映像2019.12.04

自分の想像力を超える現実があるから面白いし、映画を撮りたいと思います

Vol.009
映画『カツベン!』監督
Masayuki Suo
周防 正行
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©2019「カツベン!」製作委員会

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『シコふんじゃった。』『Shall weダンス?』などユニークな発想と信念で描かれる映画を発表し、あらゆる世代から注目を集める周防正行(すお まさゆき)監督。5年ぶりの新作となる映画『カツベン!』は、銀幕のスターよりも注目を浴びていた“活動弁士”(通称:カツベン)にスポットを当てる。映画が活動写真と呼ばれた時代により楽しめるように自らの語りや説明で映画を彩った活動弁士の姿を通して、当時の映画状況、周防監督の映画への思いなどを垣間見られる作品に。今回は、映画の魅力と映画の題材の選び方やなぜ監督になったのかなど語っていただきました。

当時は活動弁士の説明が入ることが前提で映画が撮られていたことに気づいた

“活動弁士”を題材にしたきっかけを教えてください。

今回は、初めて自分の企画でもなく脚本も書いていないんです。『それでもボクはやってない』から助監督をしてくださっている、片島章三さんから『カツベン!』の元になったオリジナルシナリオをいただき、読ませていただいたのが最初。非常に面白かったのでそう伝えると、それを小耳に挟んだプロデューサーが撮ってみませんか?という話になり、片島さんもOKしてくださって撮ることになりました。

とくにどのあたりが面白いと感じましたか?

活動弁士”という存在自体ですかね。もちろん知っていたのですが、実は僕の中ではずっと無視していた存在なんですよ。それこそ映画監督になりたいと思ったときに、音がなく画だけで表現するサイレント映画は表現の基本だと思って勉強のために活動写真をたくさん見ました。もちろん活動弁士の声や音楽抜きで。だってサイレント映画ですから。サイレントで見るのが正しい見方だと思っていたんです。そしてそのまま数十年経って、片島さんのシナリオを読んだら、当時の日本で、サイレント映画を無音の状態で見ている人って誰もいなかったんだという当たり前の事実に気づきました。外国ではサイレント映画には生演奏で音楽をつけて公開していましたが、日本での活動写真は、生演奏と活動弁士が生で語りをつけるのが当たり前で……。もう「えっーーーー」ですよね(笑)。あのとき僕が見ていたのは何だったんだろうって思いましたよ。

印象はガラリと変わりましたか?

そうですね。日本の映画監督は、生演奏+活動弁士の語りが入ることが前提で映画を撮っていたと気づいたわけです。そのうえ当時の活動弁士は自分で映画を観て説明の台本を書いていたので、何を話すのかは監督側ではコントロールできない。もちろん音楽だって劇場によって違うモノになってしまう……。今の監督だったら許せない事ですが、当時はそういう上映スタイルが当たり前だったんです。となると、当時の監督はどういう気持ちで映画を作っていたのだろう?ということが気になりました。そして活動弁士の存在は絶対無視しちゃいけない存在だったということに思い至ったんです。

活動弁士がいて当たり前の活動写真をつくっていた日本。当時の外国映画とは手法的には異なっていたのでしょうか?

チャップリンらの喜劇はパントマイムなので字幕は少なめですけど、概ね字幕の量が日本の方が少なくてすむ。外国映画は状況を説明するためにある程度の長さが必要でしたが、日本は基本、弁士が話して説明してくれる。日本映画は、サイレント映画だけどどこかトーキー映画みたいな感じだったんだと思います。本作のエンディングで「かつて映画はサイレントの時代があった。しかし日本には真のサイレント時代はなかった。なぜなら活弁士と呼ばれる人々がいたから」という稲垣浩監督の言葉を引用していますが、稲垣監督はトーキー映画を撮るときに自分の書くセリフが活動弁士の影響下にあることに気づいたらしいんですよ。活動弁士という存在は映画監督に相当影響を与えていると思うようになりました。ちなみに黒澤明さんのお兄さんは活動弁士でその影響を黒澤さんも受けている。小津安二郎監督が活弁をどう思っていたか分からないのですが、もしかしたら活動弁士に語らせてたまるもんか!と思って撮っていたかもしれません。実際、現在の活動弁士の第一人者である澤登翠さんに聞くと、小津さんの映画は説明しようとすると、説明するなと言われているような気になるとおっしゃっていて。なるほどな~と思います。トーキーになる前から、音声としてのセリフに敏感にならざるを得なかったのは日本ならではだと思います。

活動弁士にある程度内容をゆだねる監督も多かったのかもしれないですね。

ゆだねっぱなしの監督もいたと思いますよ。大正中期には活動弁士の廃止や女性役は女性が演じるべきだという純映画劇運動が起きたのですが、女優は誕生しましたが活動弁士はなくならなかった。それほど大衆の支持があったんだと思います。

映画の定義が変わってきている今だからこその題材になりました

©2019「カツベン!」製作委員会

今回はそんな活動弁士の青春映画になっていますね。

それを描く映画そのものがまるで活動写真のようになっているのが面白いところです。活動写真の特徴はアクションと笑いにあるんです。たんすで隔てられた部屋でお互いにたんすの引き出しを押したり引いたりするアクションや、悪者から逃げ回ったりするシーンは、まさに活動写真を象徴するような表現を目指しました。そして、この物語は日本の映画の始まりや活動写真そのものについての映画でもあります。

監督の映画愛がたっぷり詰まっているように感じましたが……。

自分でそんな恥ずかしいことは言えませんが、今回は、これまで活動弁士の存在を無視してきたという負い目があって(笑)、彼らへの敬意と愛はたっぷり詰め込んでいます。日本の無声映画時代、そのおよそ30年間は活動弁士が支えていましたから。

そんな映画ですが、近年は配信がブームになり映画の定義そのものが変わりつつあるような気がします。

“映画の父”といわれるリュミエール兄弟が、フィルムで撮影したものをスクリーンに投影して不特定多数の観客と一緒に見られるようにしました。これが現在の映画の定義になっています。ただ、今はフィルムで撮ることも減り、配信という形でスマホなどの小さな画面に映る作品を一人で楽しむ人も増えてきています。果たしてそれを映画と呼ぶことができるのか……。カンヌは配信されるだけの作品を映画と認めなかったりしていますが、でもこれから先はどうなっていくのでしょうか。僕たちが思いもよらない上映スタイルが出てくるのかもしれない。そういう今だからこそ、映画ってそもそもどんなものだったんだろうということを描きたいというのはありました。

この映画を観て、映画を楽しむ心は昔から変わらないなと気づかされました。

サイレント映画をやっていた映画館ほどうるさい場所はなく、弁士の声と楽士の生演奏と観客の歓声と野次が渦巻いていたのが、実は無声映画の映画館だったのだと知って感動しました。これは映画では取り上げていないのですが、映画の撮影中に感動した野次馬からおひねりが飛ぶなんてことも実際あったらしいです。映ったらどうするのだろうと思いますが、それくらいみんなお芝居に夢中でその気持ちを素直に表現していた……。エンタメを楽しむ心は変わらないし昔からあるんですよ。

自分が驚いたことを多くの人に伝えたいという思いでつくっています

監督といえばこれまでも、大学相撲、社交ダンス、刑事裁判……などユニークな題材を扱ってきていますが、どのようにして題材を選んでいますか?

自分の信条で、映画をつくるためのネタは探さない、というのがあります。映画監督だからもちろん探してしまうことはあるのですが、それは僕の常識でこれは映画になりそうだなと勝手に判断しているものなのでよくないんですよ。そういう映画づくりではなく、普通に生活をしていて驚いたり、何それ?と思ったことを大事にしようとしています。それは映画になるかならないか以前の問題で、人として興味を持つものにアンテナを張るというか。よく言うのは“驚きがスタート”。『それでもボクはやっていない』のときは、「痴漢事件で逆転無罪」の記事を新聞で読んで、こんなことが起きるの?という素朴な驚きがスタートでした。そこで、一体、日本の裁判の仕組みはどうなっているの?と疑問を持ち、調べ始めて、その理不尽さに怒りを感じました。僕の撮りたいものに現実を引き寄せるのではなく、僕から驚いた世界に入っていく。僕がその世界に入っていくから、自分の常識とは違うところで映画がつくれるんですよ。

昔からそのスタイルだったのですか?

最初から意識したわけではないんですが、あるときそんな映画づくりをしているなと気づいたんです。『Shall we ダンス?』を撮ったときにある人から、「周防さんは身体表現がお好きなんですね」と言われて。『ファンシイダンス』を撮ったとき何に一番興味を持ったかと言うと、お坊さんの所作だったんですよ。朝のお勤めから食事の所作、歩き方などお坊さんの独特の所作が面白くてその非日常性に驚きました。そして『シコふんじゃった。』は相撲を題材にしているのでまさしく身体表現ですが、学生相撲の知られざる現実に驚いた。そして、『それでもボク―』は身体表現を奪われる話で、だから驚き、怒りを覚えたのかもしれません。つまり共通項は「身体表現」だけではなかった。どれも出発点は“驚き”だったんです。僕の常識では考えられないことが行われている世界に驚き、その世界をまずは僕が最初に覗いて、それをみなさんに伝えている。よく「こんな面白い世界があるなんて知りませんでした」と言ってくださる方がいらっしゃいますが、まず最初に驚いているのは僕なんです。僕が気づいた発見をみなさんに伝える、それが僕のスタイルだと思います。

そのためにはリアリティを持たせることが大事になってきますね。

もちろん。僕は映画をつくると決めたら徹底的にその出来事を調べます。今回もありとあらゆるものを調べました。大正時代から昭和初期に活躍した徳川夢声さんという日本で一番有名な活動弁士さんがいらっしゃるのですが、彼は弁士を辞めたあとも漫談家、作家、俳優としてラジオやテレビでも人気を博した元祖マルチタレントなのです。彼が残した数々の文献も、大変参考になりました。また少ないとはいえ現存するサイレント映画も現在の活動弁士さんたちの説明でたくさん観たし、大正時代の録音ではないですが、後々、こんなふうに喋っていたという弁士さんたちの再現した音源を聞いたり、現在活動されている活動弁士さんにもお会いして、彼らは活動写真をとても勉強しているので、たくさんのお話を聞かせていただきました。そういう様々な取材をして、緻密につくり上げるようにしています。

自分の想像力なんてちっぽけで現実は思いもよらないことが起こっている

そもそも監督はなぜ映画監督になろうと思われたのですか?

立教大学で映画表現論という授業を取ったことがきっかけでした。フランス文学者であり映画評論家の蓮實重彥さんの授業を受けることで、自分にも映画が撮れるんじゃないかという錯覚に陥ったんです。蓮實先生は、意図的に自分の教室から映画監督を輩出したいと思っていたらしく、最初の授業で「私はこの授業を10年ほどやっています。でも残念ながらこの教室からまだ映画監督は生まれていません」とおっしゃっていたことを覚えています。とはいえこの授業は映画の撮り方を学ぶのではなく観方を学ぶ授業で……。ただ、最終的には黒沢清さんや万田邦敏さん、青山真治さん、塩田明彦さんら10名以上の映画監督を輩出したんですよ。ちなみにチラリと聞いたのですが、是枝裕和さんは早稲田大学からわざわざ聞きに来ていたらしくて(笑)。それくらい蓮實先生の授業は映画好きの学生の中で有名でした。

その授業でなぜ監督になりたいと思われたのですか?

教えてくださったことは、“映画とは映っているものを見るものだ”ということです。授業で、課題の映画を観に行った私たちに蓮實さんは毎回、「何が写っていましたか?」と質問されていました。大抵多くの人は、こういうことが描かれていましたと、実際に映っていたものではなく、そこに映っている出来事の裏側やその置かれている状況の裏の意味を勝手に読んでしまいます。でも映画は読むものではなく観るものであって、作家がつくった画と画の繋がりを観て音を聞くことが大事という当たり前のことを教えてもらいました。もう価値観がガラリと変わりましたね。映画は映っているものを観るものなんだという映画観になって……。それまで映画監督になるには深い哲学が必要なんだと思っていましたが、自分の見たいものを撮るのでいいんだと気づきました。それが映画監督になったきっかけですね。意外と“興味のあるものを撮る”という今のスタンスと変わらないのかもしれないです。

最後に、そんな監督がクリエイターとして大事にしていることを教えてください。

“知らないでウソはつきたくない。ウソは知ってつくもの”。映画をつくるうえで事実とは違う方が面白くなることもあるのでウソをつくこともありますが、あくまでもウソをつくなら確信犯でいたいと思っています。そのためには下調べと地固めは必要で。『それでもボク―』のときは法律的な問題もあったので、絶対に映画だからしょうがないと思わず、徹底的に現実の裁判ではありえないこと、法律的におかしいところは指摘してもらいました。そうでないと描いている世界がウソに見えてしまいます。あと、信条的なことだと、いつも撮りながら感じることですが、“僕ひとりのイマジネーションなんて現実には全くかなわない”ということ。現実にはもっと色んなことがあって、自分の想像力で考えもしなかったことだらけです。だから取材を一生懸命します。そして人の話も聞くし、アイデアも出しあいます。自分が想像できることなんて本当に狭くて小さくて、現実の世界を知れば知るほど思いもしなかった出来事がたくさんあふれ出てきます。“自分の想像力を超える現実がある”。だから面白いんですよ。

取材日:2019年10月24日 ライター:玉置 晴子 ムービー:村上 光廣

『カツベン!』

©2019「カツベン!」製作委員会

12月13日(金)ロードショー

キャスト: 成田凌 黒島結菜 永瀬正敏 高良健吾 音尾琢真 徳井優 田口浩正 正名僕蔵 成河 森田甘路 酒井美紀 シャーロット・ケイト・フォックス 上白石萌音 城田優 草刈民代 山本耕史 池松壮亮 竹中直人 渡辺えり 井上真央 小日向文世 竹野内豊
監督:周防正行
配給:東映
© 2019「カツベン!」製作委員会

 

ストーリー

子どもの頃、活動写真小屋で観た活動弁士に憧れていた染谷俊太郎。“心を揺さぶる活弁で観客を魅了したい”という夢を抱いていたが、今では、ニセ弁士として泥棒一味の片棒を担いでいた。そんなインチキに嫌気がさした俊太郎は、一味から逃亡し、とある小さな町の映画館(靑木館)に流れつく。靑木館で働くことになった俊太郎は、“ついにホンモノの活動弁士になることができる!”と期待で胸が膨らむ。しかし、そこには想像を絶する個性的な曲者たちとトラブルが待ち受けていた!俊太郎の夢、恋の運命やいかに…!?

プロフィール
映画『カツベン!』監督
周防 正行
1956年生まれ、東京都出身。1989年『ファンシイダンス』で一般映画監督デビュー。1992年に本木雅弘と再びタッグを組んだ『シコふんじゃった。』を発表し、日本映画アカデミー賞作品賞をはじめ数々の賞を受賞。1996年『Shall we ダンス?』を発表。国内外の賞を受賞するなど話題を呼び、世の中に社交ダンスブームを巻き起こした。全世界で公開され、2005年にはハリウッドでリメイク版も制作された。『それでもボクはやってない』(’07年)『終の信託』(’12年)など社会派な話題の作品も手掛けて話題に。2014年には『舞妓はレディ』を発表。2016年には紫綬褒章を受章。

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