グラフィック2018.01.31

若いころは、質より量。 10年続けていければ、必ず結果が生まれます。

Vol.147
ジュン・キドコロ・デザイン取締役社長、アートディレクター 城所 潤(Jun Kidokoro)氏
Profile
東京都生まれ。東京造形大学卒業後、渡米。 San Francisco Academy of Art Unversity にてBFA取得。サンフランシスコでPROFILE DESIGNに勤務。帰国後、坂川栄治事務所を経て独立。 2000年ジュン・キドコロ・デザイン設立。小中学校教科書からファッション誌、パッケージデザイン等の アートディレクション&デザインを数多く手掛ける。
本の表紙を見て、思わず手に取ってしまうこと、ありますよね。本の装丁は、本の魅力を左右する大きな要素。本の売り上げにも、大きく影響する装丁を手がけているアートディレクターの城所潤さんにインタビュー!キャリアの出発点から、装丁デザインの仕事の流れ、装丁において心がけていることまで、幅広いお話を伺いました。

サンフランシスコで大学を卒業、就職。 デザインへの姿勢、考え方、プレゼンテーション、コミュニケーションスキルを学ぶ。

現在の仕事内容について教えてください。

書籍の装丁や広告のグラフィックデザインなどを手がけています。書籍は、絵本など子ども向けの本から、ハードカバー、図鑑のデザインまで、幅広く携わらせていただいています。

キャリアの出発点についてお伺いします。アメリカの大学を卒業し、アメリカで就職されたそうですね。

小さい頃から絵を描くことが好きで、美大に進学しましたが、美大は自分にはあまり合っていないように感じていました。また、東京生まれの東京育ちで、ずっと同じ環境にいることに閉塞感を感じていたこともあって、留学を決意しました。私は下町の製本工場の息子で、当時はバブル景気の恩恵が小さな工場にもそれなりにある時代だったことも幸いしました。兄も留学経験があり、私も特に反対されることもなくサンフランシスコに留学させてもらいました。

サンフランシスコの大学で学んだことは?

語学学校に半年通ってから、大学3年に編入し、グラフィックデザインを学びました。日本の美大と違うところは、まずデザインコンセプトをプレゼンテーションで語れないと、話にならない。日本では「こんなデザインを出したら何か言われるのでは」「こんなこと言ったら、わかってないと言われるのでは」と、若者ならではの自意識過剰なところがあったのですが(笑)、アメリカでは言葉の壁もあり、すべてさらけ出すしかなく、よけいなごまかしができなかったことも良かったと思います。
また、学部長が非常に厳しい人で、鍛えられました。デザインに対する姿勢、考え方、コミュニケーションスキルまで、いろいろなことを学びました。

卒業後も、そのままサンフランシスコで就職されていますね。

厳しいながらもとてもお世話になった学部長の紹介で、デザイン事務所でインターンとして学生のうちから働き始めました。学部長の教え子が経営しているデザイン事務所で、普通なかなか働かせてもらえないような事務所だったのですが、学部長の推薦で、私はすんなり働くことができたようです。幸運な出会いでしたね。
また、副所長が日本人で、当時の日本には海外のデザイン事務所に仕事を発注するのが流行りといったムードがあったようで、日本からの仕事があり、日本語ができる人間が求められていたことも大きかったと思います。CI、パッケージデザインを担当していました。

アメリカで仕事をして学んだことは?

プロフェッショナルとして、コンセプトを言葉でプレゼンテーションして伝え、納得してもらうことがより重要になりました。
アメリカは日本よりもむしろ学歴社会で、美大を出ていないといつまでもアシスタント的な業務で、デザイナーにはなれません。その一方で、デザイナーやイラストレーターの地位が当時の日本よりもずっと高く、給料も良いので優秀な人が集まり、できる人はものすごくできる。クリエイティブに対してお金を払う文化が定着しているアメリカで、デザイナーとして仕事ができたことは、とても大きな経験でした。

帰国後、デザイン事務所で膨大な仕事量と格闘! 大きな転機となった、JAL機内誌デザイン。

2016年までの10年間、東急沿線情報誌『SALUS(サルース)』のアートディレクションを担当する

日本に帰国したのは、いつですか?

大学を出て2年間働き、結婚を機に帰国しました。帰国してからはアートディレクターとして著名な坂川栄治さんのデザイン事務所に入り、雑誌や書籍、広告、カタログなど、ありとあらゆる仕事をしました。坂川さんはまさにカリスマ的存在なので、とにかく依頼される仕事量が膨大だったんですよ。しかも、当時はまだアナログの時代だったので、版下から作っていました。いま思い返すと、信じられない作業量ですね(笑)。

転機となった仕事は?

JALの機内誌を、アートディレクター(AD)として担当させていただいたことです。特集や連載記事の企画、打ち合わせから始まり、全ページの構成、ディレクションなどをすべて取り仕切りました。当時はまだ30歳そこそこだったので、大きな自信となりました。あらゆる点でスキルが上がったのはもちろんですが、人脈が広がったのも財産になりました。

その後、坂川さんの事務所から独立しますが、何かタイミングやキッカケはあったのでしょうか?

これといった明確なキッカケはないのですが、「そろそろ独立した方がいいのかな?」と感じるようになってきたんですよね。坂川さんからも「そろそろ辞めて独立しろ」と言われましたし(笑)。
JAL機内誌など大きな仕事もしていましたが、坂川さんの事務所にいる限り、やはりそれは「坂川さんに来た仕事」なんですよね。「自分に来た仕事」を自分で決めて、自分で責任を持ってやりたい気持ちがだんだんと大きくなり、独立しました。自然なタイミングだったと思います。

書籍は手にとってもらえなければ始まらない。 心がけているのは、「デザインが勝ちすぎない」装丁。

独立後はさまざまな書籍の装丁を手がけていらっしゃいますが、印象に残っている仕事はありますか?

2003年に創刊された講談社のYA!ENTERTAINMENTシリーズのデザインですね。現在、150冊ほど刊行されていますが、すべて装丁を手がけています。もともと文庫シリーズのフォーマットデザインをやってみたいと思っていました。文庫のシリーズは数が限られていますから、そのフォーマットデザインを手がけられる機会はなかなかないからです。

書籍の装丁デザインはどのようなステップを踏んでつくられていくのでしょうか?デザイナーとしては、どこからどうやって関わっていきますか?

原稿のゲラを読み、編集者と打ち合わせをし、ラフデザインをつくって提案し、編集とやり取りしながらロゴや紙など細かいところを決めていきます。イラストレーターはこちらから提案することもあれば、編集者が決めてくることもありますね。デザイン作業には、基本的には作家は入らず、打ち合わせも参加しません。
ただ、絵本に関しては、作家の思いを具現化できるように、作家と一緒につくっていくこともあります。

装丁にあたって、心がけていることはありますか?

デザインが勝ちすぎないことですね。イラストや写真が素敵に見えるように、デザインは引き立て役になるように心がけています。今はこんなことを言ってますが、若い時の作品を見ると、やっぱり自分が出すぎていて、思いや執念が見えてちょっと恥ずかしいですね(笑)。
デザイナーですから、かっこいいデザインは得意なんですよ。一般の読者にむけた書籍はかっこよすぎるデザインだと、手に取ってもらえません。親しみやすく、“ダサかっこいい"線を狙っています。ただしタイポグラフィやスペーシングなど、真似できそうで真似できない高いレベルを目指しています。

講談社の動く図鑑MOVE恐竜

アイデアやデザインのヒントは、どこから得ていますか?

以前、情報は探して取りに行かなければならず、写真集を見たり、映画館や美術館に出かけたりしていましたが、今はインターネットを通じてSNSなどから情報は何もしなくても入ってくる時代です。膨大な情報量からいかに取捨選択するかが大切になっているので、今はあえてヒントを得るために動くことはありませんね。
例えば、イメージに合うイラストレーターを探して、以前は人に聞いたり展示会に出かけたりしていましたが、今はインターネットで見かけたイラストレーターが良いと思ったら、相手が海外在住であってもネットを通じて連絡を取って、発注することができます。講談社の動く図鑑 MOVE「恐竜」のイラストは、編集者がネット上で見かけたスペイン人のイラストレーターにお願いしました。

不思議な存在感のある独特なイラストですね!

絵本など子ども向けの本は、実際の購入者である保護者を意識して作っているので、保守的なデザインになりがちですが、この図鑑シリーズは後発だったこともあり、他にはないデザインを目指し、明確に男の子をねらったデザインにしています。例えば、「動物」は女の子を意識すればコアラなどかわいい動物を持ってくるべきですが、男の子を意識したため迫力ある戦いのシーンを表紙にしています。

情報格差がなくなった一方で、「わかったつもり」になりやすい。 違う世界に踏み出し、実際に触れてみる一歩を。

現在の若手クリエイターを見ていて、感じることはありますか?

私はもともと、周囲よりも早くPCを使ってデザインをしていたので、デジタルの雰囲気を出せるデザイナーとして重宝されていました。もっと若いデジタルネイティブのデザイナーが出てきたら、自分の出る幕はなくなるな、と思っていたんですが、最近、懐古主義なのか先祖返りなのか、アナログ時代の雰囲気が求められるようになってきて、それを知っている貴重なデザイナーとして声をかけられることが増えてきました。
昔は都会と地方の情報格差があり、例えば裏原宿はすごくオシャレな街で圧倒的に他の街と差がありましたが、今は大資本のファッションが浸透していて、都会でも地方でも同じ服を売っている。インターネットがあれば情報も手に入る。差がなくなって全体的な情報のレベルは上がっていると思いますが、実際に触れずに「わかったつもり」になっているようにも感じます。海外に出て空気に触れてみるなど、違う世界に踏み出してみる一歩が必要ではないでしょうか。

若きクリエイターたちに、メッセージをお願いします。

若いころは、やはり質より量で、たくさんの仕事をこなすことが大切だと思います。体力のあるうちに(笑)。もし、量をこなすことがつらいと思うならば、それは向いていないのかも。私はどんな仕事もつらい、つまらないと思ったことはなく、好きなことができてお金がもらえるなんてラッキー!と思ってきました。厳しい世界ですが、10年続けていければ必ず何らかの結果が生まれます。
あと、同業者同士は、みんなライバルって思う気持ちは大事です。デザイナーは、デザイナーにデザインを教えたりしませんよ。

取材日:2017年12月7日 ライター:植松織江

城所 潤(Jun Kidokoro)氏(ジュン・キドコロ・デザイン取締役社長、アートディレクター)

東京都生まれ。東京造形大学卒業後、渡米。 San Francisco Academy of Art Unversity にてBFA取得。 サンフランシスコでパッケージ、CIデザインを手掛けるPROFILE DESIGNに勤務。帰国後、坂川栄治事務所を経て独立。 2000年ジュン・キドコロ・デザイン設立。小中学校教科書からファッション誌、パッケージデザイン等の アートディレクション&デザインを数多く手掛ける。特に絵本、児童書のデザインには定評があり、講演等もこなす。

(有)ジュン・キドコロ・デザイン http://www.jkd.co.jp/

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