映像2023.02.01

黒羽麻璃央&穂志もえかが演じる普通の若者の“病み”「うまく演じるのではなく、いかに感情を出してもらうか」

Vol.48
『生きててごめんなさい』監督
Kento Yamaguchi
山口 健人
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『新聞記者』(19年)や『余命10年』(22年)の藤井 道人が企画・プロデュースし、現代の日本の若者が抱える“病み”や生きづらさを描いた、山口 健人(やまぐち けんと)監督作『生きててごめんなさい』。
心がすれ違い、嫉妬心を交えたケンカが絶えなくなっていくカップルから見える、若者の持つ心のあやふやさなどをリアルに追求して丁寧に紡ぐ。
監督に、作品内のリアリティの大切さ、主人公を演じた黒羽麻璃央や穂志もえかについて、監督として大事にしていることなどを語ってもらいました。

“メンヘラ”と呼ばれる部分は誰しもが持っていると思う

若者の生きづらさをテーマに選んだ理由は?

ざっくり“メンヘラ”(心に問題を抱えている人、周りを振り回しがちな人)をテーマに撮ってほしいと言われたのがきっかけです。“メンヘラ”は、ある種、現代の社会問題ですが、実際、そのように呼ばれる若者はどのような人物なのか、どのような葛藤があるのかを描ければと考えました。“メンヘラ”と括ってしまうと乱暴ですが、世の中、誰しもが生きている上での悩みは抱えていると思うので、その生きづらさや社会との摩擦を描きたいと思いました。

監督は現在32歳ですが、社会との摩擦を感じますか?

それはすごく感じます。そこに関しては、黒羽麻璃央くんが演じた修一に投影していますし、穂志もえかさんが演じた莉奈の葛藤は少なからずあると思います。莉奈のような感情の起伏はないとしても、誰しもが根本には彼女のような思いや悩みを持っている気がするんですよ。そういう意味で、共感性をすごく大事にしました。

そのような誰もが持っている感情を日常の中で描いているのがこの作品の魅力ですね。

この作品はすごく地味で、決して世界を救うヒーローが主人公でもないし、悲劇的でドラマチックな恋愛作品でもないのです。街を歩く平凡な日常を過ごしている人々の中にあるドラマを描きたいと思いました。今は声の大きい人が取り上げられる時代です。そういう強い人の言葉ばかりではなく、声になっていない、注目をされていないけど存在している人々の声も描きたいという思いもありました。

『生きててごめんなさい』というタイトルが衝撃的です。どのような経緯で付けたのですか?

最初は、それこそ普通であまり刺激的ではないタイトルも考えていました。アイデアを出していく中で、プロデューサーでもある藤井道人から、「作品に登場する莉奈のTwitterのアカウントである“イキゴメ”は何の略称なの?」と聞かれ、「“生きててごめんなさい”ですよ」と答えたら、「それだ!」と。主人公の2人を表現するインパクトのあるタイトルが付けられたと思っています。

細部へのこだわりがキャラクターの厚みを増やす重要な存在

修一を演じた黒羽さん、莉奈を演じた穂志さんは街中にいる若者そのものでした。

キャスティングはすぐに決まりました。黒羽さんはイケメン的な印象が強い中で、修一が内面に持っている優しさ・脆さを持っている、どこか人間らしい部分がある素敵な方で。修一にぴったりだと思いました。穂志さんは、莉奈のように爆発はしないけれど共通する部分もあり……。莉奈に共感してくれたというのもすごく大きかったです。

役についてはよく話されたのですか?

色々話しました。それこそ劇中にはない、生い立ちやどのように育ってきたかといった細かい部分まで話して理解していただきました。そうすることで、映画で切り取られる2時間の中だけで生きるのではなく、幼いころから生きていてちゃんと存在する人間であることを表現してもらえたと思います。

キャラクターに厚みを持たせるためのバックボーンはどの作品でも考えますか?

毎回、作っています。それはお芝居だけでなく、その人の住んでいる部屋を表すのにもすごく大事なんですよ。今回、2人が同棲している部屋は物で溢れかえっています。着ている服をどこに置いているのか、片づけないのか、どういう物を使っているのか、いつものファッションは……などといった細部のこだわりが、キャラクターの厚みを増やしていくので。行動や物にも歴史を感じさせる形にできればと。リアルさを出すためには、バックボーンは必要だと思います。

莉奈は服を脱ぎ散らかしていましたね(笑)。

片づけられないところが、彼女の混乱に映ればいいなと思いました。修一で言えば、服の役割が大きいと思います。彼は形だけのカッコよさ、それっぽさを求めていて、中身がないんですよ。中身と見た目がすごくブレている人物で。できる人に見える服を着ることで、より“っぽさ”を求めている人に映るかなと思いました。

監督から見て、ファーストカットからお2人は修一と莉奈でしたか?

穂志さんはすでに莉奈でしたね。黒羽くんは徐々に崩れていって、より修一に近づいていったというか。序盤から順撮りに近い形で撮っていけたので、その変化は逆に良かったと思います。ちなみに黒羽くんは撮っていく中でプレッシャーを感じ、自分はポンコツだと思うようになっていったようで。それは修一があまりにもダメダメなので、黒羽くんが普段言わない、言いたくないセリフを言うことで追い詰められて、へこんでいったのが大きいようでした。劇中と状況が重なっていくことで……。(演技するうえでは)すごくよかったと思います。

すでに莉奈だった穂志さんに関して監督はどのようなアプローチをされたのですか?

僕はただ穂志さんを自由にすることだけを考えました。映画を観るとそれは成功したなと感じています。例えば右手で持っているものが左手になったりすることなど繋がりを気にして演じるのではなく、いかに感情を出してもらうかを意識してディレクションしました。

俳優が自分の感情で動いて僕の想定を超えていくことが楽しい

実際に演技を見てどう感じられましたか?

やはり2人が演じることで、僕が台本上で想定していなかった感情が出てきたりすることがとても刺激的でした。台本に沿ってイメージしたことを撮るのではなく、現場で起こる化学反応のような、その場で生まれる感情を大切にしたからこそ生まれた演技だと思います。

監督は現場ではどのようなことをおっしゃっていたのですか?

とにかく自由に演じてほしいと伝えていました。だからこそ感情をぶつけ合うシーンでは、台本にはないセリフが突然生まれたのだと思います。また、日常のシーンでは、長く同棲しているカップルの距離感が伝わる空気感も出していただいて。セリフだけではなく、雰囲気から役になっていたからこそできたお芝居だと思います。

自由に演技をしてもらったからこそ生まれたシーンはありますか?

2人がケンカをして、最終的に莉奈がベッドに逃げるシーンです。実は、リハーサルではベッドに座って背を向けて演技をしていたのですが、本番が始まると、穂志さんはベッドの奥になだれ落ちてあまりはっきりと映らないところで演技をしているんですよ。この演出は監督のディレクションでは生まれないと思いました。俳優が自分の感情で動くというのはとても大事なこと。僕の想定を超えていて、そのうえで穂志さんは莉奈そのものになって、そして莉奈の感情が伝わる。最高のシーンだと思います。

自分の想像を超えていく瞬間はやはり楽しいですか?

映画というものは監督だけではなく、俳優がいて、カメラがいて、照明がいて……と僕だけではない脳みそを持っている人が集まってつくるものなので。想像していたことが100%だとしたら、120%や200%になっていくんですよ。これこそが、監督をしていて一番楽しいことだと思います。

やりたいこととは違っても、それは最終的なゴールの過程の一つ

監督は幼少時代から映画が好きだったとお聞きしましたが。

子どものころは劇場版『ドラえもん』が大好きでした。中でも『のび太と夢幻三剣士』(94年)は繰り返し観ていました。好きな夢が見られる道具を使ってファンタジーの世界で戦うのですが、次第に夢と現実が混ざってくるという少し不思議な映画で。『ドラえもん』の映画なのに少し怖さがあり、それが僕にとってすごく面白かったです。レンタルショップに行くといつも借りていたので、母親に何度も「観たでしょ」と言われていたのがいい思い出です(笑)。もちろん小学生だったので純粋に楽しんでいたのですが、同じものを繰り返し観ていると映画の様々な魅力や細部のこだわりにも気づいたりするので、それが映画そのものにのめりこむきっかけだったのかもしれないです。

アニメから次第にハリウッド映画やミニシアター系などを観るようになっていたのですか?

中学生くらいになると、『マトリックス』シリーズ(99~03年)や『タイタニック』(97年)を観るようになり、そうなるとその監督の別の作品を観たくなってどんどん世界が広がっていきました。当時は、埼玉に住んでいたので、ミニシアター系など東京でしか観られない作品も多く、一人で東京に来て観ることも多かったです。中でも高校生の時に観た、岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』(01年)は衝撃的でした。重い内容で観た後は3日間くらい落ち込みましたが、すごく素敵で。映画の力を感じました。観たことのない青春映画で大変影響を受けた作品です。

その後、大学に入り映画サークルに所属されて、自主映画をつくるようになったんですね。

映画を観ていたらやっぱり自分で撮りたいと思って、自然と「監督」を選んでいました。そしてみんなが就職活動をする時期が来ても、僕はずっと監督になりたいと思っていたので、それ以外は考えず。まぁ他にやりたいことがなかったというのが大きいですが。ちなみに当時撮った映画も、テーマ的には今とそんなに変わっていないんですよ。一貫して人間を描きたいと思っていて。それはきっと今後も変わらないと思います。今でも、街中を歩いていると周りの人が、ファミレスに行くと隣の人が気になります。例えば、めちゃくちゃケンカしているカップルがいたら、なんでずっと一緒にいるんだろう?とそのバックボーンを想像したりして楽しいんですよ。人がいるだけで面白いドラマが潜んでいる気がします。

就職せずに監督になりたいという思いだけで歩んできたとのことですが、不安はなかったですか?

不安しかなかったです。ただ気づいたのですが、意外と人間は就職をしなくても生きていけるんですよ。極端な話ですがみんないずれ死ぬので、だったら一度くらいはやりたいことを求めたほうが素朴に楽しいと思います。ちなみにやるからには、一生懸命頑張ることが必要です。自分が本当にやりたいこととは違っても、最終的なゴールの過程の一つという思いでやることが大事。やっていることはいずれ自然とやりたいことに繋がっていったりすると思います。

監督はCMやミュージックビデオも撮られていますが、映画とはまた違ったものを感じますか?

全く違いますね。CMは商品の魅力をどれだけお客様に伝えるか、ミュージックビデオはアーティストの楽曲をいかに魅力的に見せるかを考えます。どちらも、先に必要なシーンがあって、それをどう表現するかが大事です。対して映画は、自分自身にある何かを表現するところに帰結すると思います。
ただカメラを置いて撮るという意味では変わらないので、CMやミュージックビデオを撮影した経験が活きているところは大いにあります。とくにミュージックビデオは4・5分間飽きさせないことが大事なので、比較的、映像的にも凝った面白いものにしようという気持ちが働きます。また音楽に合わせてどのようなカメラワークだと気持ちがいいのかを知るなど、ミュージックビデオを撮影していなければ分からなかったこともたくさんあるので、本当に経験にムダなことは一つもないと思います。

どれだけ悩んで最高の妥協点を求められるかが一番大事

今後、撮ってみたいテーマなどありますか?

いろいろ挑戦してみたいですが、ホラー作品が好きなのでホラーを撮ってみたいです。『ミッドサマー』(19年)や『ヘレディタリー/継承』(18年)のアリー・アスター監督が好きなので、彼のような作品が撮ってみたいです。彼の作品は、ホラーを描いているようで人間のイヤなところや弱いところを描いているんですよ。僕も人間を描きたいと思っているので、ホラーというジャンルで人間を描いてみたいと思います。

人間にスポットを当てながらもヒーローではなく身近な人を描きたいんですね。

僕がとても好きな言葉に、井上雄彦先生の漫画「バガボンド」で又八という情けないキャラクターに対して、母親であるおばばが言った「この世に強い人なんておらん 強くあろうとする人 おるのはそれだけじゃ」というセリフがあるのですが、まさにこれで。どれだけ強そうに見えても、結局強くあろうと思って弱さを何とか克服するために頑張ろうとしているのであって、本質的に人間は誰しもが弱いんだと思います。だからこそ弱く見える人を描いて、どれだけ強い人も同じであることを伝えていきたいです。

監督がクリエイターとして大事にしていることを教えてください。

監督という仕事は1人ではできないので、俳優、カメラマン、照明といった作品に携わる人が120%の力を出せる環境をつくれるかだと思います。全員が120%の力を出してくれれば、僕が思っているものをはるかに超える素晴らしい作品になると思うので。そのために、「自由にやってください」という空気を出しています。みんなが思ったことを自由に言える場というか……。コミュニケーションは取るようにしています。コミュニケーションの場はとても大事です。そして、もらったアイデアを取捨選択することも大事な仕事だと思っています。

クリエイターとして大事だと思うことを教えてください。

やはり日々の努力だと思います。僕は自分に才能がないと思っているし、才能自体存在しないと思っているので、どれだけ毎日を頑張って、どれだけ自分を追い込んでいるのかが全てだと思っています。映画監督は数学のように確実な答えがあるわけではないので、いかに細かい部分に悩めるかが大事で。例えば、撮影現場で机の上に置かれている飲み物に対しても、全部入っているのか、それとも3割だけなのかでかなり変わってくるんですよ。作品内で言及されなくても、飲み物だけでそこに何時間いたのかを伝えられるというか。そういった細部にもこだわって考えて悩めるか。もちろん妥協しなければいけない場面はいくらでもあるので、最高の妥協点をどこまで求められるか、それが一番大事だと思います。

取材日:2022年12月20日 ライター:玉置 晴子 ムービー: 指田 泰地

『生きててごめんなさい』

「イキゴメ」製作委員会

2月3日(金)よりシネ・リーブル池袋、ヒューマントラストシネマ渋谷、アップリンク渋谷ほか 全国順次公開

キャスト
黒羽麻璃央 穂志もえか
松井玲奈 安井順平 冨手麻妙 安藤聖 春海四方 山崎潤 
長村航希 八木アリサ 飯島寛騎

監督:山口健人   
企画・プロデュース:藤井道人
エグゼクティブプロデューサー:鈴木祐介 
プロデューサー:河野博明 雨無麻友子
脚本:山口健人 山科亜於良 撮影:石塚将巳 照明:水瀬貴寛  
録音:岡本立洋 美術監督:相馬直樹
美術:中島明日香 小道具:福田弥生 助監督:渡邉裕也
キャスティングプロデューサー:高柳亮博
制作プロダクション:スタジオねこ
配給:渋谷プロダクション
製作:「イキゴメ」製作委員会
JAPAN/DCP/アメリカンビスタ/5.1ch/107min

 

ストーリー

出版社の編集部で働く園田修一(黒羽麻璃央)は清川莉奈(穂志もえか)と出逢い、同棲生活をしている。 修一は小説家になるという夢を抱いていたが、日々の仕事に追われ、諦めかけていた。莉奈は何をやっても上手くいかず、いくつもアルバイトをクビになり、家で独り過ごすことが多かった。 ある日、修一は高校の先輩で大手出版社の編集者・相澤今日子(松井玲奈)と再会し、相澤の務める出版社の新人賞にエントリーすることになる。 一方、自身の出版社でも売れっ子コメンテーター西川洋一(安井順平)を担当することになるが、西川の編集担当に原稿をすべて書かせるやり方に戸惑う。修一は全く小説の執筆に時間がさけなくなり焦り始める。 そんな中、莉奈はふとしたきっかけで西川の目に止まり、修一と共に出版社で働く事となる。西川も出版社の皆も莉奈をちやほやする光景に修一は嫉妬心が沸々と湧き、莉奈に対して態度が冷たくなっていく。いつしか、喧嘩が絶えなくなり―。

プロフィール
『生きててごめんなさい』監督
山口 健人
1990年生まれ、埼玉県出身。大学在学中より映像制作に携わる。CMやミュージックビデオを制作し、監督として参加したワイモバイル「パラレルスクールDAYS」のCMが海外の広告賞を受賞。テレビドラマ「アバランチ」(カンテレ系)の第3、5、8、10話、「箱庭のレミング」(AbemaTV)第1話など担当するなど、様々な領域で監督として活動。2015年にオムニバス映画『TOKYO CITY GIRL』で商業監督デビュー。『それでも、僕は夢をみる』(18年)『突然失礼致します!』(20年)などに携わる。

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