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お客様へのアドリブ対応が生んだ成長

大阪
豊榮印刷株式会社 代表取締役社長 池田 俊雄 氏
1934年創業の豊榮印刷株式会社は印刷物の企画から制作、製造、商品管理までのサービスを一貫して提供しています。元号で言えば、戦前の昭和9年に産声(うぶごえ)を上げた老舗ともいえる同社は2012年から現在まで従業員が約3倍に増えるなど、大きく変化しました。その背景には今春、母親の跡を引き継いだ池田俊雄(いけだ としお)社長の奮闘があったようです。ウィーンでの美術留学から帰国して家業に飛び込み、事務所のドアがギーギーと音を立てる築50年の社屋を「なんとかしたい」という思いで、会社の改革に挑んだという池田社長に「町の印刷屋さん」から脱皮したプロセスや将来への展望などを聞きました。

卒業旅行のつもりが留学に

今年4月から社長に就任された豊榮印刷株式会社についてお話いただけますか。

母の美子(みこ)から引き継いで4代目の社長になりました。弊社は祖父の昌弘(まさひろ)が戦前に、設立した「池田精版印刷所」がルーツです。当初は自前の印刷機を持たず顧客から注文を受けて印刷は外部の工場に依頼するブローカーでしたが、1967年に、現在の場所に自社ビルを新築し工場も開設しました。87年に株式会社として現社名に変更し私の父、宰基(さいき)が2代目社長に就任。父が2011年に亡くなって母がその跡を継いでいたのです。私が入社したのは2003年3月です。

やはり小さいころから家業を継ぐつもりだったのですか?

そういう感じじゃなかったですね。2つ上に姉がいまして1979年に長男として生まれましたが、特に何になりたい、何かをしたいということもありませんでした。姉がウィーンへ音楽留学していたので、高校の卒業旅行として遊びに行ったら日本の世界観とのギャップのようなものに圧倒されてしまいました。新鮮でした。「ここで暮らしたい」と思ったので語学を勉強するという名目で滞在を延長したのです。そうしたらもっと居残りたくなってしまいまして、学生になればビザが取れますから大学に行こうと考えました。

それで美術を学んだわけですね。

授業は主にドイツ語ですから文学や心理学などを学ぶのは難しい。もともと絵を描くのは好きでしたし、実技なら何とかなる、と思ったのです。家業が印刷屋ですから、グラフィックを学ぶということにすれば父も仕事に役立つと考えて納得してくれるだろうと思いました。入試は200人くらいの受験生が3日間、学校内に缶詰め状態で行われました。朝の9時から夕方まで用意されたモデルや画材を利用して、ひたすら自由に創作するのです。その様子を試験官の先生たちが見て合否が決まります。それはパスしましたが、得られたのは本当の学生として受け入れらるかどうかを試される実習生のような資格。さらに半年、学校で素質などが試されて先生が認めてくれれば学生になれるというシステムで、すんなりとは入れてくれません。「俺には才能がある!」と教授に一生懸命アピールして在籍資格を得ました。

洗脳されるように「会社に貢献するという生き方」へ気持ちが固まり……。

約6年間の滞在後に帰国して豊榮印刷に入社されたのは?

ウィーンではグラフィックや空間全体を作品とするインスタレーションに取り組みましたが、学んだスキルをデジタルで再現できなければ、食べていけないことはわかっていました。だから家業を手伝いながら技術を身につけようと思ったのです。自分の勉強のためにパソコンに向かい、学校にも通いました。

独立を考えていたのですか?

そうなんですけどね。一緒に働いているのが家族じゃないですか。長男だという期待も感じますし……。自分の中で葛藤はありましたが、洗脳されるようにして「会社に貢献するという生き方もありなんじゃないか」という気持ちが固まってきたのです。その気になるまで5、6年かかりましたけどね。当時は築50年近い工場と一体のレンガ壁の4階建ての社屋でした。レンガといっても半世紀前のダサいビジュアルで事務所のドアを開ければギーギーと音がしますし……。「まず、この状況を変えなければ」と心に火がつきました。そのためには売り上げを伸ばして収益を上げるしかないと燃えたわけです。

それでどうされましたか?

営業の強化はもちろんですが、それまでの町の印刷工場よりもさらに進化させ、内製化できる範囲を拡大し収益率を高めることが必要でした。それには資金が必要です。でも夢物語を語っても銀行は過去3年の決算書を見たら首を縦に振ってくれません。そこで、既存のお客様からの取り扱いをさらに増やし新規営業を強化しました。印刷業は競合他社が多いうえ、差別化が難しい。かゆいところに手がとどくように、お客様の思いを形にできる環境づくりを心がけました。

鉄板ルールがないからこそ、アドリブ対応

具体的にはどのような努力をなさったのですか?

当時は営業専従の社員はいませんでしたから、お客様との接点は主に私と弟の専務でした。一番、注意したのは価格と品質のバランスです。価格は融通がきくのに品質が良くない、品質は良いけど価格の小回りがきかない、といったことはなくすように努力しました。うちが売りたいと考えるものではなく、お客様が形にしたいことを実現できる環境づくりを重視したのです。

ちょっと泥臭い例になりますけど、夜の10時ごろにお客様が急に「何とかできないか」と言って、注文を持ち込まれたことがありました。悩みましたが、工場を開けました。社員には「終電がなくなったらタクシーも呼ぶし、私も運転して送る」と説得しました。そうなってくると採算の問題も出てきますが、「義理」も商品になります。もうアドリブですよ。これをやったらこうなるという鉄板ルールなんてありません。他社が断るようなことも引き受けることが新規開拓につながります。だから価格と品質のバランスをフレキシブルに考えて対応することが大切だと思っています。

そんな思いと行動の結果、銀行の対応が変わったわけですね。

はい。決算書も改善し努力と成果を認めていただき銀行からの融資を受けることができて2010年には工場のあったレンガ壁の社屋を増改築し父が亡くなった翌年の2012年には、その東隣りに4階建ての現本社ビルを建てました。新しい機械も導入し企画から製造、商品管理までのサービスをワンストップで提供できるようになりました。2012年には9人だった従業員も現在は25人です。今は営業専従のスタッフもいます。30代が中心で20代から50代までいて平均年齢は31歳。8割が男性です。

アドリブでフレキシブルに対応するのはスタッフも大変ですよね。

同じ作業でも工夫ひとつで負荷を下げて生産性を高めていくことが大切だと考えています。そのために私が従業員に言っているのは「プロになってほしい」ということ。当社以外のどこからも「欲しい」と手を挙げてもらえるような技術やコミュニケーション能力、そして人脈、人徳を身につけてほしい。当社には人材を育てるという空気が、以前はあまりありませんでした。しかし、これからはそれではやっていけません。たとえば、いくら当社が「3年計画」を立てても社会や市場はこちらに合わせてくれません。変化に対応できる人材の育成をしないと会社も生き残っていけない時代にもなりましたから。

従業員と、意識の共有をするために努力していることは?

東京の営業所については振り込みですが、創業以来、ずっと給料は現金で手渡ししています。日々厳しいことも言いますし、数字で批判もしますし、遅刻したら怒ります。だからこそ社員に対する感謝の時間として給料の手渡しを大切にしています。
政府の「働き方改革」にも連動して働きやすい環境づくりにも積極的に取り組んでいます。リフレッシュ休暇を導入したら実際、業績も上がりました。今の苦労は将来につながるというだけでは説得力も少ないですから、今期は銀行からお金を借りてでも先行投資として5%の賃上げを実現させました。

父の思いを引き継いで再挑戦、オンラインサービスサイト「HAGU」

昨年(2016年)10月からオリジナルの化粧箱を企画・製造・販売するオンラインサービスサイト「HAGU(ハグ)」を開設されましたね。

これは亡くなった父の思いを受け継いだ事業でもあります。オンラインサービスとしては2007年に「HOEIショップ」をオープンして当社で製造していた既存の化粧箱を販売していましたが、サイズの融通性がなかったので、売れる商品と、そうでない商品の差が大きくなってしまいました。そこで全国の小規模事業者向けにオリジナルのデザインを提案・受注できるサービス「HAGU」を企画しました。

この事業を担当する子会社として専務で弟の俊紀(としのり)を代表にして「株式会社HAGU」を設立し「HOEIショップ」に代わる当社のネットショップにしました。もともと父がデザインへの特化を重視して「興栄企画株式会社」という子会社を設立したことがあります。企画にも力を入れて「町の印刷工場」から脱皮するという意図もあったのでしょうが、独立採算が難しく1996年に本社に統合して休眠状態になっていましたが、「HAGU」として復活させました。父の遺志を継いだデザインへの再挑戦とも言える事業です。

なぜ「HAGU」という名前に?

抱き締めるという意味の英語の「hug(ハグ)」と日本語の「育む」の音を重ねました。才能を発掘したいという思いと、今は印刷会社とデザイナーの間に距離があるので、それをもっと縮めたい思いもあって、公募で「パッケージデザインコンテスト」(2017年10月10日締め切り済み)も開催しています。

一極集中の弊害が指摘されながらも、やはり東京のほうが有利といわれるなかで、大阪を拠点とするメリットや意味はありますか?

「メリット」や「意味」という見方では考えたことがないです。大阪で生まれて育てていただいた会社なので、大阪にあることがアイデンティティのひとつなんでしょうね。大阪と当社は最初から一体だという気持ちが無意識に根づいているのかもしれません。私自身、大阪で生まれ育って、世界の中で大阪が一番好きですし、自分が好きで愛着をもっている服と同じように、自分の肌のようになじんでいるので切り離せない気がします。同じような気持ちで自分の「地場」に愛着を持って、デザインやものづくりをしている全国の人々をつなげたいです。

取材日:2017年9月27日 ライター:岡崎秀俊

 

豊榮印刷株式会社

  • 代表者名:代表取締役社長 池田俊雄(いけだ としお)
  • 設立年月:1934年2月
  • 資本金:1,000万円
  • 事業内容:パッケージ、パンフレット、ポスター、冊子、カタログなどの企画、印刷、納品
  • 所在地:大阪市北区豊崎6-8-8
  • URL:http://e-hoei.jp
  • お問い合わせ先:TEL)06-6371-2876 メール)info@e-hoei.jp
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