ゲーム2020.09.16

ゲームを楽しむように3D制作の世界を探り、可能性に挑戦!福井で活躍する60歳過ぎの現役3Dクリエイター

Vol.43 福井
3dマイスターズ代表 3Dクリエイター
Shigeki Matsushima
松島 茂樹

コンピューターを使った設計システム3DCADが日本に入ったばかりの頃から、生まれ育った福井で3D設計図の制作に携わってきた松島茂樹さん。3D制作の第一人者として産業技術教育の指導者としても活躍されてきました。

55歳で早期退職して農業に取り組んだ時期もありましたが、58歳で3D制作の仕事に復帰。福井市郊外の自宅に事務所を設け、3Dデータ制作や3Dプリントを請け負う事業をスタートし、2017年に「3dマイスターズ」を開業しました。「インターネットの時代においては、仕事は福井でも東京でも同じ」と語る松島さんの歩みと展望をお聞きしました。

60歳を前に、得意な3D制作で事業をスタート

事業を開始されるまでのご経歴を教えてください。

高校卒業後京都の大学に進学しましたが、中退し福井へ戻り、福井工業大学建築科に入学しました。しかし、再び中退。生き辛さを感じ、前へ進めない時期だったんです。父親が水処理施設の会社を立ち上げたのがちょうどその頃で、私は建築科で製図を学んでいましたから、製図担当として父の会社の仕事を手伝うことにしました。

3次元での設計を手掛けるようになったのはいつ頃ですか。

1980年代前半、私が30歳前頃にアメリカから製図CADが入ってきました。2次元と3次元がほとんど同時だったと思います。水処理施設というのは複数の処理槽からできており、設計図には全く同じ処理槽や配管を、幾つも描くことになります。製図CADはコピー機能が優れていて、使ってみたらものすごく便利だったので、「これからは絶対3DCADだ」と確信して関連ソフト一式を導入しました。

3DCADを使ったお仕事が順調に広がっていかれたわけですね。

ええ。ところが、リーマンショックのときだったと思いますが、公共事業が激減し、うちの会社の仕事も減ってしまいました。そこで、公園施設の設計施工を行う会社の設計部へ転職しました。3年ほど公園の完成予想図を制作したりしていましたが、社長交代を機に退社。55歳のときでした。

そこでご自身で事業を始められたと。

そうなんですが、始めたのは農業。我が家は大規模農家だったので、新規就農し、友人と2人で夏場は稲作、冬場は越前水仙のハウス栽培を始めました。しかし慣れない力仕事の連続で体に無理が掛かったのか、左肩の腱を切ってしまい3年で断念。このとき思ったんです。「左手がだめでも、右手でマウスを持っていればいい。やっぱり自分には3Dしかない」と。

改めて3Dに取り組もうと決心されたわけですね。

ええ、そのとき私の背中を押してくれたのが、ときどき登っていた地元の「文殊山」で出会った年長の方の言葉でした。「65~75歳までが、家族のことを考えずに本当に自分のやりたいことができる“人生最後の10年だ”」と言われ、「それなら自分は得意な3Dでもう一回頑張ってみよう」と決心することができました。

「どこでもやれる!」。工業系と造形のソフトを使える強みが自信に

どのような事業内容でスタートされましたか。

工業製品をはじめ、さまざまな物を3DCADでモデリングし、3Dプリンターで出力する事業です。お客さんの「こういうものを作りたい」というアイデアを3Dプリンターで試作することが中心でした。先ほど言ったように、アメリカ発の3Dプリントの波が日本でも広がると考え勉強し、最初にアニメーション系のソフトを使う彫像を作りました。さらに工業製品を作るために、工業系の「Fusion360」というフリーのソフトを導入。使い方はFusionのホームページの英文説明を読んで覚えました。

3Dプリンターで物を作るときの大まかな流れを教えてください。

3次元の造形というのは、作りたい物体を、横にスライスした面を積み重ねて作ります。例えば円柱を作るなら、まず円柱のデータを作り、何㎜の厚さにスライスするのかというコードを設定し、プリンターへ出力します。プリンターには造形素材がひも状になってセットされており、これを200度くらいで溶かし、設定したスライスコードに従ってノズルから噴射して積み重ねていくわけです。高さ100㎜の円柱を0.3㎜のスライスコードで作るとしたら、333枚のスライスを重ねることになります。胸像の方は、モデルをスキャナーで立体的にスキャンし、そのデータを「ZBrush」という造形ソフトに取り込んできれいに整えてから、工業系と同様にプリンターにデータを送り作っていきます。

その頃3Dプリンターについて、県内ではどの程度認知されていましたか。

型屋さんや機械設計をされる方は知っていましたし、県の研修会も開かれていましたが、使いたいという方はほとんどいませんでしたね。「それなら僕が」と思って始めたんですけど、かつて私がいた建築業界と工業業界では予算規模が全然違う。工業デザインはなかなか収入に結び付かなかったんです。

福井だとメガネフレームデザインでの活用が考えられますが。

県もメガネでの3D活用を考えており、私も早い段階でメガネフレームと部品を作ってホームページに載せましたが、仕事にはならなかったですね。

そのような中で、県外に出て行こうとは思いませんでしたか。

それはなかったですね。というのは、ブランディングと商品開発に関する講座を受講したとき、「競争から突き抜けてしまえば、自由にできる。あとは相手がインターネットで探してくれる」というお話があり、「インターネットに載せよう。それでやれる」という感触を持っていましたから。

漠然とした自信があったということでしょうか。

そうですね。私は3Dの工業CADと、彫像制作などの造形ソフトの両方を使えたので、どちらからでも仕事を取れると思っていました。工業設計というのは非常に頭が固い世界で、自由にデザインを考えられる人はいないだろうという印象を持っていましたから、工業系の「Fusion 360」と彫刻系の「ZBrush」をうまく融合すれば、何とかなるんじゃないかと。

発明家との出会いから、3Dプリンターによる新たな物づくりに挑戦

具体的に「こういう物が作れます」という宣伝はどのようにされましたか。

そのきっかけをくれたのは友人でした。最初に手掛けた彫像は、定年後再就職した友人が仕事帰りにうちへ寄るようになったので、モデルになってもらい作ったものです。おかげでホームページに載せる作品ができ、胸像は彼らが買ってくれたので収入にもなりました。ラジコンの車のボディーと部品を作ったのも友人の勧めでしたし、彼らの協力や発想から作品が増え、ホームページを充実させることができたのです。

その後、ホームページを見られた方から問い合わせが来るようになったのですか。

それもありますが、大きな転機になったのは3年前に県産業会館で開催されたテクノフェアでした。3Dプリンターを購入した金沢の代理店が出展し、そのブースの一画に彫像やラジコンを展示させてもらったところ、県内で発明に取り組む方から注文を頂いたのです。

それはどのような注文ですか。

一つは「ダ・ヴィンチケース」というこれまでにない新しい連結方法を用いた収納ケースで、簡単に脱着できると同時に連結が強靭(きょうじん)なのが特徴です。発案者の方と相談しながら3Dプリンターで試作を重ね、その方は特許を取得されました。現在は、本品を動画で紹介しながら製造会社を探しているところです。それから特殊なルアーを作ってほしいという依頼もあり、これも特許を取っておられます。

最近のコロナ対策でフェースガードも作られたそうですが。

ええ、金沢の大学に勤務する先輩から連絡があって、急いで200個調達することになったから協力してほしいということでした。大阪薬科大学の先生が作られたフリーのデータをダウンロードし、3Dプリンターで15個。1日に5個くらいしかできなかったのですが、これを機に金沢では3Dプリンターが有名になったと聞いています。

本当にさまざまな物を作られていますね。そのなかで苦労されることはなんでしょう。

お客さんの要望が未知のジャンルの物だと、それ自体の構造や特性を調べて作り方を探すことになります。それが大変ですね。先程のルアーも市販品を買って2~3日試行錯誤しました。また、「Fusion360」にはソリッドやサーフェイスなどたくさんの作り方があるので、その組み合わせを考えるのも難しいところです。

高まる3Dプリントへの期待に応え、自分の作品も生み出したい

3Dプリンターの使い方やデータの作り方の講習もされていますね。

富山でミニカーのプログラミングをされている方が「ボディーを自分で作りたいから教えてほしい」と言ってこられたのをきっかけに講習をはじめました。「Fusion360」の使い方や3Dプリントの方法を中心に実施しています。詳しくはホームページでご案内していますが、私の教え方は、その方が作りたいものを課題にして、作り方の基本を説明しつつ、課題を実際に作ってもらうことにしています。メガネの会社や鉄工所の方などが受講されていますね。

3Dプリントの可能性についてどのような感触をお持ちですか。

結構いろいろな物に活用できると感じています。和菓子の木型を作る職人さんがいなくなってきているので、その型を作ってほしいという依頼がありましたし、福井県の郷土工芸品の一つ「越前竹人形」の顔を作れないかというお話も来ています。他にもお土産品のキャラクターや仏像を作れないかといった相談もあります。

私は今のところ、来る話は断らないことにしてるんですよ。お客さんから「これでは駄目や」と言われたらしょうがないですけれど、年をとるほど頭が固くなると思うので、ひとまず来るものは拒まず、いろいろやってみることが大事かなと。

ご自身が一番興味をもっておられることは何ですか。

3Dで理想のビーナス像を作ることですね。3Dの彫像作家なのか、彫刻家なのか、呼称はわかりませんが、そういう存在になりたいと思っています。

自分が楽しめることを追いかけ、福井のオンリーワンに!

3Dでこれだけ多様なことを手掛けている方は福井では少ないですね。

ええ、多分いないと思います。何かに特化した方はおられますが、私は、3DCADによるモデリング、試作品作り、さらに建築パースなどの制作までワンストップでできますから。

長年クリエイターを続けておられます。継続するためのコツのようなものはありますか。

私は、マウスを持ってパソコンに向かうのが面白いんです。若い人にとってのゲームと一緒ですね。面白いから、その波にずっと乗ってきたようなものです。慣れない農業をやって肩の腱が切れたときは初めて挫折を味わいましたけれど、58歳から3Dで立ち直ったという感じです。

最後に、そのように楽しみながら仕事を続けてこられた経験から、若い方へメッセージをお願いします。

先程お話ししたように、今はどこで起業しても違いはないと思っています。しかし、事業を始めたとき友人の協力を得られたのは地元にいたからです。また、最近65歳になりましたが、山でたまたま出会った方に「65歳からが自分のやりたいことができる最後のチャンス」と背中を押してもらったことからも、インターネットの時代であっても人とのつながりを大事にしなくてはいけないと実感しています。

若い方には「自分の得意なこと、好きなことを積極的にやってみてください」と伝えたいですね。

あるTVドラマで、小学校の先生が子ども時代の主人公に「人より努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできることがお前の得意なことだ。それが見つかったらしがみつけ」と言っていましたが、私はこの先生が言われたとおりのことを続けてきただけだと思っています。

取材日:2020年7月29日 ライター:井上 靖恵

プロフィール
3dマイスターズ代表 3Dクリエイター
松島 茂樹
1955年生まれ、福井市出身。大学の建築科を中退後、福井県内の企業で3DCADによる設計などを担当。その経験と知識を買われ、県産業専門学院の非常勤講師なども務めてきた。55歳で早期退職し、就農を経て、3DCADの経験を生かした3Dデータ制作や3Dプリントを請け負う事業を開始。2017年に「3dマイスターズ」を開業し、近年は3Dソフトの使い方や3Dプリントの講習も実施している。

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