呼ぶ。一方で、魚介や野菜に水溶き小麦粉をまとわせ揚げた食品もやはり「てんぷら」。そんなわけで、食卓では頻繁に取り違えが起こったものだった。

晩のおかずが「テンプラ」だと知らされ、エビ天を期待しつつ食卓に向かえば、卓の上には大根とさつま揚げの煮付けでガッカリ至極。
さつま揚げの真の旨味を知るには、あまりにも幼すぎた。

 

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小麦粉の薄焼きで餡を包んだ、関東風の桜餅

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蒸したもち米を砕いて乾燥させた「道明寺粉」を戻して餡を包んだ、関西風の桜餅。北海道では、桜餅といえばこれ。

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