「快楽ホルモンなどが脳に分泌されて、苦を忘れられるユーモアたっぷりの映画を探し歩いたのもその頃だ。」

Vol.47
映画監督
Kazuyuki Izutsu
井筒 和幸

高校生なのに、アメリカ映画の『卒業』(68年)や『ジョンとメリー』(69年)などの色恋の話に、ボクはあまり気がいかなかった。サイモン&ガーファンクルが唄う「サウンド・オブ・サイレンス」だけはラジオから四六時中聴こえていて、その沈黙の音とやらが何のことを意味してるのか、45回転のシングル盤を何十回とかけて歌詞カードを辞書片手に探ったりはしたが、奴が彼女を好きだとか、彼女の母親が奴に色香で迫ってきたとか、まだ社会に出たくないモラトリアム世代のノンポリ大学生の恋模様などはどうでもよくて、気慰めにならなかったのだ。ボクの方こそ、早く社会に出てきたかった。クラス仲間で噂になっていた『ジョンとメリー』の方も何も不自由なく小ぎれいに生きている若い都会の男女が一夜を共にする話だけで息抜きにも享楽にもならなかった。ただ、小ぎれいな青年を演じて、女のことを色々気にしながらドギマギしていた新人男優、ダスティン・ホフマンの、その大きな鼻が可笑しかっただけだ。

ダスティンは、その何か月か前に、午後の授業をサボって観に行った『真夜中のカーボーイ』(69年)の名演に尽きるのだった。そして、その男がなぜ、一年で3本も立て続けにして世界中を席巻したのか。それは彼が小男で大鼻だっただけでなく、人間をすこぶるリアルに、すこぶる滑稽に体現していたからだと思う。その当時の、ボクの雑記帳にこんなメモも残っている。――「ニューヨークの廃墟になったビルに住んでいる何週間も銭湯どころかシャワーも浴びていない、体臭まで臭ってきた無職者、この“ラッツォ(ネズミ野郎)”というあぶれ者を演じるまでは、あんまり気に入らなかったこの男優さんには脱帽だった。この映画は、ボクの人生に決断を迫っていた。映画を撮って生きようと思った。人間どもで汚れきった街、その掃きだめでうごめく、血と汗にまみれた不細工な顔立ちの下層のあぶれ者たちの映像、それが個々の苦しみを和らげるのだ。それに限るのだ――、と。何かの悲壮な決意書みたいな走り書きもある。振り返ってみると、今までそんな作品ばかり作ってきたのも確かだが。

高校生の頃、映画館は、哲学科の専門学校のようなものだった。例えば、人が笑ったり怒ったりすることは、それは生きるために必要なのか?笑いは何に役立つんだろう?とか。そんなことまで、銀幕を眺めながら、考えこんでしまう時もあった。

だから、黙って観なければならないような映画は嫌だった。腹を抱えて笑ったり、吹き出したり、小屋(映画館)でそれが体験できないと息苦しい、不快な日々を乗り越えられないだろう。愉快な時を求めて、世の不条理に苛まれている時に、映画は待っているのだ。それが存在理由なのだ、と、一刻も早く大人になりたい17歳は、恋愛など後回しに映画哲学ばかりしていた。

快楽ホルモンなどが脳に分泌されて、苦を忘れられるユーモアたっぷりの映画を探し歩いたのもその頃だ。どんな場面だと笑えるか、いつも考えながら観た。登場者たちの喜怒哀楽を見るだけでは笑えない。「芸能はユーモアの共感だ」と暗闇の中でメモ書きした。「スリルとサスペンスの中で緊張してるのが能じゃない、笑ってナンボだ」とメモった。ストレス発散なら岡八郎の吉本新喜劇もあるが、ボクはもの足りなかった。喜劇俳優の上田吉二郎や藤田まことが、『ドリフターズですよ! 冒険冒険また冒険』(68年)に出ていたので、どこかの二番館で観た。大人気のコント55号も出ていて、学生デモの場面に後の志村けんも端役でいたが、結局、笑えなかった。

とびっきりのユーモアが必要だった。「鬱憤や退屈が溜まり、脳に不快エネルギーが沈殿してしまうと脳が腐り、人生はクソつまらなくなって当然だ。そのための映画芸能なんだ」とメモにある。

初めて声を上げて笑ったのは、大阪の新世界で観た『悪名』シリーズ新旧3本立てだ。現れるだけで可笑しい芸達者な上田吉二郎さんと藤田まことを追っていたら、『悪名十八番』(68年)では見事にご両者がタイトルされていた。着流しの八尾の朝吉・勝新太郎、その弟分でスカジャンが似合う清次・田宮二郎より、ボクは朝吉の兄役・金田龍之介さんや、大阪のやくざの組長・西村晃さん、芦屋小雁や鳳啓介京唄子の夫婦漫才コンビの出演が嬉しくてたまらなかった。全員に笑った。笑わせているのは依田義賢の脚本だった。

このシリーズは、森光子や茶川一郎や、ベテラン浪花千栄子、ミヤコ蝶々、名悪役の遠藤太津朗(旧・辰雄)や南道郎、関西喜劇人を脇役に配した絶妙なキャスティングで、ボクは20歳の頃にもう一度、田宮二郎が大映を去ってコンビの清次が消えるまでの14作を劇場とテレビ放映ですべて見直し、一から映画的な台詞の間と、その笑いを学んだ。何より大事なことで愉しいことだった。

(続く)

 

≪登場した作品一覧≫

『卒業』(68年)
監督:マイク・ニコルズ
製作:ローレンス・ターマン
原作:チャールズ・ウェッブ
出演:アン・バンクロフト、ダスティン・ホフマン、キャサリン・ロス 他

『ジョンとメリー』(69年)
監督:ピーター・イエーツ
脚本:ジョン・モーティマー
原作:マービン・ジョーンズ
出演:ダスティン・ホフマン、ミア・ファロー、マイケル・トーラン 他

『真夜中のカーボーイ』(69年)
監督:ジョン・シュレシンジャー
製作:ジェローム・ヘルマン
原作:ジェームズ・レオ・ハーリヒー
出演:ダスティン・ホフマン、ジョン・ボイト、ブレンダ・バッカロ 他

『ドリフターズですよ! 冒険冒険また冒険』(68年)
監督:和田嘉訓
脚本:松木ひろし
製作:渡辺晋、五明忠人
出演:いかりや長介、荒井注、高木ブー 他

『悪名十八番』(68年)
監督:森一生
脚色:依田義賢
原作:今東光
出演:勝新太郎、田宮二郎、大楠道代 他
 

出典:映画.comより引用

※()内は日本での映画公開年を記載。

●『無頼』
『無頼』予告編動画

 

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プロフィール
映画監督
井筒 和幸
■生年月日 1952年12月13日
■出身地  奈良県

奈良県立奈良高等学校在学中から映画製作を開始。 在学中に8mm映画「オレたちに明日はない」、 卒業後に16mm「戦争を知らんガキ」を製作。
1975年、高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。
1975年、150万円をかき集めて、35mmのピンク映画「行く行くマイトガイ・性春の悶々」(井筒和生 名義/後に、1977年「ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々」に改題、ミリオン公開)にて監督デビュー。
上京後、数多くの作品を監督するなか、1981年「ガキ帝国」で日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。以降「みゆき」(83年)、「晴れ、ときどき殺人」(84年)、「二代目はクリスチャン」(85年)、「犬死にせしもの」(86年)、「宇宙の法則」(90年)、『突然炎のごとく』(94年)、「岸和田少年愚連隊」(96年/ブルーリボン優秀作品賞を受賞)、「のど自慢」(98年)、「ビッグ・ショー!ハワイに唄えば」(99年)、「ゲロッパ!」(03年)などを監督。
「パッチギ!」(04年)では、05年度ブルーリボン優秀作品賞他、多数の映画賞を総なめ獲得し、その続編「パッチギ!LOVE&PEACE」(07年)も発表。
その後も「TO THE FUTURE」(08年)、「ヒーローショー」(10年)、「黄金を抱いて翔べ」(12年)、「無頼」(20年)など、様々な社会派エンターテインメント作品を作り続けている。
その他、鋭い批評精神と、その独特な筆致で様々な分野に寄稿するコラムニストでもあり、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍している

■YouTube「井筒和幸の監督チャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCSOWthXebCX_JDC2vXXmOHw

■井筒和幸監督OFFICIAL WEB SITE
https://www.izutsupro.co.jp

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