重圧感と痛快感がないまぜで極上のエンタメ性獲得、映画『スパイの妻』
夫婦の愛情とは何か。幸福な生活においてそれは安定しているが、ひとたびどちらかに不信が生まれたら、たちまちバランスを崩す脆いものでもある。このミステリアスな関係が昭和初期の戦争直前という不安定な時代の中で試され続けるサスペンスフルな映画『スパイの妻』が公開中だ。国家機密と正義の間で揺れる妻を蒼井優が迫真の演技で、そして信念で突き進む夫を高橋一生が壮絶な表現力で描き出すこの作品は歴史の闇の重圧感とそれを突破しようとするブレイクスルーの痛快感がないまぜになって得も言えぬ極上のエンターテインメント性を獲得しており、黒沢清監督の新たな地平を切り拓いた作品と言えるだろう。
聡子(蒼井優)は神戸で貿易会社を営む夫の福原優作(高橋一生)と幸せに暮らしていた。しかし、優作と甥の文雄(坂東龍汰)は資材調達のために向かった満州で、人道にもとる許しがたい国家機密を見たことで、帰国後は人が変わったようになる。 黙り込む2人と女の影。聡子の胸は激しくかき乱される。その時、妻と夫がそれぞれとった行動とは?
第77回ベネチア国際映画祭で黒沢監督が銀獅子賞(監督賞)を受賞した本作。 昭和初期の不穏な空気を切り取ったカメラワーク、古めかしいながらも自然に聞こえるせりふ回しを徹底した演出、感情の質感までを描き出すような音響や音楽、そして神戸という街のスタイリッシュな魅力を最大限活かす物語構成など、監督としての仕事ぶりが際立ち、受賞は至極納得がいく。 単純な夫婦愛の物語ではない。憎しみにも変質しかねない愛と千々に乱れる感情が幾重にも巻き付き、愛するがゆえに仕掛けるトリックも。 静かな火花を散らす前半と比べて、複雑な感情をシンプルに束ねてたどり着くべき約束の場所を見つける後半は比較的アクティブに進むが、それとて一様ではない。
蒼井は聡子の天真爛漫なお嬢さま的気質の中に、幾多の重圧によって徐々に強固な芯が注入されていく様を全編を使って体現する。取り乱しても、狂っても、その核は変わらない。覚悟を胸に灯した人間の強さを表現して余りある演技だ。 愛国心はあるが、貿易の仕事を通じて国が間違った方向に歩き始めていることを感じ取っている優作の自然な正義感が満州で決定的な決意に昇華する過程を、高橋は仕草や視線で丁寧に表現して説得力がある。 幼なじみの聡子への思慕を冷酷無比さで覆い隠す津森憲兵分隊長役の東出昌大の抑制のきいた表現力や、坂東の迫真の演技も作品を引き締めた。
神戸で長らく生活した経験を持つ私には、「山」が安定した過去や現在で、「街」は混乱渦巻くカオスな明日、「海」が希望を感じさせる、来るべき未来という象徴的な使い方が見て取れた。神戸出身の黒沢監督の心象風景にも合致するのだろう。
1940 年。満州で偶然、恐ろしい国家機密を知ってしまった優作は、正義のため、事の顛末を世に知らしめようとする。聡⼦は反逆者と疑われる夫を信じ、スパイの妻と罵られようとも、その⾝が破滅することも厭わず、ただ愛する夫とともに⽣きることを⼼に誓う。太平洋戦争開戦間近の⽇本で、夫婦の運命は時代の荒波に飲まれていく……。
蒼井優
高橋一生
坂東龍汰 恒松祐里 みのすけ 玄理
東出昌大
笹野高史
監督:黒沢清
脚本:濱口竜介 野原位 黒沢清
音楽:長岡亮介
エグゼクティブプロデューサー:篠原圭 土橋圭介 澤田隆司 岡本英之 高田聡 久保田修
プロデューサー:山本晃久 アソシエイトプロデューサー:京田光広 山口永 ラインプロデューサー:山本礼二
技術:加藤貴成 撮影:佐々木達之介 照明:木村中哉 録音:吉野桂太
美術:安宅紀史 編集:李英美 スタイリスト:纐纈春樹 ヘアメイク:百瀬広美
VFX プロデューサー:浅野秀二 助監督:藤江儀全 制作担当:道上巧矢
制作著作:NHK, NHK エンタープライズ, Incline, C&I エンタテインメント
制作プロダクション:C&I エンタテインメント
配給:ビターズ・エンド
配給協力:『スパイの妻』プロモーションパートナーズ
2020/日本/115 分/1:1.85
お問い合わせ:ビターズ・エンド 〒150-0002 東京都渋⾕区渋⾕ 3-26-10 ネクスト渋⾕ 2F 03-5774-0210
10.16(⾦) 新宿ピカデリー他全国ロードショー!