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脚本が書けない苦悩の日々も、自らの感性信じて進む覚悟で精進して持つ

Vol.154
監督/脚本 藤村享平(Kyohei Fujimura)氏
Profile
映画監督/1983年石川県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)を2005年に卒業後、文化庁の若手映画作家育成プロジェクト「ndjc」の対象者に選定され、監督として『逆転のシンデレラ』を撮った。『バルーンリレー』などの映画や、「たべるダケ」「ああ、ラブホテル」「恋愛時代」「ラブリラン」などのドラマで存在感を高め、ミュージックビデオも手掛ける。
人気プロレスラー棚橋弘至さんの初主演映画『パパはわるものチャンピオン』(2018年9月21日ロードショー公開、配給 ショウゲート)の監督に抜擢され注目が集まる若手映画監督の藤村享平(ふじむら きょうへい)さん。大学受験勉強の最中に突然映画界に進路を変更。働きながら脚本を書き続ける苦悩の日々を体験しながらもまっすぐに育ててきたピュアな感性がいま輝きを増そうとしています。棚橋さんらとの撮影のエピソードも含め、映画への情熱を語ってもらいました。

絵本との運命的な出会い

映画『パパはわるものチャンピオン』の企画には、どのようなきっかけで携わられたのですか?

プロレスラーの方を使った企画があることを聞いて、プロットを書いてみることになりました。プロレス雑誌を出版されている方に取材に伺って「最近プロレスって、どうなんですか」というところから教えてもらい、その過程でプロレスラーの棚橋弘至選手が小学校の読み聞かせで絵本を読んだという話を聞きまして、それがこの絵本(「パパのしごとはわるものです」「パパはわるものチャンピオン」岩崎書店刊)だったんです。父親の仕事を子どもが調べたら、ヒールレスラーだったと分かるという設定が面白いんですけど、何よりこの作品が持っているテーマ性がすごく普遍的だと感じたんです。働くとはどういうことかが書かれているし、子どもがお父さんの仕事を知ってちょっと大人に成長するということが短いストーリーの中に詰まっているから魅力を感じました。プロレスを知らない僕にも脚本が書けそうだと感じ、映画用のプロットを書いて、その企画書が通ったということなんです。

脚本家として惹きつけられたんですね。

そうですね。プロレスだけでなく家族の要素もあるから、その2つを合わせれば行けるかなと。だからこの絵本に出会えたのは本当に大きかったです。

運命的ですね。

ええ、僕もそう思います。

監督に決まった時はどうでした?

監督として長編映画が撮れるという喜びはありましたが、プロットは書けても、それを物語の中の具体的なシーンとしてつなげていくというのは大変な作業なんです。それに僕は結構変な作品ばかりを作って来た監督なので、こんな普遍的で王道の作品は初めてでした。だから嬉しい反面、プレッシャーでしたね。

主人公はこのままの棚橋さんでいい

©2018「パパはわるものチャンピオン」製作委員会

棚橋さんとの初対面はどうでしたか?

怖い方なんじゃないかと緊張していましたけど、めちゃくちゃいい人でした。どんな方なのかをすごく知りたかったので、最初はいろいろとお話を聞きましたけど、とても魅力を感じましたね。主人公のキャラクターはこのままの棚橋さんでいいと感じました。だからかなりあて書きをしました。棚橋さんにとってもすごいプレッシャーだったと思います。映画で初主演っていうのは相当なことだったと思います。

会ったことで脚本は変わりましたか?

変えたというよりは、具体的にいろいろ浮かんだということです。映画の中で子どもにプロテインをあげるシーンは、棚橋さんが話したエピソード。やっぱりプロットから脚本に落とし込む時ってそういうディテールがすごく重要なので、大きかったかもしれません。

役者ではない棚橋さんや子役の寺田心君への演出についてはいかがでしたか?

棚橋さんと(息子役の)寺田心君で2週間リハーサルに参加してもらい演技をしてもらいました。棚橋さんには役者さんが滑舌の練習をするときに使う「外郎売(ういろううり)」(歌舞伎の演目の中の外郎売の長ぜりふで、日本では俳優やアナウンサーの発声・滑舌の練習に使われることが多い)という文章を渡して、声に出して読んでもらっていましたが、リハの時は心君も一緒にやってもらいました。それと、普段、リングでしているマイクパフォーマンスとはちょっと違うので、あまりやりすぎるとちょっと嘘くさくなっちゃう。だから棚橋さんには(過剰に)演技をさせない方向を目指しました。心君と棚橋さんからはそういうものをなるべく取り除きたいなと思ったんです。2人とも努力家なので、ぐんぐん成長しましたね。

木村佳乃さんが引き出した棚橋さんの演技

©2018「パパはわるものチャンピオン」製作委員会

棚橋さんの演技はいかがでしたか?

一番変わったと思ったのは、木村佳乃さんと一緒にお芝居をやった時なんです。木村さんは設定上も家族を支える妻ですが、演技でも引っ張ってくれました。木村さんと演技をすると、その演技に返すという感覚が棚橋さんご自身の中で得られたのだと思います。

その努力のかいもあってか、リアルにあのお父さんが画面の中に存在していました。

すごく嬉しいです。木村さんの力もありますけど、棚橋さんはやはり陰で相当努力もされていたと思います。

心君との親子関係もその2週間のリハーサルなどで出来上がっていきましたか?

ええ。心君は本当に棚橋さんのことが大好きなので。その感じが出せればと思っていました。やはり「外郎売り」を一緒に読んでもらったことが大きかったですね。一緒に読むことで、親子を演じる2人の関係性が深められる効果もありました。

プロレスのリングの臨場感はどのようにして生まれたのでしょうか?

今回は僕がプロレスを知らない分、プロレス好きのプロデューサーや監督補などのスタッフの方が支えてくれました。僕がプロレスを見て思ったのは「解説がないと、初見の人が分からないことがあるかも」ということ。脚本を書く時から、そういう事前情報は入れなきゃと思っていました。プロレスを知らない方の目線を僕は保っておこうと意識しました。過去の映像も見て思うのは、プロレスって1試合だけじゃなくて、これまでの苦労や成績、経歴などを知っているかどうかで見方が変わるんです。なので、主人公の大村に関してファンが知っておくべき情報というのはなるべく映画を初めて観た方にも伝わるように脚本の段階で配置しようと思いました。

棚橋さんは立派な座長

©2018「パパはわるものチャンピオン」製作委員会

今回、第一線の俳優の皆さんと一緒にお仕事をされて、監督としてどんなことを感じられましたか?

木村さんも仲里依紗さんも大泉洋さんも寺脇康文さんも大谷亮平さんも、ほんとに力のある魅力的な方たちなので、そこに関して苦労はなかったです。皆さん僕が脚本に書いた以上のキャラクターの肉付けをしてくれました。仲さんは僕が書いたミチコ以上に魅力的に演じてくれたと思っています。それと、棚橋さんは最初こそ演技に関してはいっぱい、いっぱいだったと思うんですけど、ちゃんと人を巻き込める方。立派な座長でした。いつも現場の中心は棚橋さんで、共演者も棚橋さんのいいところを引っ張り出してくれました。

映画を見る方にどんなことを感じてほしいですか?

登場人物の誰かには絶対感情移入できると僕は思っています。母親目線、子ども目線、プロレスを知らない人目線、いろんな要素が入っているのでそれぞれに感じてほしいです。

空手部をやめて映画200本生活

藤村さんがそもそも映画に興味を持ったきっかけは何ですか?

高校の空手部を2年生の時にやめて時間が出来たので、もともと映画を見ることが好きだったということもあって、学校から自転車で30分の所にあるビデオ屋さんに週1で通うようになりました。1本100円なので一度に10本ぐらい借りて、年に200本は見ていました。

それで映画界へ進もうと思ったんですか?

3年生の夏休みまでは大学に進学しようと思っていました。だけど、ある日突然勉強が嫌になって、自分が本当にやりたい職業を考えましたが正直なところありませんでした。それで逆にやりたくないものを消去法で消していって、最後に残ったのが映画の仕事だったんです。それで、3年生の秋に急きょ進路変更しました。先生から「お前どういうことだ」って呼び出しを受けましたが、親は「好きなことならその方が良いね」と言ってくれました。

それで横浜の日本映画学校(現・日本映画大学)に通うことになりました。どうでしたか?

楽しかったですね。すべてを自分で決められるというのはすごく解放感があります。高校での時と違って映画学校では映画好きがたくさんいて話もはずみますからね。それまでの18年間は教えられる、与えられるという時間でしたが、生活も映画作りも自分で判断して自分で見出すという映画学校での経験はその後の自分にとって大きな影響を与えたと思います。

自由だが正解がない脚本づくり

脚本づくりを学んで、何が難しかったですか?

自由で楽しいことの代償で「はっきりした正解がない」ということです。面白いと思って作った映画や脚本が人に伝わらない時は悩みますよね。好みの問題なのか、ロジックが明らかに間違っているのか、そこの線引きは難しいんですよ。その辺の苦しさは、今も昔も変わらずあります。

その苦しさはどうやって克服したんですか?

一つは技術かな。自分が面白いと思っているものを人に伝える技術、それを脚本に書けるかどうかということ。もう一つは、「自分はこれがいいと思う」と腹を決めたということです。

脚本コースからどういう仕事に進もうと考えていたんですか?

他の職種には助手がいて、卒業したら撮影部であれば撮影の助手、演出部なら助監督にもなろうと思えばなれる。でも脚本には「脚本助手」はないんです。卒業したら、完全なフリーターになるわけです(笑)。でも、フリー脚本家の道を選ぶ人は少なくて、みんな何かしらの会社に入る道を決めている人が多い。その中で割合が少ない「完全なフリーター」に僕だけがなるのはやっぱり怖かったです。

監督の力は大きいと実感

監督になろうと思ったのは在学中ですか?

実は卒業する頃には監督志望に変わっていました。クラスで作品を作る時に脚本を書いた人が監督をするシステムがあったんですが、まだコース分けされていない1年生のころに僕が書いた脚本が選ばれて強制的に監督をやらされました。でも面白いはずなのにいい作品にならなかった。その時にあらためて監督の力は大きいと実感しました。脚本コースには進みましたけど、同時に監督の勉強もしようと思って、コンテを写すようなことはやっていました。3年生の卒業制作の時にも脚本が選ばれて監督をしましたが、それが校内ではすごく好評だったので、卒業後はフリーターでやっていこうと決めました。あわよくばこの作品が(評判になるなど)どうにかならないかなとかいう淡い期待もありましたが、世の中そんなに甘くなかったですね(笑)。

卒業後はどんな生活をしていたのですか?

自分は演出コースでもないので、助監督にもなれない。自主製作映画を作りたいけど、お金がない。だから脚本を書くしかなかったのに、週5ぐらいで働かないと生活がきつくて、食べるだけで精一杯。その1年は書けませんでした。

本当に自分が面白いと思うものを

転機は?

卒業して2年ぐらい経った23歳の時、「自分には今何もない、本を書かないと先の道が開けない」という不安とプレッシャーを感じて、ようやく本を書き始めたんです。逆に言えば2年間何もできなかった。普通のフリーターでした。書いては消しを繰り返しているとあせるし、どういう作品が賞を獲れるかを考えすぎて訳が分からなくなったこともありました。でもそこで「いいや、一度ほんとに自分が面白いと思うものを書こう」と腹を決めて書いた脚本「引きこもる女たち」がグランプリ(函館港イルミナシオン映画祭シナリオコンクール)を獲ったんです。結局本当に自分が面白いと思うものを書いた時に、全員には伝わらなくても何人かには伝わるんだという経験を得たので、その経験が僕の土台にはあると思っています。そのうち文化庁の若手映画作家育成プロジェクト「ndjc」(の対象者)に選んでいただいて『逆転のシンデレラ』を撮り、埼玉県の彩の国ビジュアルプラザが若手クリエイターの輩出を目指すプロジェクトで2011年の対象監督に選ばれ『バルーンリレー』(2012年公開)という中編映画を撮りました。そこからは何もやることがないという時間は少なくなったと思います。

テレビドラマも撮っていますね。

当然監督だけで食べていけるわけではないので、普通に普段働きつつ、仕事とかプロジェクトが来ると、その時期休んでそれに没頭する生活を二十代の間は繰り返していました。『バルーンリレー』の後に、初めてのドラマで苦労がありましたけど「たべるダケ」を撮り、それを見たという方から声を掛けてもらい、WOWOWのドラマ(「ああ、ラブホテル」)を撮って、「恋愛時代」や「ラブリラン」というドラマにつながるんです。

賞を獲ることより人との出会い

名前が知られて、そしてつながっていくようになりましたね。

ええ、でも僕は運が良かったんだと思います。賞をとれば、色んな方から声はかかります。でもその中で、本気の人は意外と少ないんです。新人に任せるのはリスクがあるので、そのリスクを負ってでも仕事を振ってくれる、そんな覚悟のあるプロデューサーに出会えるかどうかという運をつかめるかがこの世界でははるかに大きいと思います。

後輩のクリエイターたちへのエールがあれば。

学生のころ講師から言われた言葉を贈ります。「棚からぼたもち」の落ちてきたもちを取るには棚の下に居なきゃいけない。落ちてくるのは明日かも10年後かもしれない。でもそこに居続けることが重要だということ。チャンスが来た時にいつでももちが取れるように、精進するのが一番いいと思います。

取材日:7月25日 エンタメ批評家:阪 清和

藤村享平(ふじむら きょうへい)/監督・脚本

1983年石川県金沢市生まれ。横浜市にある日本映画学校(現・日本映画大学)を2005年に卒業後、文化庁がVIPO(映像産業振興機構)に委託している若手映画作家育成プロジェクト「ndjc」の2010年の対象者に選定され、翌2011年に『逆転のシンデレラ』を監督として完成させた。埼玉県の「SKIPシティ彩の国ビジュアルプラザ」が大手シネコンのユナイテッド・シネマと提携する若手映像クリエイター支援プログラム「D-MAP」の2011年の対象監督に選ばれ、第5回シネマプロットコンペティション・テーマ部門賞受賞作となったアイデアを映画化した2012年の『バルーンリレー』で監督・脚本を務めた。以降はドラマも手掛け、テレビ東京の「たべるダケ」(2013年)、WOWOWの「ああ、ラブホテル」(2014年)、読売・日本テレビの「恋愛時代」(2014年)や「ラブリラン」(2018年)で監督として演出にあたった。音楽分野にも進出し、2012年にはいまや日本を代表する人気バンドとなった「SEKAI NO OWARI」が大ブレーク直前に宮崎あおいを起用して話題になった「眠り姫」のミュージックビデオも手掛けている。

 

『パパはわるものチャンピオン』

  • 原案・原作:「パパのしごとはわるものです」「パパはわるものチャンピオン」
          作・板橋雅弘 絵・吉田尚令(岩崎書店刊)
  • 監督・脚本:藤村享平
  • 出演:棚橋弘至 木村佳乃 寺田心 仲里依紗
       オカダ・カズチカ 田口隆祐 / 大泉洋(特別出演) 大谷亮平 寺脇康文
  • 配給:ショウゲート
  • ©2018「パパはわるものチャンピオン」製作委員会

 

2018 年9月21日(金)全国ロードショー!!

大事なのは、勝つことじゃない!

 

まぶしいほどのスポットライトのなか、大歓声を浴びる大村孝志。人気も実力も兼ね備えたエースレスラーだったが、膝に大ケガを負って試合から長期離脱してしまう。それから10年、かつての強さを取り戻せないでいる孝志は悪役レスラーとなり、客席からブーイングを浴びる日々を送っている。妻の詩織は変わらず応援してくれるが、孝志は自分の仕事を9歳になった息子の祥太に打ち明けられずにいた。だがある日、偶然から祥太にバレ、「わるもののパパなんて大嫌いだ」と言われてしまう。しかし、そんな孝志に、名誉を取り戻すチャンスが訪れる。かつての孝志に憧れていたトップレスラーのドラゴンジョージが、孝志をタイトルマッチの相手に指名したのだ。自らのプライドと家族への愛のために、全く勝ち目のない戦いに立ち上がる孝志。果たして、孝志が決意したすべてを賭けた危険な技とは? そして息子との絆を取り戻すことは出来るのか──?

くわしくは、映画『パパはわるものチャンピオン』オフィシャルサイト をご覧ください。

 
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