サントリー・ヒットキャンペーンの仕掛け人が語る「根底にあるのは徹底的な“顧客理解”と“信じる力”」

Vol.195
NO WALL コミュニケーションテラー / 生島企画室 顧問 / 事業構想大学院大学事業構想研究所 客員教授
Kubota Kazumasa
久保田 和昌

印象的なCMソングの数々と、人々の記憶に残るブランドメッセージで大ヒット商品を販売し続けているサントリー(現サントリーホールディングス株式会社)。久保田和昌(くぼた かずまさ)さんは、経理部門やマーケティング室、営業企画などを経て、入社12年目で宣伝部に配属された異色の経歴の持ち主。1986年に発売された麦芽100%ビール「モルツ」の1992年からのキャンペーン、2009年に再ヒットし、ウイスキー市場復活のきっかけとなった「角ハイボール」の仕事に携わっています。

創業者である鳥井信治郎氏の口ぐせでもあった、サントリーの「やってみなはれ」の精神のもと、「ただ待っているだけの宣伝部門から脱却し、ときに宣伝の枠を超えて、商品企画、生産、販売部門に積極的に提案を行ってきました。サントリーを卒業後も、さまざまな企業で宣伝・マーケティング部門の要職を歴任され、現在は、「コミュニケーションテラー」として、企業ブランディングやコミュニケーションデザインのアドバイザーとして活躍されています。

「モルツ」そして「角ハイボール」ヒットの裏にある、サントリー宣伝部の取り組み、商品への思いやチーム運営の手法には、変化の激しい現在のコミュニケーション領域においても参考となる、普遍的な考え方が根底にありました。

 

「宣伝畑ではない人材」としての価値を期待されて

久保田さんは、最初から宣伝領域に興味をもっていたわけではなかったと聞きました。

私が育ててもらったサントリーは、斬新な広告やマーケティング戦略で注目されることも多く、「久保田さんは宣伝がやりたくてサントリーに入ったんですか?」と聞かれることが多いのですが、まったく違うんです。

就職活動ではメーカーを志望していて、関西出身でお酒好きということもありサントリーへ入社しました。

最初の配属は経理部門で原価計算を担当する仕事でした。その後、労働組合の中央執行委員、ビール関連のマーケティング室、営業企画、情報システムなど、さまざまな業務を経験しました。

宣伝部に移ったのは入社12年目、1989年のことです。しかし、このときも自分から希望して異動したわけではありません。

違う畑から宣伝部門への異動を打診されたのはなぜでしょうか。

宣伝部門に新しい風を入れたかったのだと思います。

当時の宣伝部門は変革期の真っただ中にありました。サントリーの主力商品であるウイスキーの売り上げは下降気味。その上、ビール部門が事業の柱と言えるほどは成長しておらず、缶コーヒーの「BOSS」も発売されていませんでした。こうした状況の中、従来通りの宣伝のやり方では課題を解決できないと考えていたのでしょう。

 

待っているだけではダメ。宣伝部門が商品開発段階から動く

業界でその実力を知られたサントリーの宣伝部門でも越えられない壁が?

当時、ウイスキー市場は低迷期にありました。「オジさんが飲むお酒」というイメージが強く、若者や女性層の獲得に苦戦していました。また、食中での消費はほとんどなく、2件目に訪れるバーや店舗で飲まれる程度でした。しかしながら、宣伝部門はウイスキーが売れた時代の成功体験に縛られていました。

一方で事業部も経験していた私は、「誰に対して他にはない価値をもった商品を提供するのか」を考えてきた人間です。営業がビール1本売るのにどれだけ苦労しているかも知っています。宣伝の知識だけでなく、商品開発、生産、販売の知識や経験をもとにアイデアを出せる、多様性のある宣伝部門にしていくことを目指しました。

もう一つは、組織体制ですね。それまでサントリーでは、事業部がターゲットを考え、実際に製品化を進めていき、マーケティング戦略、コミュニケーション戦略を立案し、宣伝部門はオリエンテーションが開かれるのを待っているという流れでした。

この受け身の体制を変えました。事業部と共に課題はどこにあるのかを一緒に考え、ときには宣伝部門から動いて提案していくようにしました。待っているだけなら、外部に委託するのと変わりませんから。

 

「ウイスキーをあきらめない」。強い意志から生まれた提案が人を動かす

「提案する宣伝部門」として、久保田さんが手がけたキャンペーンについてお聞かせください。

30代後半、私はビール事業の宣伝担当課長を務めていました。サントリーが麦芽100パーセントの上質なビールとしてモルツを送り出した時期です。ところが、モルツはなかなか売り上げを伸ばせなかった。品質の高さをアピールするだけでは、商品名さえなかなか覚えてもらえなかったんですよね。「MALT’S」を「マルト」と読まれてしまうこともありました。

そこで、当時電通のプランナーとしてヒットCMを多数手がけていた佐藤雅彦(さとう まさひこ)さんに、好感・共感・親近感をテーマにクリエイティブ制作を依頼しました。

商品名を連呼するCMソングが話題となって「モルツ」の名が浸透するだけでなく、親しみが増し、「うまいんだな、これが」が口の端に乗り、一気に記録的な売り上げとなりました。

同時に、事業部に対して「麦芽100パーセントだけではなく『粒選り麦芽』100パーセントと表現しましょう」と提案しました。商品開発や生産側とも折衝を重ねて、商品の上流からブランドイメージを固めていったわけです。

サントリーには、商品企画にも生産にも営業にも、こだわりをもつプロフェッショナルがたくさんいると思います。他部署の人たちを巻き込んでいく秘訣はなんでしょうか?

2007年9月に私が宣伝本部長として手がけた「ウイスキープロジェクト」のお話をしましょう。

当時のプロジェクトメンバーは、ウイスキーの売り上げが前年を割る時代しか知らず「ウイスキーが売れることはない」と頭から決めてしまっているフシがありました。

でも私は、ウイスキーが好きでサントリーに入った1人です。「ウイスキーがあるからこそサントリーだ。絶対あきらめたらアカン」と思って調べてみると「女性の1人飲み」がブームになりつつありました。

仕事帰りに1人でお洒落なバーへ入り、シングルモルトウイスキーを楽しむ。そんなスタイルが注目されはじめていたのです。

これを起点にできないかと考え、ウイスキーとチョコのマリアージュを提案する「モルト&ショコラセミナー」を仕掛けたり、年末にウイスキーの表彰イベントを提案したりと、ウイスキーに光を当てる取り組みを次々と進めていきました。

翌2008年には、地方の飲食店から「ハイボールブーム」に火がついていったのです。上の世代から見ると懐かしいし、若い人から見ると新しい。そんなハイボールの魅力を全国に浸透させていきたいと思いました。

そこで、サントリーの「角瓶」を使う「角ハイボール」の宣伝を仕掛けたのです。

しかし社内には「ウイスキーはロックか水割りだろう。ジョッキに炭酸で割ってレモンを搾るなんてあり得ない」と憤慨する人間もいました。生産現場のブレンダーからは「俺たちはそんな風に飲まれるために作っていない」と反発もされました。

それでも角ハイボールの人気が高まっていくにつれて、社内の理解者がどんどん増えていったんですよ。

「上質なものを作り続けている」ことに誇りをもち、「ウイスキーをあきらめない」という強い思いをもち、宣伝部門が自発的に提案していくことで、全社一丸となってブランドをつくり上げていくことができるようになりました。

 

求められるのは「スタッフィング」と「信じる力」

ヒットを生んだ宣伝にかかわった久保田さん。常に上流からブランド作りや宣伝を考えてきたのだと思います。その着想の原点はどこにあるのでしょうか。

商品の価値を、誰に対して、どんなトーン&マナーで伝えるのかを決め、そのために「どのクリエイターに、どんな強みを発揮してもらうべきなのか」を考える。そして、クリエイターから出てきた案を比較し、的確に選ぶ目をもつこともプロデューサーには求められるでしょう。ただ、クリエイティブへの理解は必要ですが、「自分はすべて分かっている」と思い込むのは大きな間違い。

クリエイターを信じて、彼らの提案に身をあずける勇気が必要ではないでしょうか。

依頼したからには、信じて任せきるのですね。

信じなければ仕事はできません。それはクリエイターに限らず、部下に対しても同じです。私は仕事を船に例えていましたね。よく部下たちに「船を作ろう」と語りかけていました。

どんな船にも乗るから、まずは自分の意志で作ってみてほしいと。

出てきたアイデアの中には「この船、沈んでしまいそうだな」と不安を感じることもありましたが、信じて任せたからには一緒に乗ります。

私も課長時代にはしょっちゅう、嫌がる役員の手を引いて無理やり泥船に乗せ、何度も沈ませてしまったものです。

ただ失敗しても、上司は必ず責任を取ってくれました。だからこそ“ゼロかイチか”の仕事でも、失敗を恐れずに進めたのだと思います。そのような環境に身を置けたことに、とても感謝しています。

 

時代を超える、宣伝の普遍的な価値

サントリーを卒業されてからも、久保田さんは新たな挑戦を続けていますね。

現在は「NO WALL」という屋号を掲げて、マーケティングコミュニケーションに関するアドバイザー業務を行っています。

「NO WALL」は、私自身のブランドコンセプトでもあります。

“物事をフラットに考え、1人ではなく皆の力で仕事をするために、壁を作らずオープンなコミュニケーションを行う”

「NO WALL」のスタンスのもと、私を育ててくれた宣伝・マーケティング領域へ貢献をしていきたいと考えています。

「コミュニケーションテラー」という肩書きも興味深いです。

「物語をつむぐストーリーテラーのように、人と人とのコミュニケーションをつむぐ存在でありたい」という思いを込めました。

宣伝は、人と人とのコミュニケーションにおいて欠かせない重要な役割を担っています。その発展のために、これからも現役でがんばっていきたいですね。ちなみに「NO WALL」も「コミュニケーションテラー」もサン・アドのクリエイターが提案してくれました。

改めて、久保田さんが考える宣伝の意義をお聞かせください。

どんなに優れた商品でも、ただ存在するだけではブランドにはなりません。その商品はどんなものなのか、人々にとってどんな価値があるのか、といったメッセージが伝わって、初めて共感・納得・理解され、購入していただき、ブランドが確立します。

つまり、どんな時代でも宣伝には普遍的な価値があるのではないでしょうか。

直近ですが、今はDXやコロナ禍といった大きな波に飲まれてしまい、宣伝を含めたコミュニケーションが世の中の変化に振り回されすぎている気がします。変化への対応を考えることも大切ですが、こんなときだからこそ「そもそも自分は何のために仕事をしているのか」「人にとって大切なコミュニケーションは何なのか」を根本的に問い直すことが求められていると思います。

これから、宣伝が生み出すコミュニケーションは、ユーザーとの価値共有、そしてブランド構築においてさらに大きな価値をもつはずです。

取材日:2021年12月21日

ライター:多田 慎介、スチール撮影:庄司 健一、ムービー撮影:加門貫太、ムービー編集:遠藤究

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プロフィール
NO WALL コミュニケーションテラー / 生島企画室 顧問 / 事業構想大学院大学事業構想研究所 客員教授
久保田 和昌
兵庫県芦屋市生まれ。京都で育ち大阪大学経済学部経済学科へ進学。1977年サントリー株式会社入社。宣伝事業部媒体部長、RTD事業部企画部長を経て宣伝部長、サントリーホールディングス株式会社執行役員・宣伝デザイン本部長兼宣伝部長、顧問、株式会社サン・アド代表取締役会長兼社長など歴任。その後、カルチュア・コンビニエンス・クラブ上席執行役員 CMOとしてT-CardやTSUTAYAの広報の指揮を執る。2021年6月、NO WALLを設立、コミュニケーションテラーとして企業のマーケティングやブランディング全般のコンサルティングやイベント講演など、幅広く活動している。第36回東京広告協会白河忍賞特別功労賞受賞・事業構想大学院大学客員教授・日本アドバタイザーズ協会顧問・東京広告協会理事・日本アドコンテンツ制作協会顧問・アドテック アドバイザリーボード。

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