戦後の沖縄を印刷で支え、広告・デジタル・イベントへ。持続的成長をする100年企業へ
1950年、戦後間もない那覇で創業した光文堂印刷所。オリオンビールのラベル印刷や電電公社の電話帳印刷など、さまざまな印刷物を手がけ、戦後沖縄の産業を支えてきました。76年の歴史を重ねた現在では印刷にとどまらず、広告・デジタル・イベントなどへ事業領域を広げています。目指すのは「持続的成長をする100年企業」。常務取締役の印南 明(いなみ あきら)さんと、企画制作部長の山里 真弓(やまざと まゆみ)さんに、76年の歩みとこれからの展望を伺いました。
戦後沖縄の産業とともに歩んだ76年
1950年の創業の経緯を教えてください。
印南さん:終戦当時、「社会が落ち着けば、印刷業は必ず必要になる」と創業者である外間政憲は直感。友人の父親から資金を貸していただき、印刷業経営が始まりました。高校を卒業したばかりの19歳の若者による起業は、無謀とも思えますが、創業者は、あの時代に何をするべきか考えた時、「会社があれば働ける」と会社設立を決意し、実行に移したそうです。
当時はどのような事業が基盤だったのでしょうか?
印南さん:創業当時は、味噌や醤油、泡盛のラベル、株券などの印刷が中心でした。大きな転機となったのが、後のオリオンビール株式会社の創業者との出会いです。沖縄の産業界の重鎮の1人と懇意にさせていただき、ラベル印刷を請け負ったことが軌道に乗るきっかけになりました。
さらに、専売公社(現・JT/日本たばこ産業株式会社)のタバコ包か用紙や、電電公社(現・NTT株式会社)の電話帳印刷も手がけるようになり、最盛期にはオリオンビールを加えた3法人で売上の4割ほどを占め、経営の基盤となりました。

現在では沖縄からタバコの会社自体がなくなり、電話帳印刷もなくなりましたが、1975年開催の沖縄国際海洋博覧会や2000年の沖縄サミットなど、その時々の特需にもしっかり絡んでいくことで印刷会社として成長してきました。
沖縄初の本格的な工業団地である「沖縄印刷工業団地」の設立には、創業者が先頭に立ち尽力し、発展をけん引してきました。

「印刷会社」から「コミュニケーションズ」への転換
2010年、60周年を機に社名を「光文堂印刷」から「光文堂コミュニケーションズ」に変更されました。その背景を教えてください。
印南さん:電話帳の需要減少が象徴するように、印刷業界自体が縮小していくのではないかという危機感がありました。二代目の外間政春社長は、印刷だけでなく、広告やデジタルの分野へ進出していく必要があると考え、社名から「印刷」を外し、「コミュニケーションズ」という言葉を入れました。そこには、印刷を軸としながら、「伝える」ことにかかわることは何でもしようという思いが込められています。
広告代理業への進出は、社名変更よりもかなり早い時期だったそうですね。
山里さん:はい。1989年には、事業項目として広告代理店業が加わりました。当時から印刷の周辺にある広報やPRの仕事にも少しずつ取り組み、テレビやラジオなどの広告も手がけるようになりました。
「光文堂コミュニケーションズ」へ社名を変更して以降は、さらに加速していき、Webや動画、イベントなどへ事業領域が広がり、県や官公庁の事業にも力を入れるようになりました。
その頃には「もう印刷屋さんじゃないでしょう」と言われるくらい、事業の幅が広がっていきました。印刷会社からコミュニケーションを幅広く支援する会社へと、少しずつ認識も変わっていったのだと思います。

他社に先駆けて事業を広げてこられた背景には、どのような考え方があったのでしょうか?
印南さん:創業者や二代目のチャレンジ精神が受け継がれており、お声がけ、ご相談いただいた仕事は「どんな仕事でもやる・できる」という姿勢が根底にあったのだと思います。弊社でできるものはもちろん、できないものは他社と連携する。当社の強みが生かせそうな仕事であれば取りに行く、という姿勢で広げてきました。

編集力と品質へのこだわりが生む信頼
県内に数多くある印刷会社のなかで、御社の強みはどこにあるとお考えですか?
山里さん:クリエイティブの視点からいうと、編集部門が強みの一つです。記念誌の企画・制作に重点的に取り組んでおり、大きな企業のお手伝いをさせていただくことも多く、実績も豊富です。
また、Webディレクションや、撮影から編集まで対応できる動画制作チームもあり、制作部門の体制がしっかりしていると思います。
2001年には県内印刷業界で初めてISO認証(国際標準化機構)を取得されていますね。
印南さん:はい。品質と環境の認証を取得し、今はさらに情報セキュリティに関するISMS(情報セキュリティマネジメントシステム)も取得しています。国際規格が官公庁関係の仕事では受注の条件になるケースもあります。
このような国際規格の取得に加え、製造業として技術を生かした品質の向上にもこだわっています。例えば、オリオンビールのラベルはかつて購入していた銀色の用紙の製造が中止になった際、自社の技術で銀色の用紙自体を作り直し、印刷を継続したこともあります。
放っておけば失注していたかもしれない状況を、技術で乗り越えたということですね。
印南さん:そうですね。ラベルがマシーンに適合するか、耐水性に問題がないかなど、さまざまなテストを重ね、なんとかカタチになりました。相当苦労したそうですが、プレッシャーのある中でも、先方の期待に応えたい一心で取り組んだそうです。こうした技術力も、ピンチをチャンスに変えるところも、当社の強みの一つだと思っています。現在はビールの種類も増え、外国版も増えているので、とてもありがたく感じています。

21年続いた「おきなわいちば」、休刊後も生きるブランド
御社で21年間制作、発行してきた季刊誌「おきなわいちば」が2025年に休刊されています。経緯を伺えますか?
山里さん:県内のコンビニの書籍コーナーがなくなり販売経路が一気に減少したことで、一旦休刊しようという決断に至りました。ただ、20年あまり評価をいただいてきた弊社のブランドともいうべき雑誌なので、休刊して1年以上が経った今も、イベントの仕事や企業とのコラボレーションという形で「おきなわいちば」の名前は生き続けています。
私たちはもともと印刷会社なので雑誌という紙媒体で復活したいという思いは持っています。「おきなわいちば」は県の農林水産関連の事業として創刊し、1年間の補助を受けたのち自走してきた媒体です。これまでに、泡盛を特集したムック本を制作したこともあり、沖縄ならではの分野でも、企業と協力しながら広めていける可能性を探っています。
雑誌としてのクオリティが非常に高い印象でした。
山里さん:企画内容や取材、撮影、デザインまで、すべてのクオリティにこだわって作っていました。そのこだわりの文化は、今も制作部の中に根付いていると思います。「おきなわいちばが好きだから仕事をお願いしたい」とご依頼をいただくなど、今でも弊社の看板ともいえる存在です。
しなやかな会社であり続けるために
人材育成について、どのような取り組みをされていますか?
山里さん:制作部では、経験年数ごとに求められるスキルを可視化する「キャリアパス」の整備を進めています。スペシャリストを目指す技術職やベテラン層も含め、それぞれが適切な評価と待遇のもとで活躍できる仕組みづくりに取り組んでいます。
また、会社全体では管理職を対象とした研修を実施し、マネジメント力の向上にも努めています。管理職一人ひとりのマネジメント力を高め、部下の能力をしっかり引き出すことで、組織全体の力を底上げし、より良い会社づくりにつなげていきたいと考えています。
“これまで”を変えていくことは大変ですが、皆の力を借りながら、前に進めています。

評価の透明性にもこだわっていらっしゃるそうですね。
印南さん:弊社には、印刷だけの時代から技術にこだわってきた歴史があり、社員をドイツや東京での研修に行かせるなど、当時の沖縄では珍しい投資も重ねてきました。そうして磨いてきた技術力の高い人材に対する評価も含めてしっかりやっていこうというのが今の取り組みです。評価をブラックボックスにせず、点数だけでなく中身をきちんと開示し、面談を重ねることを続けています。技術力の高い人が正当に評価される仕組みは、印刷という仕事の価値が今後も残っていくために欠かせないと考えています。
「持続的な成長をする100年企業」という目標を掲げていらっしゃいます。今後、どのような会社を目指しますか?
印南さん:受注産業がベースですので、いかに変化に強い、しなやかな会社になれるかが課題です。視野の広い人材を育て、「弊社でできないことは他社と一緒にやればいい」と判断できる柔軟さを大切にしていきたいと思っています。
山里さん:76年間、県内のお客さまに支えられてきた会社ですので、地域に貢献できる仕事を続け、地域に愛される会社であり続けたいですね。弊社だけが成長するのではなく、クライアントや地域と一緒に成長していきたいという思いがあります。首里城が焼失した際に現社長の外間なるみが中心となって発案した「首里城基金支援カレンダー」の収益を寄付する取り組みも、そうした思いの表れの一つです。
同様に、地元企業を紹介する「おしごと図鑑」をグループ会社の株式会社サン・エージェンシーと共同発行し、県内の小中学校へ無料配布する取り組みも続けています。子どもたちに沖縄にどんな仕事があるかを知ってもらう、そんな地域とのつながりを大切にしています。
最後に、どのような方と一緒に働きたいとお考えですか?
印南さん:まさに印刷業界は変革の時期にあり、状況がどんどん変わっていく中にあります。その変化やチャレンジを一緒に楽しめる方だといいなと思っています。制作だけでなく会社全体として「自ら考えて行動する」ことをモットーに掲げていますので、そのベースとなる好奇心や興味をたくさん持っている方に、ぜひ来ていただきたいです。

取材日:2026年8月17日 ライター:仲濱 淳
光文堂コミュニケーションズ株式会社
- 代表者名:外間 なるみ
- 設立年月:1950年9月
- 資本金:4,900万円
- 事業内容:印刷、広告代理、企画・デザイン制作、Web制作、イベント企画運営 ほか
- 所在地:〒901-1111 沖縄県島尻郡南風原町字兼城577
- URL:https://www.kobundo.net/
- お問い合わせ先:098-889-1131
- お問い合わせフォーム:https://www.kobundo.net/contact






