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アメリカで学んだ特殊メイクで、人が驚くものを楽しみながらつくっていきたい

Vol.152
特殊メイクアップアーティスト 江川悦子(Etsuko Egawa)氏
Profile
1954年生まれ、徳島県出身。ファッション雑誌「装苑」の編集者として入社後、夫の海外赴任に伴い退社。1979年、ロサンゼルス在住中に特殊メイクの学校Joe Blasco make-up Centerへ入学。その後、『メタルストーム』『砂の惑星・デューン』『ゴーストバスターズ』などの映画にスタッフとして参加。1986年に帰国後、特殊メイク制作会社メイクアップディメンションズ設立。1987年、『親鸞・白い道』で日本映画初参加。その後も映画、ドラマ、CMの特殊メイクを担当。
これまで数々の映画やドラマ、CMに携わってこられた特殊メイクのパイオニア、江川悦子(えがわ えつこ)さん。25歳にして飛び込んだ特殊メイクの世界と海外での生活。家庭と両立させながらの仕事は楽しかったと振り返る江川さんに、特殊メイクの世界や、海外との働き方の違い、クリエイターとして大事にしていることなど、大いに語っていただきました。

特殊メイクはリアルにはできないことをサポートするもの。意外と気づかないところで使われています

特殊メイクアップアーティストとはどのようなお仕事なのでしょうか?

まずSFやホラー映画などで登場するモンスターや宇宙人などの架空の存在の制作があります。
これらは実際に存在しないので、動物や熱帯魚、植物などを見てアイデアを膨らましデザインを起こし、リアルな造形物に仕上げています。映画『E.T.』のE.Tもそうです。E.Tはネコをモチーフにつくられているんです。すべてはインスピレーション。これとこれをミックスしたらどうなるか、と考えながらデッザンをして生み出します。あと、日本の映画でもよく使われているのが傷メイクや老けメイク、坊主メイクなどの特殊メイク。実際に顔に傷をつくることができないので、モデルの顔型を取った石膏土台に粘土原型を起こし、型に人工皮膚の素材を流してモデルに貼って、傷や皺、坊主の皮膚感を表現しています。最近だと木村拓哉さん 二宮和也さんが出演する映画『検察側の罪人』(2017年8月24日公開予定)でも傷メイクをたくさんつくっています。近年は、傷メイクなどのリアルなものをつくることが多いですね。個人的には空想的なものをつくるのが好きですが、リアルを追及する作品が多いのが今の映画の傾向です。

映画やテレビを見ていて気づかないところで特殊メイクを使っているということがあったりするんでしょうか?

結構多いと思いますね。最近は本当に精巧につくれるため、CGじゃなかったの?と思われることも多くて……。CGと特殊メイクの境目というのはどんどん分からなくなってきています。パソコン上で画を描いてCGをつくるということはすごく大変なので、傷や皺などをつくってそれを撮影すればOKの特殊メイクを使う方が多くなってきています。あと、意外と言われるのが、動物や死体などのダミーも私たちがつくっています。動物だと眠るなどの演技ができないため、本物そっくりの人形をつくりそれを撮影したり。たとえば、滝田洋二郎監督の映画『おくりびと』だと、ご遺体はほとんどダミー人形でした。ヒゲをそったり顔を触ったりするシーンがあるので、やはり役者さんが演じているとピクッと動いてしまうことがありますから。滝田監督も最初は半信半疑でしたが、実際の人形を見たら感心してくださいましたね。あれは、実際に映画を観ていても気づかない方が多くて、本当にうれしかったです。

特殊メイクは、人や動物などでは表現できないところを補う存在でしょうか?

リアルにはできないことをサポートする存在です。いつも作品に真剣に取り組む役者さんだから本当に頭を剃っていたと思ったと言われたりすると、うれしい反面、気づかれないさみしさみたいなものはありますね。

25歳を過ぎて始めた外国での新生活、師匠、リック・ベイカーとの出会い

特殊メイクに興味を持ったのはご結婚された後なんですよね。

私は、大学を卒業してすぐにファッション雑誌「装苑」の編集者になったんですが、その3年後、夫の海外転勤を機に仕事を辞め、ロサンゼルスに一緒に行きました。向こうで語学学校に通って勉強しているときに、映画をたくさん見ていて……。そのなかで、ホラーコメディ映画『狼男アメリカン』('81年公開)に出会いました。今のようにCGがない時代に狼男の変身をリアルに表現していて、どうしてこんなことができるんだろう、という新鮮さと驚きでいっぱいでしたね。後でわかることなんですが、あのマイケル・ジャクソンもこの作品に驚き「スリラー」のミュージックビデオをつくったり、日本でも竹中直人さんが変身シーンをモノマネしていたりと、みんなが影響されるほど、すごく衝撃的でした。ちなみにこの作品の特殊メイクを担当したリック・ベイカーは、その年のアカデミー賞メイクアップ賞を受賞するんですが、そんなすごいアーティストの近くに住んでいるのならもうやるしかない!となぜか導かれるように、特殊メイクの世界に飛び込みました。本当に迷いはなかったですね。

25歳にして初めてのこと、それも異国でのスタートは、大変ではなかったですか?

そのときは大変だったかもしれないですが、今となってはそんなに大変ではありませんでした。まずはスクールに通ったのですが、そこで先生に「一番は技術。言葉が分からなくても手で覚えればいいから」と言われたんですよ。私はそれを軽く信じたんですが、専門用語が多くて分からないことも多かったですね。そんなときに支えになったのが、フランスから特殊メイクを学びに来ていた女の子。彼女も同じように言葉が分からず……。でもポジティブな子で一緒に学校の設備を使って色々実践したり、授業のわからないところを補ったりしました。私が今の英語力だと就職するのは難しいかな?としり込みしていた時にも、「私とコミュニケーションがとれているんだから大丈夫!」と言って背中を推してくれて、年下だったのですが、彼女と出会えたことが本当に大きかったです。

年齢というのはネックにならなかったんでしょうか?

まったく気にならなかったですね。特殊メイクのことは分からないからスキルアップのために通っているというおじさんがいたり、顔の筋肉について学びたいからと学んでいる40代のエステシャンの女性がいたりと様々で。“Never too late"(遅すぎることはない)というのは本当だなと思いました。みなさん向上心の固まりでしたね。私もいつかリック・ベイカーの下で仕事をしたい!と思って、勉強させてもらいました。

アメリカに来て6年目でついに憧れのリック・ベイカーの工房に入ることができたんですよね。

念願叶ってですね。他の方に本当に申し訳ないのですが、もう毎日が緊張で。そばでアドバイスをいただいたり、記念写真を撮るだけで手が震えるくらい(笑)。憧れの人の側で働くことができて本当に毎日が楽しかったです。実際に工房では、彼専用のデザインルームがあり、私たちとは別のところで作業していたのですが、時おり作業している私たちのところまで来てくれて笑わせてくれる本当に明るい人柄で雰囲気づくりが素晴らしかったです。明るい職場で、いつか彼のような上司になりたい、と思いましたね。素晴らしい憧れの上司像でした。今は工房も閉めてしまいましたが、趣味を活かしながらDVDをつくったり好きなことを楽しんでいて、そういう生き方にも憧れますね。私もいつまでも現役でいたいなと思います。

“子どもを育てながら働く"環境が整った国、アメリカ。
帰国後も、バランスよく仕事ができたのは家族のおかげ

特殊メイクの仕事が順調にスキルアップしていく中での急な帰国。気持ちはいかがでした?

夫の仕事の都合で、急に帰国が決まりました。正直、あと2、3年は、アメリカでやりたいと思っていた矢先の出来事で……。ただ娘がまだ小さかったので、チビちゃんを連れて1人で残るのはキツイなと思って夫と一緒に帰りました。リック・ベイカーの工房で1年でも働けて、目標を達成していたから帰ることに決められたのだと思います。実際に日本に帰ると、意外とすぐに仕事が決まって……。当時の日本には特殊メイクをされている方はお1人しかおらず、貴重だったのもあったんだと思いますね。バブル全盛期ということもあり、映画やCMにすごいお金が使われていて、リック・ベイカーやその上の師匠、ディック・スミスをスーパーバイザーに呼んだりして。もう本当に色々楽しかったです。お仕事をいただきながら勉強をしたという感じで、実は、すごくいいタイミングで帰国できたのだと思います。

アメリカと日本の両方で仕事をされて、映画制作について違いを感じたことはありましたか?

技術的なことは同じですが、規模が全然違います。アメリカはチームで仕事をしていて、作業自体は分業で本当に色んな人が携わっています。出来上がった作品を見て、「あのシーンはここで使われていたんだ」とか「こういうことをしていたんだ」と知ることも多かったです。大きな動きの中のひとつという感じです。対して、日本はコンパクトで分かりやすい。自分が何をしているのかが見える範囲の仕事で、ひとつひとつ監督とも相談できます。どちらが優れているということはなく、どちらも面白いなと思います。あと、子どもを育てるという面に関しても全然違いましたね。今でこそ日本でも子どもを育てながら働く女性が増えてきていますが、30年前はほとんどいませんでしたから。アメリカではベビーシッターに預けて働くという環境がすでにあり、そのような状況下で働いている人も多かったです。“子どもを育てながら働く"ということに関しては、アメリカで良かったなと思いますね。出産前後の1年は休みましたが、それ以外はほぼ働いていて。娘は物心ついたときから、私の働いている姿を見ていました。

帰国後、仕事と家庭のバランスを保つのは大変でしたか?

そこは家族に感謝です。日本に帰ってきても、ロケで数日家を空けるときは私の母か義理の母が家に来てくれて娘と一緒にいてくれたり、みんなの協力があってこそですね。それがなかったらできなかったと思います。もともと結婚しても自立は大事だと思っていたので、いつまでも働きたいと思っていましたし、働くことに疑問は持っていなかったのですが、まさか、25歳の時に見た映画でここまで一生ものの仕事に就くとは思っていませんでした。家族はもちろんですが、仕事をくださった皆さんのおかげでもあります。もちろん、いい仕事をするために努力もしています。

クオリティを担保しつつも、人を驚かせるものを楽しみながらつくっていきたい 。

仕事をするうえで大事にしていることはなんでしょうか?

クオリティです。最高のものを提供し続けることを大事にしています。最近では、傷メイクや老けメイクが多いので、よりリアルなものをつくるということです。そのためには素材が大事です。人工皮膚にしても、肌の色はその人によって違うので、どの色でどれくらいの柔らかさがいいのかを、その都度調べてひとつひとつ作っています。資料を確認するのはもちろん、技術も進歩してきていますから、常に新しいものに目を向けて勉強も大事です。ただ、最近は画質がどんどん良くなっていって……。画質が良くなればなるほど、反対にメイクをしていることが目立ってしまうので、これは本当に戦いです。あとは、メイク時間の短縮です。役者さんにメイクをする場合、できるだけ負担にならないように気をつけています。坊主メイクだと普通2~3時間かかるのですが、努力次第では1時間程度で完成します。早くていいものを提供する、これが自分の中のポリシーです。

常に第一線で仕事をされていますが、クリエイターに向けてメッセージをお願いいたします。

“人を驚かせるものをつくる"という気持ちを忘れないでください。こんなものがつくれるんだ!と驚かれることを目指して、ものをつくっていくことが大事。当たり前で普通のものなんて面白くないですから。また、他人だけでなく自分も心から驚くことができるものをつくることがクリエイターにとって大切なことだと思います。驚きは楽しみにつながります。仕事は“楽しみながらする"ことが一番。そんな他人も自分も満足のいく仕事をするためには色んなことに興味を持つことが必要です。人やものに対して興味を持たないと何も生まれません。こういうものをつくりたいというひらめきと興味、そしてそれを形にする技術があってこそ、みんなが驚く面白いものがつくれると思います。常に追求する気持ちが必要で、現状に満足しないことですね。作品ができたときに、達成感は必要ですが、今度はもっといいものがつくれるかもしれないという飽くなき探究心を常に持ちながらものづくりに励んでほしいです。

取材日:2018年2月7日 ライター:玉置晴子

江川悦子(Etsuko Egawa)氏/特殊メイクアップアーティスト

1954年生まれ、徳島県出身。ファッション雑誌「装苑」の編集者として入社後、夫の海外赴任に伴い退社。1979年、ロサンゼルス在住中に特殊メイクの学校Joe Blasco make-up Centerへ入学。その後、『メタルストーム』『砂の惑星・デューン』『ゴーストバスターズ』などの映画にスタッフとして参加。1986年に帰国後、特殊メイク制作会社メイクアップディメンションズ設立。1987年、『親鸞・白い道』で日本映画初参加。その後も映画、ドラマ、CMの特殊メイクを担当。近年では『ラストレシピ~麒麟の舌の記憶~』で老けメイクを披露している。

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