合唱曲「狩俣ぬくいちゃ」のルーツを探る

沖縄
フリーライター
youichi tsunoda
角田陽一

平成初期発行の
沖縄宮古民謡CD

手元に1枚のcdがある

南海の音楽/八重山・宮古

「南海の音楽/八重山・宮古」
1991年10月、キングレコードより発売

 

1991年といえば、ネット音楽配信など思いもつかない、まさにCD全盛時代。各音楽メーカーが競って大型CDラジカセを販売していたバブル全盛期でもある。

LPレコードからCDへの置換が進むなか、それまでレコードにストックされていた膨大な音楽資料が発掘されCDに写され発売された時期だ。

当「南海の音楽/八重山・宮古」もそんなリバイバルCD。キングレコードが平成初期に発売していたCDシリーズ「日本の民族音楽」の一巻である。北海道の鰊場作業歌から東大寺の声明、阿波踊りに沖縄のカチャシー、チンドン屋の鳴り物など、昭和から平成初期まで、農山漁村あるいは街頭で唄われ流されていた市井の音楽、そのLP録音を発掘し、CDとして製品化したもの。

明治の文明開化、昭和の敗戦による欧米化の奔流のなかでも命脈を保った、日本の民族音楽の息遣いがにじみ出る秀作である

民謡をモチーフにした合唱組曲
「狩俣ぬくいちゃ」

さて「南海の音楽/八重山・宮古」。

収録された曲は「安里屋ユンタ」「古見ぬ浦ぬぶなれーまユンタ」「コイナーユンタ」「昼の子守歌」と続き、終盤は「狩俣ぬくいちゃ」。「狩俣ぬくいちゃ」と言えば、作曲家・松下耕の手による合唱曲を思い出される方も多いだろう。

松下氏は「混声合唱のための八重山・宮古の三つの島唄」のひとつとして「狩俣ぬくいちゃ」を作曲した。ほかの2つは「安里屋ユンタ」と「昼と夜の子守歌」である。

松下氏が作曲するにあたり、このCDからインスピレーションを受けたのは疑いないだろう。

「狩俣ぬくいちゃ」。標準語で言えば「狩俣のクイチャー」となる。クイチャーとは沖縄民謡の一形式で、「声を合わせる」が語源ともされる。村人が広場に集まり手を打ち鼓を打ち、ニノヨイサッサイの囃子言葉を適宜掛け合いつつ詠う。そのため合唱曲の「狩俣ぬくいちゃ」は、漢字文化圏では「狩俣村的合唱團」の名で紹介されてもいる。

1973年に現地録音された
「狩俣ぬくいちゃ」

当CDの「狩俣ぬくいちゃ」は東京芸術大学民俗音楽ゼミナールが1973年に宮古島・狩俣地区で現地録音したもの
男女が歌を掛け合う。歌詞の内容は、狩俣を村を褒め上げた「村褒め」と呼ばれるものである。

 

狩俣や島(しいま)がまどう やりばまいよ ヤイヤヌ (狩俣は小さな村であっても)

ヨイマーヌイ やりばまいよ

ニノヨイサッサ コラサッサ ヒヤサッサ

 

(以下、囃し言葉略)

 

島(しいま)ぬ上手(わーてぃ) 村ぬ上手 狩俣村よ (島の上手 村の上手の狩俣村よ)

ヨイマーヌイ 狩俣村よ

 

十日(とうか)四日(ゆーか)ぬ 十五日(じゅーぐにちぃ)ぬ 御月(うちぃき)ぬ如(にゃ)んよ (14日の 15日の お月様のように)

ヨイマーヌイ 御月ぬ如んよ

 

上(あが)ず美(かぎ) 昇(にゅ)ず美(かぎぃ) 狩俣村よ (美しい上り 美しい昇りの狩俣村よ)

ヨイマーヌイ 狩俣村よ

 

我(ばん)達(た)がきゅーぬ 友達(あぐた)がきゅーぬ ゆりやまずーまよ 

ヨイマーヌイ ゆりやまずまよ

 

踊(ぶどぅ)らでぃてぃーどう 遊(あし)ばでぃてぃーどぅ ゆりやうたずよ

ヨイマーヌイ ゆりやうたずよ

 

合唱曲の「狩俣ぬくいちゃ」にも採用された歌詞はここまで
1973年現地録音のCDはさらに続く

 

鶏(とうり)鳴(なきい)さ 犬(いん)吠(ぶ)いや 境ばしよ (鶏が鳴き 犬が吠えたのを境にして)

ヨイマーヌイ境ばしよ

 

遊(あし)ばまい 踊(ぶどぅ)らまい んぎさまちよ (遊んで踊ってお帰り下さい)

ヨイマーヌイ んぎさまちよ

ここでCDの曲は変調し、終盤となる

歌詞の文字表記はCD「南海の音楽/八重山・宮古」付の小冊子を参考に
標準語訳は『南島歌謡大成Ⅲ 宮古篇』外間守善 新里幸昭 編 角川書店 1978年 のp346-347を参考とさせていただきました。
一部、標準語訳が揃わなかったことをご了承ください。

 

プロフィール
フリーライター
角田陽一
1974年、北海道生まれ。 2004年よりフリーライター。専門はアウトドアライターだが、近年では出身地・北海道の歴史や文化をモチーフに執筆。著書に『図解アイヌ』(新紀元社 2018年)、執筆協力に『1時間でわかるアイヌの文化と歴史』(2019年 宝島社)など。

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